八話「お遊び」
吹きすさぶ風に身を竦め、上着の合わせをぎゅっと握りしめる。無意識に息を詰めてしまうのは、少しでも寒さに耐える為なのだが、どうしてそうしてしまうのかは全く分からない。
分からない事は他にもある。
アイラと全く接触出来なくなったのだ。
収穫祭までは、多少無理にでもアイラと接触し、ルイスと会話させる事が出来ていた。自分自身では優しく接しているつもりでも、悪役令嬢らしくなってしまってはいたが。
だが、収穫祭での騒動以降、キャリーがぴったりと張り付いて離れない。アイラだけに接触する事は勿論、少しでもエリザが近付こうものなら、キャリーが思い切り睨みながらアイラを連れて移動してしまうのだ。
「……解せない」
「何がだ」
「当然のように背後から突然話しかけてくる殿方がいる事かしら」
ジョージの様子もおかしい。
父に叩かれた翌日、裏庭で二人きりの時間を過ごして以降、やけにジョージが話しかけてくる事が増えたように思える。何か用事があって話しかけに来ているのかと思っていたが、会話の内容は殆ど雑談で、ジョージが満足したら勝手に去って行く。
何がしたいのか、全く分からない。
「寒そうだな」
「当たり前じゃないの!もう十二月よ?池が凍ってしまいそうよ」
「ああ、昨日凍ったらしいぞ。見に行くか」
「嫌よ、寒いもの」
「軟弱者」
ふふんとエリザを小馬鹿にするように笑ったジョージは、玄関ホール前の階段に差し掛かると、自然な動きでエリザの手を取る。相変わらず紳士的な婚約者だと感心しながら、エリザも慣れた様子でその手を取った。
「冷たいな」
「貴方の手が温かすぎるのよ」
「冷たいよりは良いだろう?」
「そうかもね」
やれやれと溜息を吐き、エリザはいつも通り二年生の教室へと足を進める。三年生の教室は階段を上らない一階の為、ジョージは階段の前で手を振って別れるのがいつもの事だった。
「……まだ何か?」
「あー……殿下が、スケートをしたいと仰せでな」
「あら、そうなの」
「俺も一緒に行かなければならない」
「そうなの。怪我には気を付けてね」
他の生徒の邪魔にならないよう、少し隅に寄りはしたが、ホームルームまであまり時間が無い。要件は早く言ってくれと苛立っていると、ジョージは視線をうろつかせながら漸く要件を言った。
「お前も、来ないか」
「……寒いから嫌と言ったじゃない」
「俺の外套を貸す」
「貴方の分が無くなるでしょう」
「で、殿下が、是非お前も一緒にと」
「ああ……それはお断り出来ないわね。分かったわ。いつ?」
「放課後、迎えに行く」
そこまで言って、ジョージは気恥ずかしそうに咳払いをしながら「それじゃあ」と言い残してさっさと三年生の教室へと歩いて行く。
取り残されたエリザは、何だったのかしらと小首を傾げるばかりだ。
「おはようございます、エリザさん」
「ああ……おはよう、アリスさん」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら挨拶をしてきたアリスは、いつもエリザと行動を共にする友人たちの一人だ。
「見ておりましたわよ。今年は春が早く訪れそうで」
「やめてちょうだい。殿下からのお誘いだからお断り出来なかっただけで……」
「どうかしら?収穫祭でもとても仲が宜しい様子でしたし」
うふふと可愛らしく笑うアリスは、遅れますよと続けながら階段を上る。彼女も婚約者がいる公爵令嬢。幼い頃からよく顔を合わせており、入学してからはいつも一緒だ。
よく、最悪の性格をした女と友人でいてくれたものだ。
「あ」
アリスを追いかけて階段を上りながら、ふと大切な事を思い出す。
これもイベントだ。何故忘れていたのだろう。
池が凍った景色を見てみようと散策に来たアイラが、たまたま遊んでいたルイス、またはジョージに誘われて一緒にスケートをする。
その場にエリザはいない筈なのだが、ジョージに誘われ、行きますと返事をしてしまった以上、本来のイベントと多少異なっているとしても行くしかない。
むしろ、間近でアイラとルイスのやり取りを眺めるチャンスだ。コソコソする必要もきっと無い。
ありがとう、ジョージ。
アリスに見えないようにぐっと拳を握りしめ、その日の授業は気分良く聞く事が出来そうだと、足取り軽く階段を上り切った。
◆◆◆
「いやああああ」
情けない声が寒空の下に響く。まともに立ち上がる事も出来ず、エリザは必死になってジョージの腕に縋りつくのが精一杯だった。
「ま、待ってお願い!離さないで!」
「……腕がちぎれそうだ」
ぎゃあぎゃあと大騒ぎをしているが、凍った池の上に一歩立っただけ。本気で呆れているジョージは澄ました顔でエリザを支え続けているが、ルイスは声にならない程腹を抱えて大笑いをして、助けてくれる様子もない。
「背筋を伸ばせ、得意だろう?」
「あ、足元が!足元の状況が違うんだもの!」
「分かった、一旦地面に戻れ」
「無理よ!もう一歩も動けない!」
涙目で無理無理と首を横に振るエリザに、笑い転げるルイス。エリザを呼んだ事を心底後悔していそうなジョージは、溜息を吐きながらひょいとエリザの両脇を抱えて持ち上げ、地面に戻した。
「……ありがとう」
「ああ」
「バートレイ嬢にも苦手な事があったんだね」
肩を震わせ、優雅に氷の上を滑りながら寄ってきたルイスは、笑いすぎたのかうっすらと目尻に涙を浮かべている。
「申し訳ございません、折角お誘いいただきましたのに」
眉尻を下げ、ルイスに向かって詫びたのだが、ルイスはきょとんとした顔で一瞬口を噤む。
しかし、にっこりといつも通り優しい笑みを浮かべると、ジョージの背中をぱしぱしと叩いた。
「や、珍しい姿が見られたから良いさ!ジョージと練習してみたらどうだい?」
「殿下、痛いです」
「昔から運動得意だものな。婚約者に良い所を見せたらどうだい?」
あはは、と声を上げて笑うルイスは楽しそうだが、不安定な氷の上に何度も立つなんて御免だ。
「乗馬が得意な事は存じておりますが、スケートも得意だったのですか?」
「ああ。毎年競争しているんだが、一度も勝てた事が無いんだ。少しくらい手加減してくれても良いものを……」
「勝負事に手加減は、相手に失礼ですので」
しれっとした顔でそう言うジョージに、ルイスはにんまりと悪戯っぽい笑みを向ける。パンと音を立ててジョージの背中を叩くと、それがスタートの合図だったのか、二人は勢い良く氷の上を滑り始めた。
「おお……」
凄まじい速度で飛び出して行った二人の背中を眺めながら、エリザは冷えた指先を擦り合わせる。動いていれば気にならないのかもしれないが、殆ど動いていないエリザには、今の気温はとても厳しい。
「あ……」
「あら」
カサリと音がしたと思い振り返った。
その瞬間、気まずそうな顔をしたアイラと目が合った。アイラはすぐさま逃げようと足を動かしたが、エリザは慌ててそれを止める。
「あ、貴方もスケートをしにいらしたのかしら!」
「ひぇ……あの、池が凍ったと聞いたので、見てみたくて……お邪魔をして申し訳ございません」
ぺこりと頭を下げるアイラはまだ逃げようとするが、今逃げられたらルイスとのイベントが発生しない。それだけは困る。絶対に阻止しなければならない。
「あ、貴方!……アイラさんは、スケート出来るのかしら」
「え?いいえ……やったことがないので、出来るかどうかもわかりません」
「そう……私もやってみたのだけれど、全く滑れなかったのよ。ご覧になって、あの二人。あっという間にあんなところまで」
競争中の二人を指差し、エリザは呆れたように溜息を吐く。冷えた手を頬に当て、もう片方の手で見てみろとルイスとジョージを指差した。
「わあ……凄いですね、あんなに速く」
「私には到底無理だわ」
素直に感心しているアイラは、エリザへの警戒心を少しだけ緩めてくれたのか、表情が少しだけ柔らかくなっていた。
「……今日は、お一人なのかしら」
「え?」
「ホップスさんと、いつも一緒でしょう?」
「あ……その、ちょっと、色々あって」
折角警戒心を緩めてもらえたのに、余計な事を言ってしまった。表情を引き攣らせ、アイラは手をもじもじとさせながら視線をうろつかせる。このままどこかへ行かれては困るが、雰囲気をすこしでも良くするにはどうしたら良いのかも分からない。
次の話題、何を話したら引き留められるだろう。オロオロと困り果てていると、シャッと氷を削る音をさせながら、ジョージとルイスがエリザの元まで戻ってきた。なんと間の良い事だろう。
「だから加減をしろと言っているじゃないか!」
「卑怯な手を使っても勝てない方が悪いのです」
「何も言えない。おや、ハボット嬢も来ていたんだね」
「こんにちは、殿下」
「良かったら一緒にどうだい?」
ニコニコと楽しそうに微笑むルイスに誘われ、アイラは嬉しそうに口元を綻ばせる。しかし、エリザがいる事を思い出したのか、ハッとした顔をして、またもじもじと手を動かした。
「……ねえジョージ、もう一度やり方を教えてくださらない?」
「構わんが……生まれたての小鹿の方がマシな程震えるのはもう勘弁してくれよ」
「そこまで酷くないわよ!」
馬鹿にするなとムキになり、エリザはジョージに掴まりながら氷の上に一歩踏み出す。その瞬間、くるりと視界が転がり、そのままステンと転がった。実に恥ずかしいが、打ち付けた尻も背中も痛い。
「酷いな」
「ああ、流石に酷い」
「……大丈夫ですか?」
心配してくれるのはアイラだけという状況に、エリザは顔を真っ赤にしながらのろのろと立ち上がる。勿論、足元はきちんと地面の上だ。
「……貴方もやってごらんなさいな。転んだら笑ってさしあげるわ」
ぶすっとした表情でアイラにそう言うと、アイラは恐る恐る氷の上に足を置く。
「きゃっ」
エリザと同じように、アイラもステンとその場で転がり、顔を真っ赤に染め上げた。
「大丈夫かい?」
「すみません……お恥ずかしいところを」
ルイスが差し出した手を取り、ゆっくりと立ち上がったアイラは、ぷるぷると震えながら氷の上に立つ事に成功する。
「怪我は無さそうだ」
「ちょっと、私の時は怪我の心配なんてしてくれなかったじゃない」
「どこか痛むのか?」
「お尻と背中が痛いわよ」
「立ち上がれているなら大丈夫だろう」
フッと笑うと、ジョージは優しくエリザの手を取り、ゆっくりと滑り出す。悲鳴を上げながら何とか転ばないように踏ん張る事しか出来ないエリザは、腰が引けた姿勢のままジョージに引き摺られる。
「上手いじゃないか」
「馬鹿にしていることはっ、分かっているんだからっ、ああ待って!止まって!」
視界の端でルイスもアイラの手を取って教えている姿は見えたが、今はそれを凝視する余裕などない。安全な地面に逃げたいのに、手を離されたら氷の上で転がるしかないだろう。
「足元を見るな。前を見ろ」
「む、無理よ!」
「馬と同じだ」
「馬は滑らないわよ!」
ぎゃあぎゃあと煩い自覚はあるが、怖くて仕方がない。例え手を握っている相手があまり仲の良くない婚約者であろうとも、今はこの男しか頼れない。
「絶対に離さないで!」
「そこまで酷い男じゃない」
「その顔は面白がってるわ!」
「どうだかな」
ニヤニヤと楽しんでいるジョージは、後ろも見えない筈なのにすいすいと滑り続ける。
推しカプの逢瀬を見守るために来た筈なのに、どうしてジョージと戯れているのだろう。これはアイラの為のイベントの筈なのに。
自然にルイスと接するように促す事が出来たのは喜ばしいが、その光景を目に焼き付けられないのは想定外だった。
「地面に戻して!」
エリザの心からの叫びは、ジョージの耳には届かないようだった。




