五話「距離感、違和感」
収穫祭まで約一か月。ゲームではそれまで大きなイベントは発生しない。それゆえ、エリザはアイラを観察しながら、自分自身の日常を送ることに忙しい。
時々アイラを尾行し、ルイスと会話出来そうな雰囲気を察知した時だけ、「あら、ごきげんよう」と声をかけ、それとなくルイスに会釈をし、その場から離れつつ、それとなくアイラをルイスの方へ向かわせるだけ。何とも簡単な事だ。
カツカツとヒールの音を響かせて歩く事にも慣れた。真直ぐ、ピンと背中を伸ばし、口元はゆったりと笑みを浮かべながら。
「ジョージ、少しよろしいかしら?」
「……何だ、わざわざ教室まで来て」
三年生の教室にひょっこりと顔を覗かせ、エリザはジョージに向かって手招きをする。不仲で有名な婚約者がわざわざ会いに来たと、他の生徒たちは僅かにざわめき、ルイスに目もくれないぞとコソコソと囁き合う声が耳障りだ。
「少し相談があるのよ。忙しい?」
「いや……殿下、少し失礼いたします」
「構わないよ。私もそろそろ帰る頃だし」
「お話中に申し訳ございません、殿下。少し護衛をお借りいたしますわね」
ぺこりと軽く会釈をしたエリザに、ルイスはひらひらと手を振って微笑んだ。ジョージは怪訝そうな顔をしてはいるが、大人しくエリザの元へ歩み寄ると、そのまま二人で教室を出て歩き出す。
「相談とは何だ?」
「収穫祭の事で少し。貴方、タイの色は何色にするつもりなのかしらと思って」
「聞いてどうする」
「色を合わせなきゃ。相談も無しに、どうやって合わせるの?」
きょとんとした顔でそう問うと、ジョージはぎょっとした顔を此方に向けた。
学園内のイベントは一年の間に様々あるが、その度に婚約者、恋人は互いに同じ色の小物を身に着けるのが恒例なのだ。ゲームのシナリオ内にもそのようなシーンは何度か出て来ており、それを思い出したエリザは早々にジョージの元を訪ねたのだ。
「……何故、俺と色を合わせる」
「え?だって貴方、婚約者じゃない」
そこまで言って、はたと気付いた。思い出したのだ。
エリザはジョージと仲が悪い。婚約者である事を嫌がっており、色を合わせるシーンは出て来なかった。
「俺との婚約は不服なのだろう。あれは仲睦まじい婚約者たちがする事だ。俺たちには不要な事だろう」
「……ええと」
どうこの場を切り抜けたら良い。深く考えず、婚約者同士でそういうイベントがあった事だけを思い出して突っ走った事を後悔した。自分が今、エリザ・バートレイとして生きていて、ジョージとは不仲である事をすっかり忘れていたなんて。
「……ごめんなさい、口実なの」
「は?」
「この間のテスト……貴方のおかげで歴史の成績がいつもより良かったわ。だから、お礼を言いたかったのだけれど……その、教室でお礼を言うのは恥ずかしかったんだもの」
苦しい。あまりに苦しい言い訳だ。しどろもどろになりながら、手をもじもじとさせて何とか言葉を紡ぎ終えたエリザは、ちらりとジョージを見る。
「学年順位も良かったわ。一番には……なれなかったけれど」
「何位だったんだ」
「……五位」
「充分だろう。良かったな」
「え?ええ……あの、ありがとう」
「ああ」
廊下の端で何の話をしているのだろう。今になって恥ずかしくなり、髪を直しながらジョージから視線を外す。
「……それで、色は何が良いんだ」
「え?」
「小物の色を合わせるのだろう。何色が良い」
「……まだ、何も考えていなくて」
「そうか。お前に任せる」
そう言って、ジョージはふっと口元を緩めて微笑む。こんなに優しい顔で笑うのかと呆けると同時に、ゲームのスチル画面を思い出す。この顔は、エリザに向けるものではない。アイラに向ける笑顔だった。
「……嫌じゃないの?」
「俺たちは婚約者だ。親が決めた政略結婚だが、仲が良いふりをするのも役目の一つとは思わないか?」
ああ、そういうことか。
フッと肩の力が抜ける。こう言われてしまうのは、エリザの過去の行いのせい。自分のせい。ぎゅっと胸が苦しくなるのは何故なのだろう。
「そう、ね。幾つか考えてみるわ」
ひくりと引き攣った口元で微笑みながら、エリザはそれだけ言って踵を返す。何故、胸が苦しいのか分からない。頭の中に響くエリザの声は、「何故お前なんかと」と喚き散らかしていた。
「エリザ」
去ろうとしたエリザを、ジョージが引き留める。くるりと振り向くと、いつも通り仏頂面のジョージが眉間に皺を寄せていた。
「何故、真っ先に殿下に声を掛けなかった」
「何故って……用事があったのは貴方だもの。でも、殿下に真っ先にご挨拶すべきだったわね。次は気を付けるわ」
「いつもなら、お前は俺に用があったとしてもまず殿下に声をかける。更に言えば、そこからしつこく話し掛け、俺への要件はその次だ」
覚えは無い筈なのに、頭の中に記憶が流れ込む。ジョージに用事じゃないのかと何度か促されても、まだ話したいとしつこくルイスに付きまとい、怒ったジョージに引き剥がされるのが常だった。
「試験の成績が良かった事を早く話したかっただけよ!」
大嘘をそれらしく話す事にはまだ慣れない。
先程口から出た出まかせを大いに利用したが、子供のような事を言ってしまったと耳が熱くなった。
「それも意味が分からない。何故俺に話す必要がある?褒めてもらえるとでも?」
「一番になれたわけでもないのに、どうして褒めてもらえるの?」
きょとんと首を傾げる仕草は、体が自然としていた。きっとこれは、エリザ本人の昔からの癖なのだろう。胸はスッと冷め、まるで心が閉じてしまったかのように表情が動かない。
一番になれたわけでもないのに。
エリザ本人の言葉のように思えた。
「五位でも充分だろう。普通なら大いに褒められる」
「貴方が何を言っているのか分からないわ」
胃の辺りが重い。それを誤魔化すように、エリザは腹の前で手を揃え、ぎゅっと握った。
「……もうよろしいかしら?迎えを待たせておりますの」
「人を呼び出しておいて……勝手にしろ」
小さく舌打ちをして、ジョージは教室へ戻るのか背中を向けて歩き出す。それを引き留める事も出来ず、エリザも背中を向けて反対方向へ歩き出した。
◆◆◆
派手な髪色である事を呪いながらあれこれ考える事三日。今日も今日とて友人たちは楽しそうで、授業を終えて迎えを待つ間、噂話の花が咲く。
「最近、ハボットさんとホップスさんが殿下と親しいそうよ」
「まあ、本来ならお言葉を頂く事すら恐れ多い身分ですのに」
クスクスと嫌な笑みを浮かべる友人たちの話を聞き流していたが、ルイスと親しいという話題は聞き捨てならない。
「詳しく」
にっこりと微笑みながら一言零すだけで、友人たちは嬉々として最近の話を聞かせてくれた。
「もうすぐ収穫祭でしょう?殿下のタイのお色を聞いているのを聞きましたの」
「まあ……色合わせでもするおつもりかしら?恋人か婚約者の習わしですのに」
うふふと口元を覆って笑ってはいるが、友人たちの目は酷く冷たい。男爵令嬢如きが王族に色目を使うなど、本来であれば許されない事。
ゲームをプレイしていた時は、身分差というものを気にした事が無い。なんやかんやあって、二人はめでたく結ばれ、幸せになりましたとさ、おしまい。それが当たり前だった。
だが、この世界はゲームの世界でも、現実なのだ。
「何色のタイにするか聞いていただけなのでしょう?世間話よ、きっと」
「まあ、エリザさんならきっと気になさると思っておりましたのに」
「気にならないわけではないわよ」
二人がお揃いの色を身に着けて、仲睦まじい様子で話している姿をこの目で見られたらどんなに良いだろう。その姿を眺める事を目標に動いているが、目的を果たす事が出来るのはまだ先の話になる。
「すまない、バートレイはまだいるだろうか」
ふいに、教室の入り口が色めき立つ。女子生徒の黄色い悲鳴が煩くて、思わずそちらを向いた瞬間、ジョージと目が合った。
「早く来い」
反射的に嫌な顔をしてしまったのは、生徒たちから一斉に注目されたせいだ。
一体なんだと言うのだ。文句の一つでも言ってやりたい気分で立ち上がると、「荷物」とぶっきらぼうに続けられた。
「……長くなる可能性があるのね」
「あらあら、婚約者同士なのだから、少しくらい遅くなっても良いじゃない」
「仲良しならね」
やれやれと溜息を吐き、荷物を持って足早にジョージの元へ駆け寄る。途中でアイラとキャリーの間を通り抜けたのだが、キャリーがこちらを睨みつけているような気がした。
「早くしろ。また迎えを待たせることになる」
「そんなに長くなるのかしら」
エリザの手から鞄をさり気なく取り、先を歩くジョージの背中を追いかける。何処へ向かうのかと思えば、中庭の一角に設置されているテラス席だった。
昼休みには昼食を楽しむ生徒で賑わうが、今はちらほらと人がいる程度で、エリザとジョージが席を取っても誰も気にしなかった。
「何の用かしら?」
「色合わせの話を持って来たのはお前だろう。いつまで経っても話の続きをしに来ないから、わざわざ俺の方から行ってやったんだ」
フンと鼻を鳴らして椅子を引くジョージは、早く座れと言いたげにエリザを見つめる。エスコートのつもりなのだろう。以前テスト勉強に付き合ってくれた時もそうだったが、彼は不仲な婚約者相手でも、紳士的に振舞う事を忘れないらしい。
「まだ三日しか経っていないわ」
「収穫祭まで一か月を切っている。三日はかけすぎだ」
大人しくジョージが引いた椅子に腰かけると、エリザが素直に座った事に満足したらしいジョージは自分の鞄から小さな革袋を取り出し、テーブルに置いた。
「なあに、これ」
「ルースだ」
「ルース……」
聞き慣れない言葉に戸惑ったが、頭に浮かんだのは「宝石」という声。
「え、何で」
「不服か?お前の事だから、どう見に付けるにしても上質な石が良いと言うのではないかと」
反論したいが、確かにエリザならそう言うだろう。名門公爵家の令嬢なのだから、上質な宝石を身に着けるのは当たり前だと。
「お前の好みが分からないのでな。適当に選んだぞ」
「待って、わざわざ買ったの?たった三日でこんなに?」
胸ポケットに入れていたハンカチをテーブルに広げ、ジョージは革袋を雑にひっくり返して宝石を出す。コロコロと出てきた宝石はどれも美しく、日の光を受けてキラキラと輝いていた。
「買ってない」
「じゃあどこから」
「……母上は気に入った宝石を買うだけ買って満足し、箱に放り込む事がある」
「勝手に持ってきたの?!駄目よ、すぐお返しして!」
「買った事すら忘れている。箱で眠らせているより良いだろう。どれにするんだ?好きな物を選ぶと良い」
しれっとした顔で言われても、未来の姑の宝石箱から勝手に持ってきたものを身に着けるなんて考えられない。駄目だと宝石を仕舞い直したいが、袋はジョージが持っているし、そもそも高価な品を触りたくない。もし万が一落としてしまったらと思うと怖くて仕方がないのだ。
正直、エリザになって暫く経ったが、自宅の物に触れる事すら恐ろしいのだ。
「制服のリボンとタイを同じ色にする程度で考えていたのに!」
「……タイピンにでもすれば良い。これなんかどうだ」
そう言って、ジョージは金色に見える石をひょいと摘まみ、エリザに重ねるように翳す。
「……派手だな」
「悪かったわね、赤髪で」
「悪いとは言っていない」
石の名前など殆ど分からない。誕生石くらいは分かるが、宝石など縁のない人生だった筈なのに、今は当たり前のように身近になってしまった。少しは、どれがなんという石なのか覚えるべきなのだろうか。
「貴方に合う色も難しいわね。何だかいつも黒いんだもの」
「制服と髪のせいだろう。家では他の色も着る」
「あら、どんな色?」
「……グレー?」
「殆ど変わらないじゃない」
思わず笑うと、ジョージは気恥ずかしそうに咳払いをしてまた別の石を摘まむ。深い紫色の石を掌でコロコロと弄ぶ姿が、何となく面白かった。
「アメジスト?」
「ああ」
沢山の石の中で唯一名前を知っている石だった。ただそれだけなのに、ジョージはそれが気に入ったと思ったのか、エリザに手渡してきた。
「悪くないんじゃないか」
「え、ええ……貴方にも合いそうだわ」
「ならそれにしよう。タイピンで良いか」
「ええ」
「手配しておく。ついでだからタイとリボンも」
つらつらと話しながら、ジョージは手早く石を袋に詰め直す。長い指が器用に宝石を摘まむ光景をぼうっと眺めていたが、いつの間にか話が決まってしまった事に気付いた時にはもう遅い。
「ま、待って!それお母様の宝石なのよね?やっぱり駄目」
「決まった話を覆すな。収穫祭までに用意するから大人しくしておけ」
面倒くさそうな顔で言われてしまうと、それ以上何も言えない。どうにかして反論したいのに、立ち上がったジョージが早くしろと手を差し出すのだから、それを反射的に取ってしまい、結局それ以上話を蒸し返す事は出来なかった。




