04 悪魔の誘惑
放課後の射場は貸切られているのか、人っ子一人いなかった。
貴族の子どもは教養として剣術、槍術、弓術を習う。僕も幼いころに経験させてもらったが、からっきしどれもダメだった。一方ジゼルはどれもそつなくこなし、今回の試験では剣術で点数を取りに行くらしい。
弓を握るのも久しぶりで、モリスに特訓に付き合ってもらおうかと思ったが、彼は槍術を選択しており、他に友だちがいない僕は一人寂しく練習するしかなかった。
実技試験は二日に分けて行われる。一日目が魔法、二日目が剣術、槍術、弓術のいずれか一つを選択。一日目の予習は前日でも問題ないだろう。ただ、弓術ばかりはそうはいかない。
的目掛け、弓を構えてみるが、まず弓の弦を引くことができない。プルプルと腕が震え、照準が定まらず、ようやく矢を射ることができたものの、的の五メートルほど前でぽすんと落ちてしまった。これはかなりまずい。
身体強化魔法も使えないのだから、小枝みたいな腕で頑張るしかない。
もともとは途中で学園を去る予定だった。家に帰っても居場所はあの温室しかないし、父上に怒られるのは目に見えている。
でも、今はそんな理由じゃなくて、もう少しここにいたいと思った。ここで落第するわけにはいかない。
「よし、もう一回……」
弓を構えると、乾いた拍手が飛んでくる。どこから聞こえるのかと一度弓を下ろしあたりを見渡すと、射場の入り口あたりからこちらに向かってくる人影が見えた。オレンジ色の夕日が、煌びやかな金髪を引き立たせる。
「すまない。盗み見るつもりはなかったんだ」
「……リュシアン・ルメルシエ」
現れたのは、昼休みにぶつかったリュシアン・ルメルシエ公爵子息だった。
気配を消していたのかまったく気づかなかったが、わざとらしく拍手をし、自身の存在を僕に認識させた。
彼の目は冷たく、軽く持ち上げられた口角はどことなく不気味で歪に見える。
ディオン殿下に彼は要注意だと言われているため、いつでも魔法で対応できるように構えた。
「そう警戒しないでくれ。取って食ったりはしない」
「昼間はぶつかってしまい申し訳ありませんでした。こちらの不注意で、不快な思いにさせてしまい大変申し訳なかったと思っています」
「ああ、昼間の……いいさ。俺はそんなことを気にするほど小さな男じゃない。ティボーのことは許してくれ。怒りっぽいんだ。ああ、それとも、君の目には僕が小さな男に見えるのかな。シリル・アルヴェス」
すべての発言に引っかかりを覚える。
ディオン殿下が忠告してくれずとも、この男の厭らしさは十分に伝わってきた。彼のことが苦手だと思っていた時期が懐かしいくらいに、この人から感じられる得体のしれないものと少しの悪意は、僕でも感じ取れる。放つプレッシャーが常人のそれじゃない。
いったいなにをしにここに来たんだ。
まずい、今は僕一人だ。声を出しても誰も来てくれないだろう。それに、彼はカリスマ的存在だという。僕が声を出したところで、逆に相手側に同情票が集まりそうだ。
ここは冷静に対応するしかない。
弓を握る手が震える。なにもこれで対抗しようってわけじゃない。むしろ、無理だ。百発百中外れる。
「君は公爵家で魔法の研究をしていたんじゃないのか? どうしてまたこんな時期に編入なんて」
「一回特待生の招待をもらったことがあって、二年前にそれを蹴ってるんですよ。でも、ジゼ……姉上の話を聞いていたら学園に興味が湧いてきて。この度編入することにしたんです」
「まあ、そういうことにしておこう。けど、おかしいな。君はなんでディオンと同室なんだ? 学園では一人一部屋もらえるはずなんだが」
「僕が頼んだんです。ディオン殿下には少しお世話になっていて」
懐に入り込みなにかを探ろうとしている目だ。
言葉を慎重に選ばなければ足元をすくわれる。ごくりと口の中に溜まった唾を飲み込み、出来るだけ笑みを浮かべる。
リュシアンは、顎に手を当てると、ターコイズブルーの瞳で僕の頭からつま先をじっくりと観察した。
「ディオンが……けど、君みたいなのは釣り合わないよ。むしろ、危ない。忠告してあげよう」
「なにをですか」
「ディオンはその特殊な魔法で以前、王太子殿下を傷つけたことがある。他の生徒だって、それを恐れて彼に近づかない。それに、すぐに飽きてしまうんだ。飽きたら捨てられるがオチだ」
「なにを言っているか分かりません。僕には、殿下が自信の力を制御しているように見えましたし、捨てられる……とは?」
「無知なふりをしているのか、本当にわかっていないのか。なんだ。引きこもりと聞いていたわりにはしっかり受け答えができるんだね。面白い……ディオンのことが嫌になったらいつでも俺のもとに来るといい。俺は、自分のものには優しいんだ」
リュシアンはそれだけ言うと踵を返し去っていった。
黄金の髪が、建物の陰に隠れると光を失う。
なにか魔法でも欠けられたように身体が重く、弓を握っていた手のひらにじんわりと汗がにじんでいた。あの人は、ディオン殿下のなにを知っているというのだろうか。
「そうだ、練習……!!」
ここも時期に閉鎖される。あと数回矢を射って感覚だけでも掴んでおこう。
僕は少し風が吹き付ける射場で一人また弓を構えた。




