第11話 『リンの家で勉強会』
放課後の勉強会は、なぜか三人で順番に家を回ることになった。
その最初が、わたしの家だった。
別に嫌ではなかった。
嫌ではなかったけれど、自分の部屋にありすとひよりがいる、というのは、それだけで少し変だった。
机も本棚もベッドも、いつもと同じ場所にあるのに、部屋だけが少しよそゆきの顔をしている。
家というのはそういう場所だ。
見慣れたものほど、他人の目が入ると急に落ち着かなくなる。
ありすは入ってすぐ、部屋を見回した。
本棚、机、棚の上、カーテン、壁際の箱。勉強しに来た人間の目ではない。
あれは宝探しに来た人間の目だ。
ひよりは静かだった。静かだったけれど、見ていないわけではない。むしろ、ありすより丁寧に見ていた。
机の位置、本棚の並び、置きっぱなしの文庫本、椅子の背にかけたカーディガン。ひとつずつ覚えていそうな見方だった。
「ひより、見すぎ」
そう言うと、ひよりはこっちを見た。
「見ているだけです」
「それを見すぎって言うんだよ」
とりあえず勉強会なので、机にプリントを広げた。
国語である。
「じゃあ、ここ」
「このときの作者の気持ち、ですか」
「そう」
「わかりません」
ひよりはまじめな顔で言った。
ありすが吹き出す。
「ひよりちゃんて、問題がわからないんじゃなくて本当にわからないって感じ」
「他人の事はいつも分かりません」
「リンのことも?」
そう言われて、ひよりは黙った。
「私は関係ないだろう」
「リンのことだって分かりません。理解したいとは強く思ってますが」
私は考えて言った。
「国語の問題はそんなに難しい話じゃないよ」
「そうでしょうか」
「本当の作者の気持ちなんか誰もわからないよ。ここで重要なのは、設問者の意図」
「設問者」
「そう。重要なのは、設問者はなんて答えさせたいかってこと」
「作者の気持ちとどう違うんですか」
「作者の気持ちは本文にあるかはわからない。でも、設問者の考える答えは必ず本文にある」
ひよりはじっと考えてから言った。
「テストを作った人の気持ちになって考えるってことですか」
「そう。結局ね」
「作者の気持ちは考えなくてもいいと」
「極端な話、そうだよ」
ひよりはさらに考えてから言った。
「少し、楽になった気がします」
「そう?」
「昔から、人の気持ちはわからないと思ってました。私にはわからないものなのだと。だから国語は諦めてました」
「うん」
「でも、テスト作成の意図というなら、わかる気がします」
「そんな深刻に考えなくていいよ。国語のテストは『他人の理解』だなんて大袈裟な命題の解決を求めてるわけじゃない」
ありすが割って入ってきた。
「わたしはどっちもわからないけどなー」
ありすはすっかり飽きているようだった。
立ち上がると、本棚を見に行った。
それは予想していた。
むしろよくここまでもったと言うべきかもしれない。
「リン、これ読んでるんだ」
「読むけど」
「少女漫画じゃん」
「悪い?」
「悪くないけど、ちょっと意外」
ひよりも席を立って、ありすの横に並んだ。
背表紙を見て、それからわたしを見る。
「かわいいですね」
そのあと、また机に戻って少しだけ勉強した。
少しだけ、というのは便利な言葉だ。
やったことにしたいとき、人はみんなそれを使う。
休憩しようと言い出したのはありすだった。
そして、勝手に棚を開けてお菓子を探し始めたのもありすだった。
それも予想していた。
「あ、お菓子……じゃない。アルバムだ」
「それは戻して」
「えー、見たい」
「だめ」
「見ちゃった」
「人の話聞いてる?」
聞いていないから、見ちゃった、で会話が成立してしまうのだろう。
ありすはもうページを開いていた。
小さいころの写真だった。
小さいころのわたしは、今よりずっと髪が長かった。
肩にかかるくらい。顔も丸くて、今よりずっと素直そうだった。
こんな生き物が、よくいまのわたしになったものだと思う。
「え、リン、髪長い!」
「うるさい」
「かわいい!」
「うるさい」
「なんで切ったの?」
「忘れた!」
ありすは大騒ぎだった。
それはもう、予想どおりに。
ひよりは、騒がなかった。
ただ、アルバムをじっと見ていた。
その顔は、さっき国語の文章を見ていたときより真面目だった。
「……似合っています」
「昔の話だよ」
「でも、リンです」
「まあ、そうだけど」
「今のリンしか知らなかったので」
その言い方が、少しだけ引っかかった。
今のリンしか知らなかった。
たしかにそうだ。
学校で会って、一緒に放課後を過ごして。
それは全部『今』の私だ。
でも、家にあるアルバム一冊で、『昔』のわたしが何人も出てくる。
ひよりは、アルバムの中のわたしを見たまま言った。
「でも、少しだけ増えました。私の中のリンが」
ありすが、へえー、と笑った。
家には過去が置いてある。
捨てそびれた時間とか、しまい忘れた季節とか、今の自分とつながっているようでいて、もう戻れないものが平気な顔で残っている。
そういうものは、自分ひとりで持っていると、ただの古い荷物だ。
でも、誰かに見られると、急に心が震える。
それが不思議だった。
おやつにしよう、ということになって、机の上に袋を広げた。
クッキーとチョコと、小袋のせんべい。三人でつまめば、何でもそれらしい休憩になる。
ありすはまだ写真の話をしたがっていたけれど、わたしはクッキーを口に押し込んで黙らせた。ひよりは小さく笑っていた。
「リン」
「なに」
「長い髪、ほんとうに似合っていました」
「まだ言うの」
「大事なことなので」
その言い方は、たぶん本気だった。軽く言っているのではなく、見たものをそのまま置いていくみたいに言う。そういう言葉は、変に残る。
休憩のあと、ひよりはさっきより少し素直に問題文を読んだ。
国語が急に得意になったわけじゃないだろう。
ただ、何かを見る目が、少しだけ変わったのかもしれない。
その日の勉強は、正直あまり進まなかった。
勉強会としては失敗に近い。
友達二人に、幼いころの写真を見られた。
それだけ書くと、完全に災難である。
実際、かなり災難だった。
でも、帰ったあとの静かな部屋で思い返したとき、残っていたのは恥ずかしさだけじゃなかった。
ひよりとありすが、アルバムの中のわたしを見ていた。
今のわたしじゃない、まだ何者でもなかったころのわたしを、ちゃんと見ていた。
それを少しだけ、自分のことみたいに騒いだり、笑ったり、覚えたりしていた。
たぶんあれは、過去を共有した、ということなんだと思う。
そんな言い方をすると、少し大げさかもしれない。
例えば漫画の主人公の過去を知ると、なんだかその人のことを深く知れたような気持ちになる。
そんな感じかもしれない。
過去の共有は、人と人とをほんの少し深く繋ぐのかも知れないと、その時思った。
つづく。




