第22話:【母エルナ視点】母上エルナの日常、あるいは世界一穏やかな終末
ルーフェウス辺境伯邸の朝は、今日も小鳥のさえずりと、庭から聞こえる「ドォォォォン!!」という地響きと共に始まります。
私、エルナ・ルーフェウスは、鏡の前で身だしなみを整えながら、ふふ、と微笑みました。
「あらあら。アルスさんは今日も朝から元気ですわね。……バルドさんたちの絶叫が、ここまで聞こえてきますもの」
階下へ降りると、夫のグランツ様が、真っ白な顔で食堂の椅子に沈み込んでいました。
その手には、震える文字で書かれた報告書。
「……エルナ。……聞け。……アルスが昨晩、『庭の池が凍ってて可哀想だから、温泉に変えておくね』と言ったのを覚えているか?」
「ええ、覚えていますわ。優しい子ですこと」
「……今朝、庭に行ってみたら、池どころか領地内のすべての川が、最高級の薬効成分を含んだ『乳白色の天然温泉』に書き換えられていた。……しかも、蛇口をひねれば、四十二度の適温で源泉が湧き出す仕様だ」
グランツ様は、頭を抱えて唸っています。
騎士団の皆様も、あまりの気持ちよさに朝の訓練を放り出して川に飛び込み、すっかり「湯治客」のようになっているとか。
「あら、それは素敵ですわね。お肌がツルツルになりますわ。……さあ、グランツ様。そんな怖い顔をしないで、アルスさんが作った『星屑のホットケーキ』を召し上がれ?」
私は、アルスさんが今朝「お空のキラキラを混ぜたんだよ!」と言って持ってきてくれた、本当に七色に輝くパンケーキを夫の前に置きました。
グランツ様は、一口食べるごとに「……寿命が延びる音がする」「……私の筋肉が、神話の金属に変質している気がする」とブツブツ仰っています。
夫は少し心配性すぎますわ。
食後、私は庭へ出て、アルスさんの様子を見に行くことにしました。
「あはは! シロちゃん、もっと高く飛んで! キラくん、お空に虹を描いて!」
そこには、伝説の古龍を『踏み台』にし、星神竜を『筆』のように扱って、空に実体化した「虹の滑り台」を作って遊んでいる我が子の姿がありました。
傍らでは、宮廷魔導師長のイザベラ様が「……空の光学屈折率を物理的に固定するなんて、もはや禁忌魔法を超えて『神界の落書き』だわ……!」と、鼻血を出しながら夢中でメモを取っています。
「アルスさん。遊びに夢中になるのはいいけれど、お靴を汚さないようにね」
「あ、母様! 見て見て、お空に大きいお城を作ったんだよ!」
アルスさんが空を指差すと、そこには王都からも見えるほどの巨大な『空中庭園』が、ふわふわと浮かんでいました。
……まあ、少しばかり景観が変わってしまいましたが、アルスさんが楽しそうなら、それでいいではありませんか。
「あらあら、綺麗ですこと。……アスタロトさん。アルスさんが落ちないように、見守っていてあげてくださいね?」
「畏まりました、大奥様。……アルス様が構築されたこの『空中回廊』、現在、全宇宙の重力バランスを無理やり中心に引っ張っておりますが……。私が裏で演算処理を行っておりますので、世界が潰れることはございません。ご安心を」
アスタロトさんも、すっかり有能な執事さんになりましたわ。
かつて彼が「世界を滅ぼす魔神」だったなんて、今では冗談にしか聞こえません。……お掃除の仕方が少しばかり「消滅魔法」に近いのが気になりますけれど。
午後には、隣国のシャルロッテ王女様が、アルスさんに「愛の重さ(という名の重力魔法)」を教わると言って、二人で楽しそうにお砂場で大陸の模型を作っていました。
「アルス様、この山の位置、もう少し私のお城に近づけてもよろしいかしら? その方が、あなたが遊びに来やすいでしょう?」
「いいよ! じゃあ、この山、半分こにして『トンネル』を作っちゃおう!」
アルスさんが砂山のトンネルを作った瞬間、遠くの北連峰に、直径数十キロの「巨大な貫通孔」が開いたような音が聞こえてきましたが……。
きっと、気のせいですわね。
私は、お茶を飲みながら、平和な景色を眺めていました。
世間では、私の息子が「神童」だの「創造主の再来」だのと騒がれているようです。
夫は、息子の力が国家間のバランスを崩すと、夜も眠れないほど悩んでいます。
でも、私に言わせれば、アルスさんはただの「お菓子が大好きな、心優しい男の子」ですの。
お花が枯れていれば悲しみ、お腹を空かせた人がいればパンを差し出し、冷たい風が吹けば太陽を呼び寄せる。
そんな優しい子が、自分の力で世界を少しだけ「住みやすく」しているだけ。
それを、大人の理屈で「チート」だの「規格外」だのと言うのは、少し野暮というものではありませんか?
「……あ、母様! お空の星さんたちが、母様にプレゼントを持ってきたいんだって! 呼んでもいい?」
「あら、嬉しいわ。……でも、あまり大きいのは、屋根が壊れちゃうから気をつけてね?」
「うん! じゃあ、手のひらサイズにするね! えいっ!」
アルスさんが指を鳴らすと、お昼時なのに空からキラキラと、本物の「星の欠片」が降ってきました。
それは、掌で温かく光る、最高級のダイヤモンドよりも美しい宝石。
「まあ、素敵。……ありがとうございます、アルスさん。……大切にしますわね」
私は、アルスの頭を優しく撫でました。
世界がどうなろうと、たとえ明日、月が二つに増えようと、この子の母親であることは変わりません。
私は、今日も絶叫する夫と家臣たちをよそに、平和なティータイムを続けるのでした。
……あら、そういえば。
昨日の夜、アルスさんが「パパのお仕事が大変そうだから、書類を全部『自動で判子が押される紙』に変えておいたよ」と言っていましたわね。
グランツ様、今頃執務室で腰を抜かしていなければいいのですが。
「ふふ。今日も、いい一日になりそうですわ」
次回本日12時更新




