表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
離縁されましたので、あの子の食事は明日からご自分で  作者: 蒼井玲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/9

第7話:一日ひとつ

 最初に試したのは、黄蕪だった。


 地下にいちばん多くあったからで、それ以上の理由はない。皮を厚めに剥いて、柔らかくなるまで茹でて、裏漉しして、湯で伸ばした。塩は入れなかった。初めてのものに塩を入れると、合わなかったときにどちらが原因か分からなくなる。


 朝の粥のあとに、匙の先に少しだけ載せて出した。


 ニルスさまは、それを見た。わたくしを見た。わたくしは頷いた。


 口に入れて、二度噛んで、動かなくなった。飲み込まない。口の中に入れたまま、こちらを見ている。


「出してよろしゅうございます」


 布を差し出すと、そこに出した。それだけのことで、この方は肩で息をしていた。


「よくできました。試していただいて、助かりました」


 わたくしは湯を飲ませて、口をゆすがせた。布はすぐに片付けた。片付けるところを見せない。見せると、次から出せなくなる。


 それから、帳面に書いた。


 黄蕪、裏漉し、塩なし。零口。合わず。


 合わず、と書くのは、四十七を見つけるまでに何百回もやったことだ。慣れている。慣れているけれど、書くときはいつも少し手が遅くなる。


 あの家では、この布を義母に見られたことが一度だけある。ヘルミーネさまは、布と、それからわたくしの顔を見て、こう仰った。


「ですから申し上げたでしょう。出したものを、出したとおりに」


 その日から、わたくしは布を袖に入れて持ち歩くようになった。


 その日の昼、厨に人が来た。


 振り返ると、セヴェリンさまが戸口に立っていた。入ってこない。柱に肩をつけて、こちらを見ている。


「何を作っている」

「明日の分の下ごしらえでございます」

「明日の」

「はい。人参を、水に晒しております。晒すと匂いが抜けますので」


 その人は、桶の中の人参を見た。細く切って、水に浸してある。


「昨日のは、駄目だったそうですね」

「駄目ではございません。合わなかっただけです」

「同じことでは」

「ちがいます」


 わたくしは手を止めた。


「駄目だと申しますと、あの方が悪いことになります。合わなかったのは、わたくしの選び方でございます」


 セヴェリンさまは、しばらく黙っていた。それから、桶のふちに指を置いた。


「四十七は、そうやって見つけたのですか」

「はい」

「何回」

「……数えておりません」

「数える人が、数えていない」

「そこは、数えないほうがよろしゅうございますので」


 その人は、少し笑ったように見えた。笑ったところを見たのは初めてだった。


「厨の物は好きに使ってください」と、セヴェリンさまは言った。「足りないものは村から取り寄せます。言ってください」

「では、乳を」

「週に二度では足りませんか」

「毎日いただけますと」

「毎日」

「はい。粥に落とします。落とせるようになるかどうかは、まだ分かりませんが」


 分からないものに毎日の手配をさせるのは、気が引けた。けれどその人は、頷いて出ていった。


 夕方、村から乳が届いた。


 その日のうちにだ。誰かが馬で走ったのだと思う。届けにきた娘が、ついでのように言った。


「奥さま、うちの宿に、よそのお侍さんが二人泊まってますよ」

「お侍」

「そんな格好の。三日前から。村を見て回ってるみたいで」


 わたくしは、乳の壺を受け取った手を、少しだけ止めた。三日前。わたくしたちが領境を越えた日だ。


「何かお訊きになっていましたか」

「さあ。うちの父さんとは話してたみたいですけど。館に子どもが来たかって」

「……そう仰いましたか」

「はい。父さんは知らないって言ってました。ほんとに知らなかったんで」


 娘は、それから少し声をひそめた。


「あの、奥さま。うちの父さんが言うには、お金を出そうとしたそうで」

「お金」

「話してくれたら、って。父さん、怒って帰したそうです」


 わたくしは礼を言った。言いながら、指先が冷たくなっているのが分かった。


 娘は帰っていった。わたくしはその壺を厨の冷たいところに置いて、それから、明日の粥のことを考えた。考えることにした、というほうが近い。


 翌朝。


 粥に、乳を匙で二杯だけ落とした。白くはならない程度に。匂いが変わるかどうかを見たかった。


 乳は、あの家でも三度試している。三度とも駄目だった——合わなかった。けれど三度とも、届いたその日の乳ではなかった。厨の桶に半日置いたものだ。あの家の乳は朝に届いて、あの方の口に入るのは翌朝だった。それが理由かどうかは分からない。分からないから、試す。


 鍋を火から下ろして、少し冷ました。熱いと匂いが立つ。立ちすぎると、この方は口を開けない。


 ニルスさまは、いつものように匙を取った。両手で。掬って、わたくしを見る。頷く。口に入れる。


 ひとくち。


 飲み込んだあと、その方は皿を見ていた。わたくしは待った。急がせると止まる。


 二くち目を掬った。


 口に入った。噛んで、飲み込んだ。


 わたくしは、そのとき何も言わなかった。言えば止まると思ったからだ。三くち目には手が伸びなかったけれど、それでよかった。


 帳面に書いた。


 乳、匙二杯。粥に。ふたくち。

 ——旅に出てから、初めて増えた。


 その夜、広間で、セヴェリンさまが訊いた。


「増えたそうですね」

「ひとくちだけ、増えました」

「どのくらいぶりですか」

「……三月ぶりでございます」


 答えてから、自分で驚いた。そんなに経っていたのか、と思った。あの家では、増えないことに慣れていた。慣れることのほうが、たぶん、よくなかった。


「ミリアム殿」

「はい」

「あなたは、なぜそこまでするのですか」


 わたくしは、匙を持ったまま、その人を見た。


 なぜ、と訊かれたことがなかった。あの家では、なぜと訊かれたことも、なぜやらないのかと訊かれたこともない。ただ、そこに仕事があったから、していた。仕事があるうちは、考えなくて済む。


「……分かりません」


 わたくしはそう答えた。


「申し訳ございません。考えたことがございませんでした」

「謝ることでは」

「はい」

「では、訊き方を変えます。やめようと思ったことは」

「ございません」

「一度も」

「一度も」


 それは即答できた。なぜするのかは分からないのに、やめるかどうかだけは、考えたことすらない。おかしな話だと自分でも思った。


 セヴェリンさまは、それ以上は訊かなかった。


 部屋に戻ると、ニルスさまはもう眠っていた。枕元に、木の匙が置いてある。宿場町の宿で借りた、柄の短いものだ。返しそびれて持ってきてしまった匙を、この方が持って上がったらしい。誰が置いたのかは、訊かなかった。


 なぜそこまでするのか。わたくしは、まだ答えを持っていない。

 お読みくださって、ありがとうございます。


 「駄目」と「合わなかった」は、この家ではまったくちがう言葉です。前者は子の話で、後者は作った側の話になります。三年で四十七という数字の意味は、たぶんそこにあります。


 明日は柱に小刀を入れます。傷をつけてよい柱が、この館には決まっているそうです。


【その日の献立】 麦の粥に乳、匙二杯。—— ふたくち。三月ぶりに増えました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ