三話「絡んだ糸を解くように」
黙々と本を読む時間というのは、時折睡魔という魔物と戦う時間ともなりうる。それはこの数日で何度も嫌になる程繰り返しており、エリザはぐいと体を伸ばして天を仰ぐ。
「意味が分からない……何度読んでも頭に入らない……」
誰に言うでもない言葉をぼやきながら、エリザは分厚い本をパタンと音を立てながら閉じた。エリザは歴史の授業が苦手なようで、自室にしまい込まれていたノートも、沢山の書き込みがされていた。
エリザになる前から歴史の授業は苦手だったと思う。歴史上の人物の名前を覚えるのも、何年に起きた出来事なのか覚えることも、苦手だった。それはどの世界の学生でも同じらしい。
「なんで王妃が処刑されるの……しかもその後の世代で子供たちが入り乱れてる……何それ意味分からない」
ぐったりと頭を抱えながら、エリザは図書室の大きな机に肘を突いた。
過去問題では、処刑された王妃、その後王妃になった女性、その子供たちの名前と戴冠した子供の名前とその順番を全て正確に書かなければならないという問題があり、今回のテストでどのような問題として出て来ても良い様に、過去の出来事をきちんと整理して覚えようと奮闘している。
奮闘してはいるのだが、どうにも頭の中がこんがらがって理解が出来ない。
もう駄目だ。今日はこれくらいにしてやるわ!と心の内で叫び、エリザは眉間に皺を刻み込みながら鞄に本をしまい込んだ。
ちらりと視線を図書室の端に向ける。日当たりの良い席を陣取って、二人の女子生徒が隣同士の席に座り、コソコソと声を潜めながら勉強に励んでいる姿があった。アイラとキャリーだ。
数日前の昼休み、エリザの友人たちに馬鹿にされた事が悔しかったのか、キャリーは毎日のようにアイラを連れて図書室に籠るようになった。ゲームで言うところのステータス上げをされている最中なのだろう。
他にも数人の生徒が机に向かっており、二人は他の生徒の邪魔にならないようなるべく静かに話しているようで、エリザはその姿を見つめながら「頑張れ」と心の中でアイラを応援した。自分は、今日の所は撤退だ。
カツカツと靴音を響かせながら、図書室を出て廊下を進む。今日は少し勉強してから帰ると迎えの御者に朝のうちに伝えていたし、長時間待たせているような事にはなっていないはずだ。
「うーん……どうにかして覚えないと……キャラクター相関図なら覚えるの得意なのに」
ブツブツ呟きながら歩いていると、ふいに顔面に何かがぶつかる。
「んぶっ」
「……前を見て歩く事を勧める」
「……失礼」
じんじんと痛む鼻を抑え、ぶつかってしまった相手を睨む。その瞬間、胸の中には「大嫌い」「最悪」という言葉がぐるぐると渦巻いた。
「珍しいな、放課後はすぐに帰るか、殿下を追いかけ回すお前が一人で歩いているなんて」
「……ちょっと、用事があったのよ」
ハン、と鼻を鳴らすジョージは、いつも通り不機嫌そうな顔でエリザを見下すような笑みを浮かべる。何とも嫌な笑みだが、そんな顔を婚約者に向けるのは如何なものか。
いや、こうさせたのは、エリザ自身なのだろう。
「用事?殿下なら、今日はすぐお帰りになられたぞ」
「あらそう。お生憎ですけれど、私は殿下を追いかける以外にも用事があるのよ」
「殿下に近付く女子生徒を苛め倒す、か?」
ひくり、とエリザの口元が引き攣る。本当ならすぐにでも怒り狂いたいところだが、ジョージの言っている事は間違っていない。今までのエリザならば、ルイスに近付く女子生徒を追い詰め、これ以上近寄るなと威嚇をするか、二度と学園に行きたくないと泣くまで友人たちで囲んでいた。
なんとも、性格が悪い。本当に、性格が悪い。絶対に友達にはなれない。
「貴方が私をどう思っているのかはよぉく分かりました」
スッと目を細め、ジョージを見つめる。深く暗い緑色の瞳がじっとこちらを見つめているが、その圧に負けることは許されない。
下から睨め付けるように、じっくりと、蛇が絡むような視線をジョージに突き刺したまま、口角はゆったりと緩ませる。
悪役令嬢、エリザ・バートレイのスチルイラストを再現するように。
「思い込みは、いつか身を亡ぼすわよ。ジョージ・クレムセン?」
フフッと、可愛らしい声で笑ってみせた。
ジョージの眉間の皺がいつもよりも深くなる。ジョージが僅かに動揺していることは、その顔を見れば何となく分かった。
「テスト勉強をしていただけよ。図書室にいたから、怪しいと思うのなら誰かに聞きに行ったら良いわ」
スッと体を戻すと、エリザは呆れたような溜息を吐いた。
「勉強?お前が?学年上位の成績だろう」
「これでも必死に努力してあの成績なのよ。今も過去の記録の海に溺れかけて……」
そこまで言って、はたと気付く。
エリザは今二年生。目の前にいるジョージは三年生。つまり先輩だ。
先輩ならば、今エリザが苦しんでいる歴史の問題も経験済みの筈。ついでに言えば、彼はそこそこ成績が良い。
「……貴方、一応先輩でしたわね」
「ああ、一応な」
「ここ、分かる?」
鞄にしまい込んだ本を引っ張り出し、栞を挟んでいたページを開いてジョージに見せる。
怪訝そうな顔をしながらも、ジョージは本を覗き込んでくれた。
「……分かるが、何故俺に聞く?」
「貴方が先輩だからよ。分かるなら教えてちょうだい」
「教えを乞う態度か」
「……教えていただけませんか」
奥歯を噛みしめ、心底嫌そうな顔と声でそう言うと、聞いていたジョージは吹き出し、口元を手で隠しながら目を逸らす。
笑っている事は、見ればすぐに分かった。
「何を企んでいるかは知らんが……まあ、良い」
そう言うと、ジョージは廊下に規則正しく並ぶ大きな窓に近寄ると、窓台に腰かけトントンと隣を叩いた。座れという事なのだろう。
大人しくジョージの隣に腰かけると、やはり胸の中には「何でこの人の隣なんて」と嫌な感情が渦巻くが、教えてもらう立場なのだからと細く息を吐いて掻き消す事にした。
「何がどう分からないんだ?」
「全部よ!何故こうもややこしいのかしら!」
「何故……永遠の愛を信じられなかった王だったから?」
「ぶふっ」
至極真面目な顔で「永遠の愛」と言ってのけるジョージに、耐え切れずに吹き出してしまうのは仕方がない事だと思う。一応「ごめんなさい」と謝りはしたが、なかなか収まらない笑いを抑え込もうと、エリザは自分の太腿を殴りつけた。
「あ、愛が……愛があれば、私がこんなにも苦労しなくて済んだという事かしら?」
「……ああ、そうかもしれんな」
笑われた事が面白くなかったのか、ジョージは小さく舌打ちをして話を続ける。
曰く、処刑された王妃は、元は王の愛人だったらしい。ただの愛人でいれば良かったものを、欲が出た。王妃になりたいと希い、前王妃と無理矢理離縁させ、自分が王妃の座に収まったらしい。
「まあ、厚かましい」
思わず出てしまった感想に、ジョージが小さく笑った。
「王は息子を跡継ぎにしたかったんだが、王妃は娘しか生むことが出来なくてな。それがこっちの……」
そう言いながら、ジョージはエリザの膝に置かれた本をぱらぱらと捲り、一人の女性の名前を指差した。
「え、この人が王になったのよね?息子は生まれなかった?」
「ああ。だから王妃は、何としてでも息子を産もうとしたんだが……王の寵愛は既に尽きていた」
そう言って、ジョージは自身の首を手刀でトンと叩く。その仕草に、エリザは嫌そうに顔を顰めた。
その後も、ジョージは分かりやすく豆知識を添えながら話を続ける。絡み合った糸を解くように、ゆっくりと丁寧に話す彼の声は、とても優しかった。
「成程ね、だからこんなに複雑になっていたのね」
「ああ。だが、これも我が国の歴史の一部。この歴史があったから、今の我が国がある」
「痴話喧嘩というか、お家騒動というか……こんな事で私が苦労する羽目になるなんて」
「お前だけじゃない。多くの生徒が苦労する」
そう言って小さく笑ったジョージは、話は終わりだとでも言うように静かに立ち上がる。
「迎えの馬車が待ちくたびれているんじゃないか?」
「あっ」
いつの間にか窓の外は夕日で染まり、こちらを見下ろしているジョージの横顔を赤く染めていた。
「ごめんなさい、貴方まで遅くなってしまったわね」
「……珍しいものを見られたからな。良しとする」
ふっと口元を緩ませたジョージが、そっとエリザに手を差し出す。立ち上がる為に手を貸してくれるのだろう。少し迷いながらその手を取ると、優しく引っ張ってくれた。
「……ありがとう」
胸の奥がざわざわする。触れた手が、絡んだ視線が不快だ。
だが、わざわざ勉強に付き合ってくれた事への感謝はある。紳士らしく立ち上がる手助けをしてくれた事を有難くも思う。
何とも厄介だ。
元のエリザの感情と、今のエリザの感情がぐちゃぐちゃと絡み合う。これを解く事が出来るようになる日は、来るのだろうか。
「あ……」
ふいに、女子生徒の声がした。声の主の方を向けば、そこには気まずそうな顔をしたアイラと、表情のないキャリーが立っている。
「あら、ごきげんようお二人共。こんな時間まで残っていたのね」
にっこりと微笑みながら、エリザはジョージの手をそっと離し、姿勢を正す。
「図書室でお勉強を……」
「そう、もうすぐテストですものね」
「はい。バートレイさんも、お勉強ですか?」
「婚約者と話していただけよ。ああ、そういえば彼と会うのは初めてかしら?ジョージ・クレムセン、三年生よ」
手でジョージを指し示し、ちらりと視線を向ける。ジョージも「よろしく」とだけ言うと、軽く頭を下げた。
「こちらクラスメイトのアイラ・ハボットさんと、キャリー・ホップスさん。アイラさんは編入生で……」
「知ってる。殿下が気にされていた」
「あら、そうなの?いやだわ、そういうお話は私にも教えてもらわなきゃ」
気が利かない!と大袈裟な溜息を吐きながら、エリザはちらりとアイラとキャリーに視線を向ける。アイラはどうしたものかとオロオロしているが、完全に表情のないキャリーの顔は不気味で仕方がない。
能面のような、という言葉はきっと、この表情の事を言うのだろう。
「ごめんなさいね、迎えを待たせているので私はそろそろ失礼するわ。また明日ね。ジョージ、ホールまで送ってくださらない?荷物が重たいの」
「何故俺が」
「あら、婚約者なのだから、たまには婚約者らしい事をしたらどうなの?」
ぐい、と荷物をジョージに押し付け、エリザはカツカツと靴音を鳴らしてホールを目指して歩き出す。
出来るだけ、アイラにジョージを近付けたくない。ジョージは攻略キャラクターの一人なのだから、万が一にでもジョージルートに入られては困る。
何が何でも、ルイスルートに入ってもらわなければ困るのだ。
今の所イベントらしいイベントは初対面イベントのみの筈だが、ルイスはアイラを気にしているとジョージが言っていた。
認知はされている。それならまずは、最初の関門を突破すれば希望は見える。はずだ。
「ふふ、頑張らないと」
ニコニコと機嫌良く歩くエリザの隣を、ジョージは気持ちの悪いものを見たような顔で歩き続けた。




