02 王子様、空から降ってこないでください
もうダメです。帰らせてください。
「はあ……やっぱ無理だって」
夕日の光が差し込む廊下をトボトボと歩く。
父上の根回しもあり、プリムヴェール学園へ無事に潜入することはできた。
ただ、少し驚いたのはジゼルが倒れたことを知らない人がほとんど……いや、いなかったことだ。
ジゼルのクラスメイトは何食わぬ顔で普通に挨拶をしてくるし、倒れたんじゃないの? と気遣うそぶりも全くなかった。これまた父上が教師陣と発見者に口止めしているのだろうか。
なんにせよ、誰も僕とジゼルが入れ替わったことに気づいていないようだった。
そこには、僕の変装魔法が完璧だったのも大きな理由にあるだろう。
魔法で髪を伸ばして、公爵家に仕える使用人たちに化粧を施してもらえばジゼルに早変わり。身長の問題は少し高めのヒールを履けば誤魔化せたし、彼女の着ていた服もスッと袖が通った。
とはいえ、中身は僕のままなので、長時間人と接したらすぐにバレてしまうだろうと、風邪を引いているていにしてやり過ごす作戦を実行。そのため収穫はゼロだ。
そもそも、引きこもっていた僕が人に話しかけられるわけもなく、体力を消耗した一日となってしまった。これではいつ家に戻れるか分からない。
「初日だし様子見……ああ、温室が恋しい。ちゃんとお世話してくれてるかな」
父上と使用人には数十回温室で育てている魔法植物についての説明をしてきた。マニュアルも作成したためその通り欠かさずお世話をしてくれたら問題ない。
だが、魔力を注ぐことが必須なものから、水ではなく紅茶を薄めたものを好む魔法植物もいる。魔法植物にも品種によっては性格があるから、育て慣れていない人には難しいと思う。愛しの植物たちが心配で胃に穴が開きそうだ。
「はぁ……殴られてでも断ったらよかったかな」
独り言とため息が増える。
ただ、さすがは名門といったところ。魔法に関する授業はどれも面白く、興味深いものだった。
魔法で腰まで伸ばした長い髪が揺れる。制服の丈は短く下がスース―して落ち着かない。ヒールのせいでおぼつかないし、何度転びそうになったか分からない。
とにかく今日はもう寮に戻って寝よう。英気を養って明日から調査を始めればいい。
気持ち新たに一歩踏み出したところで、ふと僕はとある違和感に気づいた。
「――待って、迷子じゃない?」
人がいない。廊下は静まり返っていた。
そういえば、プリムヴェール学園の校舎は公爵家の別荘くらい広くて、至る所に校内図が貼られていた。それだけ迷う人が多いということだろう。
あたりを見渡し、校内図を探してみるが見当たらない。
本格的に日が沈み始めている。このまま迷子になって警備員に補導されてしまったら『アルヴェス公爵家のご令嬢が校内で迷子に!?』 なんて明日のゴシップに載りかねない。
少し歩いたところに階段が見えた。階段の踊り場に暖かなオレンジが差し込んでいる。
そういえば、ジゼルは階段から突き落とされたんだった――
「……え?」
黒い影が夕日の明かりを遮る。
人が落ちてきた。
階段を踏み外したにしては軌道がおかしい。まさか、誰かに突き落とされたんじゃ。
考えるより先に身体が先に動いていた。
「風魔法……ああ、あと身体強化……!!」
『風よ』と詠唱し、落下地点に入る。
よし、間に合った。
風魔法により落下速度を調節することに成功。そして、自身にかけた身体強化魔法により落ちてきたその人を抱き留めることができた。
階段から落下したのはプリムヴェール学園の白い制服を着た男子生徒だった。俺よりもはるかにガタイがよく、さらりと流れた銀髪は夕日を反射して輝いている。
「だ、大丈夫ですか」
僕の声に反応してか、陶器のようにきれいな顔にしわが寄る。どうやら意識はあるらしい。
ホッとしたのもつかの間、俺の腕の中で彼がゆっくりと目を開く。長いまつ毛の隙間から見えた瞳は、海を宝石に閉じ込めたような瞳だった。
男の僕でも見惚れてしまうほどきれいな人だ。
だが、僕はその瞬間稲妻が落ちたように思い出す。
銀髪に、ロイヤルブルーの瞳……間違いない。
「おう、おうたい……」
「クソ……ッ、俺を突き落としたやつはどこへ……っ」
「あわぁ……」
情けない声が口から洩れる。
彼は僕と目が合うとそのロイヤルブルーの目を丸くした。形のいい唇を半分ほど開き、瞳を揺らす。
一瞬、時が止まったようだった。
しかし、我に返ったのか、優しい色を孕んでいた目をつり上げ、睨みつけてきた。殺意を孕んだその瞳に射抜かれたため、思わず彼を落としてしまいそうになる。だが、今彼をここで落としたら大問題だ。
ジェルミナシオン王国で銀髪にロイヤルブルーの瞳を持つ人間――すなわち王族。
王太子殿下は十八歳だったと記憶している。年齢的にもここへ通っていてもおかしくない。ただ、あの人はもう少し大らかだったはず。となれば、僕が抱きかかえている彼は――
「ディ、ディオン・オラージュ第二王子殿下」
オスカー・オラージュ王太子殿下と腹違いの兄弟、第二王子ディオン・オラージュ殿下その人で間違いないだろう。
ディオン殿下は、周りから慕われている王太子殿下とは違い、いい噂を聞かない。類まれな氷魔法の使い手で優秀であることには変わりないが、どうやら素行に少し問題があるらしい。
群れることを好まない一匹狼、口より先に手が出る問題児など。血の気が盛んで、よく狩りに出て、獲物の生首をそのまま持ち帰ってくるなんてこともしばしば。
そんな真偽のはっきりしない誇張された噂が、屋敷に引きこもっている僕の耳にも流れ込んでくるほどだ。
凍り付くような冷たい眼光に、獣の唸るような低い声。
氷狼殿下の異名で知られているだけある凍てつくような威圧感。僕が最も苦手とするタイプの人間だ。
彼は眉間にしわを寄せ睨んだあと、何かに気づいたように数度瞬きをする。
「……っ、その髪色、瞳……まさか、ジゼル・アルヴェス公爵令嬢?」
「え、はい。はい、そうです……!! ぼ、私は……」
自分の兄の婚約者候補に挙がっている家のご令嬢だから知っていても当然か。
とっさにそうだ、ジゼルだ! と頷いたが、次の瞬間グッと胸ぐらを掴まれてしまった。
「お前は誰だ?」




