九話「誤解」
疲労困憊で地面に座り込むのは、二人の女子生徒。真っ赤な頭とピンクの髪が、借り物の防寒具からはみ出している。
「何で男性ってあんなにお元気なのかしら」
「さあ……」
「子供っぽいと言うべきかしら」
「お元気なのは良い事かと……」
寒さに震えながら、まだスケートを楽しむジョージとルイスを眺めるエリザとアイラは、少しの気まずさを感じながらぽつぽつと会話をする。
「……ハボットさんも、スケート苦手なのね」
「初めてでしたから。バートレイさんも、その……」
「下手よ」
うふふと上品に笑って、ちらりとアイラの方を見た。普段つんけんしているエリザがあれだけ叫び、情けない姿を晒していたせいか、今のアイラはエリザに対しての恐怖心が少しは和らいだようで、こちらを見てくれた。
「あの……収穫祭の日、本当にごめんなさい。もっと早く謝罪をしたかったのだけれど……」
「キャリーがいつも一緒でしたからね。あの日の事は気になさらないでください。私が良くないものを身に着けていて、庇ってくださったのでしょう?」
ルイスの上着に包まったアイラは、にっこりと微笑みながら襟元を頬まで引き上げる。その表情はとても柔らかく、乙女ゲームの主人公らしい、とても可愛らしい笑顔だった。
「……私、バートレイさんは怖い方だと思っていました。でも、誤解なのですよね」
「誤解かしら……」
「殿下が教えてくださいました」
アイラが言うに、あの日の出来事はエリザから嫌がらせをされたのだと思っていたらしい。キャリーにそう言われていたからだ。
だが、収穫祭の後何度かルイスと話す機会があり、あの場で制服を汚されたのは、偶然とはいえルイスと同じ色を身に着けており、周囲から庇う為にエリザが悪役を演じたのだと、ルイスが話したそうだ。
「……それは、言い過ぎだと思うわ。私はそんなに深く物事を考えていたわけではないもの」
「いえ、バートレイさんのおかげで、私は不敬な女子生徒ではなく、高位貴族の令嬢にケーキをぶつけられた被害者となりました。その代わり、バートレイさんが酷い人だと思われてしまって……本当に、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げられたが、どう反応するのが正解なのか分からない。こちらこそ、制服を汚してごめんなさいと頭を下げるが、いえいえこちらこそ……と何度も続くばかりだった。
「……終わらないわね」
「ふふ、本当ですね」
また、ゲームではあり得ない事が起きている。
ヒロインであるアイラと、悪役令嬢であるエリザは、最後まで相容れない。エリザが一方的にアイラを嫌い、今こうして並んで仲良くお喋りをするなんて絶対に有り得ない筈。
シナリオが、破綻してしまう気がした。
これ以上、アイラと仲良くならない方が良い。積極的に距離を詰めてはいけない。かといって、本来のゲームのようにアイラを苛めたいとは思わない。
「えっと……今日は、ホップスさんは?」
「用事があるから先に帰ると言っていました。池には明日行こうと言われていたのですけれど……待ちきれなくて」
「そうだったのね。でも、万が一氷が割れたら困るから、一人で来ては駄目よ。危ないもの」
「皆さんがいてくださったおかげで、今日はとても楽しい時間を過ごせました」
ニコニコと嬉しそうに微笑みながら、アイラは少し離れた場所で滑っているルイスを見つめている。ほんのりと赤い頬は、何か意味があるのか、それとも寒さ故なのか分からない。
「……殿下と、親しくされているのね」
「えっ、あ、その……すみません、身分不相応だと理解はしているのですが……」
「謝る事は無いけれど……」
むしろ、もっと仲良くなってもらわなければ困る。
「で、殿下はとてもお優しい方ですから……私のような者も気にかけてくださるだけで」
「貴方はどう思っているの?いくら相手が王族でも、貴方が嫌ならお姿を見かけたらそっと距離を取っても良いのよ?」
「……殿下とお話をしていると、楽しくて。男爵令嬢が殿下とお話をするなんておこがましいとは思いますが、殿下からお言葉をくださるのなら、と」
そこまで言って、アイラははたと気が付いたのか顔を青くさせながらエリザの方を見る。大慌てで両手を顔の脇に持ち上げブンブンと振る姿は、本気で慌てているそれだった。
「私!違うんです!殿下ともっと親しくなりたいとかそういう事は考えていなくて!」
「何故慌てるの?私に言い訳なんてしなくてよろしいのに」
「でも……あの、バートレイさんは殿下に……お心を、その」
あまりにもしどろもどろになりすぎだ。視線を大きく動かすアイラを前に、エリザは肩を震わせて笑いを堪えた。
「私、婚約者がいるのよ。あそこに」
ルイスと滑っているジョージを指差し、エリザはクスクスと笑う。
「いずれこの国の王となられた殿下の、良き友人になる筈の人よ。私はその妻になる予定なの。今のところはね」
「じゃ、じゃあ……」
「うふふ、未来の王妃様とも仲良くなれたら嬉しいのだけれど」
「きっと!バートレイさんならきっとなれます!」
拳を握りしめるアイラは、エリザの言葉の意味をきちんと理解はしていないだろう。理解してほしいとも思っていない。理解されては困る。
「あの……バートレイさんがお嫌でなければ、私ともお友達になってはいただけませんか?」
「え?」
「私、編入して暫く経つのに、お友達がキャリーしかいないんです。もっと色んな方とお話してみたくて」
上目遣いで遠慮がちにお願いをするアイラは、やはり可愛らしかった。
「一緒に転んだ仲じゃない」
お友達になりましょうとは言えない。
言ってはいけない気がした。
本来は、敵対するヒロインと悪役令嬢。既にゲームシナリオ通りに進んでいない気がするが、これ以上崩してはいけない。
無駄な足掻きだとしても、否定も肯定もしなかった。だが、アイラはエリザの言葉を肯定として受け取ったようだった。
◆◆◆
慣れない事をした翌日は、体のあちこちが痛むもの。おまけに、寒空の下に何時間もいたせいか、エリザは久しぶりに風邪を引いて熱を出していた。なんとも、ひ弱な事だ。
使用人が時々様子を見に来るが、頭が痛いせいであまり構われたくない。苦い粉薬を何とか飲み下し、ベッドに倒れ込む。ふかふかのクッションが体を包み込み、あちこち痛む体を優しく支える。
「あー……失敗した」
調子に乗ってスケートなんてするんじゃなかった。筋肉痛にはなるし、夜には頭が痛くなり、朝目を覚ませば酷い熱。運動不足の令嬢に、冬の風は強敵だったらしい。
朝から何度も寝ては起きてを繰り返したせいか、頭は痛いのに眠気は来ない。天井をぼうっと眺めながら、昨日の放課後を思い出す。
折角アイラとルイスが手を取り合ってスケートを楽しんでいるすぐ傍にいたというのに、ジョージと手を取り合い、必死になって体を支えていたせいで、大事な場面は欠片も楽しめなかった。
ジョージの手は大きかった。それに、とても温かかった。
「……ふん!」
思い出した温度に恥ずかしくなり、エリザは自分の両頬をバチンと叩いて目を閉じる。しかし、瞼の裏には呆れたように笑うジョージの顔が浮かんで消えない。出来れば、それはアイラとルイスの仲睦まじい姿であってほしかった。
目を閉じたまま、必死で推しカプの姿を思い出そうとしているのに、その集中力は無慈悲なノック音で途切れてしまう。苛立ちながら「どうぞ」と声を掛けると、使用人がお見舞い客の来訪を告げた。
「どなた?アリスかしら」
「いえ。クレムセン様です」
「は?」
「本日、お嬢様がお休みになられたので、お見舞いにと。お帰りいただきますか?」
「い、いえ。良いわ、通して」
ベッドの端に掛けられていたガウンを大急ぎで羽織り、ボサボサの髪を手で撫でつける。いくら婚約していたとしても、未婚の女性の寝室に来るなんてどうなのだと、頭の中のエリザは文句を言う。
「風邪を引いたと聞いたが」
「大した事無いわよ」
ひょっこりと顔を覗かせたジョージは、案内してきた使用人が用意した椅子をベッドの脇に置き、そこに腰かける。扉は開いたままにするのは、ジョージなりの気遣いのつもりなのだろう。
「俺が誘ったからだな。すまない」
「上着は借りていたもの。貴方のせいじゃないわ」
申し訳なさそうに項垂れるジョージは、手にしていた小さな花束をくるくると弄ぶ。それは見舞いの品のつもりなのではないのかと言いたいが、見慣れない様子のジョージを前にしていると、言葉を挟む事はできなかった。
「熱は」
「もう殆ど下がったわ。明日は休日だし、もう一日休めば大丈夫」
「そうか。……これ、渡しておく」
「素直にお見舞いの品とおっしゃったら?」
クスクスと笑いながら、漸く差し出された花束を受け取る。小さなピンク色の花の名前は分からなかったが、とても可愛らしい花束だった。
「後で飾ってもらうわね。ありがとう」
「あ、ああ」
ニコニコと素直に礼を言われた事が驚きだったのだろう。ジョージは気まずそうにぽりぽりと後頭部を掻き、エリザから視線を外す。
「……殿下も心配されていた」
「そうなの?今度ご挨拶しにお伺いするわね」
「ああ、そうしてくれ」
そこから会話が続かない。見舞いに来てくれたことは有難いが、目的を果たしたのなら早く帰れば良いものを、可愛らしい花束を持ってきてくれた相手を追い返すのは忍びない。
「えっと……そう、そうだわ。前にいただいたアメジストなのだけれど、私普段はタイピンなんて使わないでしょう?他のものに作り替えようと思うのだけれど、何が良いと思う?」
困り果てた末、視線をうろつかせている間に机に置いた小箱が目に入った。中には、収穫祭で貰ったアメジストのタイピンが二つ入っている。
「あー……二つあるし、耳飾りなんて良いんじゃないか」
「それがね、大粒だから耳飾りだと重たいんですって。お友達にも相談したのだけれど、あまりお勧めしないと言われてしまったのよ」
あの日、ジョージとのやり取りを見ていた友人たちと何にリメイクするかという話で盛り上がった……いや、盛り上がられてしまったのだが、結局何にするかは決まらないままだった。
耳飾りにするには大きいが、普段アクセサリーを身に着けないエリザでは良い案が浮かばない。そのうち良い案が浮かぶ事に期待をして、小箱に大事にしまっているのだ。
「首飾りにするとか……もう一つは指輪にしたらどうだ?」
「良いわね首飾り。でも指輪にするには大きいかも」
「それなら割れば良いだろう。二つに分けるなり……」
「また増えてしまうわね」
クスクスと笑いながら、エリザはジョージと二人の時間に落ち着いている事に気が付いてしまう。あんなに痛かった筈の頭痛を忘れ、貰ったばかりの花束を何度も見つめてしまう。
文句を言っていた筈の頭の中のエリザは何も言わない。ただ、胸がじんわりと温かかった。




