01 し、試験なんて聞いてません!?
「殿下ちょっとネクタイ曲がってます」
朝、制服を着終え部屋を出る準備ができた殿下を引き留める。
ジゼルになりすまして、学園に通っていた時もそうだったが殿下は僕の髪を弄るのが好きらしい。何でも、フワフワしていて綿毛のようだという。今は学校という人前に出るところで生活しているので、身なりはしっかりしなければと思っているが、ヘアセットもろくにできない僕は器用な殿下の力を借るしかなかった。慣れたように僕の頑固な寝癖を直し、さらにはあっという間に服まで着せてくれる。
王族を侍従のように使うのはどうなんだといたたまれない気持ちになったが、彼はしたくてしているんだと言ってきかなかった。変なところで頑固だ。
僕が三階から突き落とされたあの日、殿下は心の内を話してくれた。そこから距離が近づき、初対面の印象こそぬぐえないが、彼の側にいるのが心地よいとすら感じるようになった。
ただ、殿下の過保護が加速していっているような気もするのだが……。
「シリル」
「はい。なんですか。殿下」
「……お前、今そこで飛んでみろ」
「と、飛ぶ?」
いきなり何を言い出すのかと思っていると、いいから早くと急かされる。僕は言われるがままにぴょんとその場でジャンプをした。すると、ポケットに入れていた錠剤の胃薬がパラパラパラと床に落ちる。
「おい、この量はなんだ。過剰摂取なんじゃないか」
「これでも量減ったんですってば」
「……しばらく飲むな。身体を壊す」
「でも、これがないと……そんな睨まないでくださいって。わかりましたよ。減らします」
ふんと鼻を鳴らし、殿下は床に落ちた胃薬を僕が回収するよりも早くかき集める。
公爵家に在中している主治医の立会いの下、僕の身体にあうように調合されているので多少の量を飲んでも問題ない。摂取量はかなり多いが、それによる副作用はこれまで出たことがない。それに、これはお守りのようなもの。胃が弱い僕にとっては必要なものだった。
拾い上げた胃薬はごみ箱に捨てられてしまい、「行くぞ」と命令口調で扉を開けると部屋を出て行ってしまう。
心配してくれているのか、呆れているのか。
彼の後を追って外に出て、半歩後ろをついて歩く。
しばらくすると、寮の入り口を出て登校中のモリスがこちらに気づき駆け寄ってきた。
「おはようございます。シリルさま。だ、第二王子殿下も公務お疲れさまでした」
「シリル、こいつが昨日言っていたお前の友人か」
「はい。同じクラスのモリス・グラースです。グラース子爵家は僕の魔法事業の協賛で……」
「じゃあ、俺とお前とどういう関係なんだ?」
モリスの説明を求められたかと思っていたがどうやら違うらしい。
モリスもぽかんとした顔でこちらを見ている。
殿下と僕はどういう関係……? 言われてみればよくわからない。
唯一の同室。事件を一緒に追う相棒、右腕……といったところだろうか。しかし、それはモリスの前では言えない。また、彼は僕と殿下の関係を主従だと思っている。
僕が答えずにいれば、殿下は重いため息をついた。
「俺がお前の初めての友人じゃないのか」
「え?」
これまた訳のわからない言葉が飛んできて言葉を失う。
ため息の次は舌打ちが飛んできて「忘れろ」と一瞥すると、先に教室に行っていると僕とモリスの間を割って歩いて行ってしまった。去り際の殿下の顔が少し寂しそうだったのは気のせいだろうか。
「シリルさま、追いかけなくていいんですか?」
「ど、どうなんだろう。僕にもさっぱり……殿下のこと、まだいまいちわかっていない部分もあって」
モリスは僕と殿下の後姿を交互に見る。それから、ポンと手を叩く。何かと思って彼を見るが、落ちてきた眼鏡を上に持ち上げるだけでそれ以上何も言わなかった。
「それはそうと、モリス。昨日はごめん……約束していたのに」
「いいえ! ぼくも実は用事が入ってしまって。お互い様ですよ」
「それならいいんだけど……でも、ごめんね。約束してくれていたのに」
「シリルさまさえよければまた誘わせてください!! あそこは、プリムヴェール学園が誇る一日いても飽きない宝の倉庫ですから」
胸を張り、ニッと白い歯を見せて笑ってくれた。
その姿から本当に気にしていないことが分かり安心する。僕は一日にしてたった一人の友だちを失うところだった。
「そうだ、シリルさま。近いうちに試験があるんですけど、対策はできていますか?」
「試験? なんの?」
「中間試験です。サマーホリデー前に二回あるうちの試験の一つです。主に座学と実技の二つがあって、三日間行われます」
試験の結果が悪いと留年、最悪の場合退学処分にもなるきわめて重要な試験らしい。
まったくそんな話は聞いておらず、しかも三週間も経たないうちに試験が行われるというのだ。座学のペーパー試験ならまだどうにかなる。問題は実技だ。
実技科目は三つのうち一つを選択するらしいが、どれも片手で数えるほどしか触れていないものばかり。
「ど、どうしよう……」
留年だ。いや、最悪退学だ……。
とたんに目の前が真っ暗になり、僕はモリスに身体を支えられながら白目をむいた。本当にどうしよう。朝胃薬を飲んでいないため胃がキュルキュルと悲鳴を上げ始める。
何とかして、試験を回避する方法はないのだろうか。
気を失いかけている僕に、モリスは必死に名前を呼び、道行く人の視線を集めてしまったのだった。




