十話「破綻の気配」
悪役令嬢って何だろう。
ふと、そんな事を考えることが増えた。
一緒にスケートをしてから、アイラと行動する事が増えてしまったからだ。
エリザとして生活するようになってから暫く経つが、なるべくゲームシナリオに沿うように行動してきたつもりだ。勿論、シナリオに描かれていない日常まで決められているわけではない。
エリザの中に残っている記憶を頼りに行動してみたり、こうしたいと思ったように行動しているのだが、シナリオの大筋から外れないように気を付けていた。
唯一の失敗は、あの日スケートをして仲良く話をしてしまっただけ。
たったそれだけで、アイラはエリザを「良い人」と認識したのか、時折話しかけてくるようになったのだ。
シナリオが破綻してしまう。
もしそうなってしまったら、この先どう行動すれば良いのだろう。
悪役令嬢とヒロインが仲良くなるなんて、そんな事が許されるのだろうか。
「バートレイさん!」
悩みの種が、嬉しそうな声を出しながら駆け寄ってくる。出来るだけ距離を取ろうと一人で教室を抜け出して次の授業へ向かっていたというのに、よくもまああっさりと見つけて駆け寄ってくるなんて。
「……廊下を走るなんてはしたないわ」
「あ……そうですね、すみません」
恥ずかしそうに頬を染めたアイラは小さく詫び、少し乱れた髪を手で直す。何故エリザに懐き、傍に寄るのか理解出来ない。
今までキャリーと行動する事が多かった筈なのに、最近はキャリーと一緒にいる姿をあまり見ない。
「……ホップスさんはよろしいの?」
遠回しに「あっちへ行け」と言ったつもりだったのだが、アイラは言葉の意味を理解していない。する気が無いのかもしれないが。
「キャリー以外にもお友達が欲しいんです。それに……キャリーを怒らせてしまったみたいで」
少しだけ寂しそうな顔をしてそう言ったアイラは、キャリーと何があったかまでは話してくれない。無理に聞くつもりもないが、キャリーがアイラと距離を取るなんてイベントはあっただろうか。
そもそも、キャリーはシナリオに深く関わってくることはなかった筈。彼女はアイラの能力値や、意中の相手との親密度がどれ程なのかを教えてくれるNPCでしかなかった筈。
シナリオで描かれていないだけで、日常では本当に友人だからこそ、彼女の能力値や親密度を教えてくれるキャラクターになっていたのだと考えれば不自然ではない。
だが、エリザに食って掛かるような、敵対心をむき出しにするような人なのだろうか。
「お友達は増えた?」
「はい!昨日は一緒にお昼を食べて……」
ニコニコと嬉しそうに微笑む横顔は、とても可愛らしかった。つい会話を広げてしまったが、出来ればアイラとは距離を取りたい。何でも良いから自然にこの場から離れられる口実は無いかと歩きながら視線を動かしていると、廊下の少し先から歩いてくる長身の男子生徒に目が止まった。
「あら、ジョージだわ」
「クレムセン様、今日はお一人なのですね。いつも殿下と一緒にいらっしゃるのに」
「全く離れないわけじゃないわよ」
このまま歩いて行けばすれ違うだろう、その時に用事があるとでも言ってジョージを巻き込めば、アイラだけ先に次の授業へ向かわせる事も出来るかもしれない。そうと決まればなるべく早くジョージの元へ行きたい。
真直ぐにジョージを見つめながら、僅かに歩みを早めた瞬間だった。
ジョージが曲がり角に差し掛かった瞬間、丁度出てきた女子生徒とぶつかる場面を見た。
「きゃっ」
「すまない!」
ぶつかった女子生徒は床に倒れ、ジョージは慌てて詫びながら女子生徒に手を差し出している。
「怪我は無いだろうか」
「く、クレムセン様……!あのっ、申し訳ございません!」
ジョージを見上げた女子生徒は慌てふためいており、差し出された手を取る事もなく乱れたスカートの裾を直す。それを歩み寄りながら見ているエリザは、その女子生徒がキャリーである事に気が付くと、眉間に僅かに皺を寄せる。
「前を見ていなかったものですから……」
「それは俺も同じだ。立てるか?」
ちょいちょいと手を動かし、早く取れと促すジョージは、エリザがすぐ傍にいる事に気付いていない。漸くキャリーが手を取り立ち上がるが、すぐに体がぐらりと傾ぐ。
「……っ」
「痛むのか?足か」
「足首が……少し痛むだけですから、すぐ治りますわ」
「あらまあジョージ、女性に怪我をさせたの?」
「事故だ」
ムッとした顔で言い返すジョージの手は、キャリーがしっかりと握っている。エリザの隣に立っているアイラはそれを見ているせいかオロオロしているが、別に婚約者が他の女と手を繋いでいる程度で嫉妬する程可愛らしい性格はしていない。
「あ……は、ハボットさん、あの」
「大丈夫?医務室へ行った方がよろしいわ。先生には私から伝えておきます」
にっこりと微笑みながら優しく心配をしたつもりなのだが、キャリーは眉尻を下げながらエリザに向かって怯えたような仕草を向ける。
いつもなら、キャリーがエリザに怯えるなんてことはない筈。婚約者と手を繋いでいるから何か言われるとでも思ったのだろうか。もしそうなのだとしたら、今すぐ離せば良いのに、未だに離さないのは何なのだろうか。
「ジョージ、貴方がぶつかったせいなのだから、きちんと医務室までお連れしてね」
「言われずともそのつもりだ」
「い、いえ!少し捻っただけですから……一人で行けます」
一人で行けるのなら、早くその手を離しなさい。頭の中で声が響いた。
ほんのりと頬を染め、ジョージを上目遣いで見つめるキャリーを見ていると、何となく気分が悪い。
「行きましょうハボットさん。私がいてはお邪魔のようだから」
口から出た言葉は、自分でも驚く程刺々しい。何も悪くないジョージをじとりと睨みつけ、エリザはアイラの手を取って二人の隣をするりと抜ける。
「おい、エリザ」
ジョージが普段よりも困ったような声を向けてきたが、それに答えてやる気にはなれなかった。
◆◆◆
不愉快。
ここ数日の感情を一言で表すならこれだった。
「また、あの方?」
「ええ、そのようね」
昼休みにアリスを含む友人たちとカフェスペースでお茶を楽しんでいるというのに、窓の外ではキャリーとジョージが仲良さげに何かを話している。
何を話しているのかまでは聞こえないが、キャリーが楽しそうに微笑んでいる顔は視認できた。
「あらあら、ジョージったら狼狽えているわ」
クスクスと笑うエリザの前で、友人の一人であるハンナが気まずそうに視線を逸らす。いつもエリザの周りをちょろちょろとしているくせに、本心はエリザを怖がっていることは、見ていれば分かる。
元のエリザはそれが嫌だったようだが、顔の広いハンナがそのうち何かの役に立つだろうと傍に置いていた記憶が頭の片隅にあった。
「最近あの方がクレムセン様について回るのをよく見かけますわね」
「ええ、先日怪我をさせて医務室に運んでから懐かれてしまったみたい」
「あらあ、災難ね」
クスクスと笑うアリスは、目を細めて窓の外を見つめる。微笑んではいるが、その目はとても冷たく思えた。
「あの、エリザさんはお嫌ではないのですか?」
おずおずとエリザに質問を投げるハンナは、顔の横に手を持ち上げて挙手をしている格好だ。聞きたいのならもっと気楽に聞いてくれて構わないのだが、友人を自称するのならもっと友人らしくしてほしいものだ。
「婚約しているからといって、彼が誰と会話をするか私が口を出す事ではないでしょう?」
「大人だこと」
アリスはそう言うが、ハンナは納得がいかないようで、ちらりと窓の外に視線を向けて口をまごつかせる。
「あ、バートレイさん。こんにちは」
「ごきげんようハボットさん」
一人でカフェスペースに入ってきたアイラがエリザに気付き声を掛けてきたが、同じテーブルにアリスとハンナがいる事に気が付くと、邪魔をしないように気を使っているつもりなのか、ペコリと小さく頭を下げて離れようとする。
「最近、ハボットさんとも仲良くなさってたわね?」
「あ、私も先日エリザさんとハボットさんがご一緒に歩かれているところを見ました」
「それは……クラスメイトだもの」
仲良くしています、と言うのは何か違う気がする。離れようとしていたアイラも、自分の名前が話題に上がったせいか、気まずそうな顔をしながらエリザの表情を伺っていた。
「誰かと待ち合わせをしているかしら?お一人なら、貴方も一緒にいかが?」
ニコニコと微笑みながら、アリスは空いている椅子をアイラに勧める。ハンナは何か言いたげだが、空気を読んだのか何も言わずにじっとアイラを見つめるだけだった。
「でも、お邪魔では?」
「邪魔だと思うのなら、最初からお誘いなんてしませんわ。ねえ?」
「……ええ」
ぎこちない笑みを浮かべ、エリザはアリスと一緒に椅子を勧める。これ以上親しくなりたくないだとか、距離を取りたいというエリザ個人の意思は、この場で貫き通せなかった。
「では……失礼いたします」
この中で一番身分の低いアイラは、これ以上断る事は出来ないと腹を括ったのだろう。緊張した表情で椅子に腰かけると、気まずそうにもじもじと体を動かしている。可哀想な事をしてしまっただろうか。エリザが意地の悪い人だと思われても、この場から逃がしてやった方が良かっただろうか。
「私、本当は前から貴方とお話してみたかったの」
僅かに身を乗り出したアリスは、普段よりも柔らかい表情をアイラに向ける。びくびくと怯えているアイラは困ったように眉尻を下げているが、アリスが敵意を持っていない事は何となく理解したようで、ぎこちなくはあるが、口元に笑みを浮かべていた。
「貴方、孤児院でお育ちになったのでしょう?どうしてこの学園にいらしたの?編入試験は入学試験よりも難しいのに、孤児院では高度な教育を受けられるものなのかしら?」
つらつらと喋り続けるアリスの勢いは、エリザから見ても少々圧が強い。殆ど話をした事もない相手から迫られるのは、アイラにとっては恐ろしい事なのでは無いかと心配になった。
「え、えと……」
「まあまあ、落ち着きなさいな。ハボットさんが怯えているわ。こちらはアリス。私の古くからの友人よ」
「あら失礼。改めまして、アリス・エヴァンスよ。こちらはハンナ・プレストン」
まずは落ち着かせるために自己紹介でもしろと促したつもりだったのだが、アリスの口は止まらない。黙ったままのハンナの紹介までつらつらと進め、すっかり口を挟むタイミングを失ったアイラは、コクコクと頷きながらアリスの言葉を聞き続ける。
何故、こうも思った通りにならないのか。
げんなりと頭に手を添えたまま、エリザは冷めてしまった紅茶を飲み、窓の外に視線を向ける。
ジョージの姿は、もう見えなくなっていた。




