第7話:一日ひとつ
最初に試したのは、黄蕪だった。
地下にいちばん多くあったからで、それ以上の理由はない。皮を厚めに剥いて、柔らかくなるまで茹でて、裏漉しして、湯で伸ばした。塩は入れなかった。初めてのものに塩を入れると、合わなかったときにどちらが原因か分からなくなる。
朝の粥のあとに、匙の先に少しだけ載せて出した。
ニルスさまは、それを見た。わたくしを見た。わたくしは頷いた。
口に入れて、二度噛んで、動かなくなった。飲み込まない。口の中に入れたまま、こちらを見ている。
「出してよろしゅうございます」
布を差し出すと、そこに出した。それだけのことで、この方は肩で息をしていた。
「よくできました。試していただいて、助かりました」
わたくしは湯を飲ませて、口をゆすがせた。布はすぐに片付けた。片付けるところを見せない。見せると、次から出せなくなる。
それから、帳面に書いた。
黄蕪、裏漉し、塩なし。零口。合わず。
合わず、と書くのは、四十七を見つけるまでに何百回もやったことだ。慣れている。慣れているけれど、書くときはいつも少し手が遅くなる。
あの家では、この布を義母に見られたことが一度だけある。ヘルミーネさまは、布と、それからわたくしの顔を見て、こう仰った。
「ですから申し上げたでしょう。出したものを、出したとおりに」
その日から、わたくしは布を袖に入れて持ち歩くようになった。
その日の昼、厨に人が来た。
振り返ると、セヴェリンさまが戸口に立っていた。入ってこない。柱に肩をつけて、こちらを見ている。
「何を作っている」
「明日の分の下ごしらえでございます」
「明日の」
「はい。人参を、水に晒しております。晒すと匂いが抜けますので」
その人は、桶の中の人参を見た。細く切って、水に浸してある。
「昨日のは、駄目だったそうですね」
「駄目ではございません。合わなかっただけです」
「同じことでは」
「ちがいます」
わたくしは手を止めた。
「駄目だと申しますと、あの方が悪いことになります。合わなかったのは、わたくしの選び方でございます」
セヴェリンさまは、しばらく黙っていた。それから、桶のふちに指を置いた。
「四十七は、そうやって見つけたのですか」
「はい」
「何回」
「……数えておりません」
「数える人が、数えていない」
「そこは、数えないほうがよろしゅうございますので」
その人は、少し笑ったように見えた。笑ったところを見たのは初めてだった。
「厨の物は好きに使ってください」と、セヴェリンさまは言った。「足りないものは村から取り寄せます。言ってください」
「では、乳を」
「週に二度では足りませんか」
「毎日いただけますと」
「毎日」
「はい。粥に落とします。落とせるようになるかどうかは、まだ分かりませんが」
分からないものに毎日の手配をさせるのは、気が引けた。けれどその人は、頷いて出ていった。
夕方、村から乳が届いた。
その日のうちにだ。誰かが馬で走ったのだと思う。届けにきた娘が、ついでのように言った。
「奥さま、うちの宿に、よそのお侍さんが二人泊まってますよ」
「お侍」
「そんな格好の。三日前から。村を見て回ってるみたいで」
わたくしは、乳の壺を受け取った手を、少しだけ止めた。三日前。わたくしたちが領境を越えた日だ。
「何かお訊きになっていましたか」
「さあ。うちの父さんとは話してたみたいですけど。館に子どもが来たかって」
「……そう仰いましたか」
「はい。父さんは知らないって言ってました。ほんとに知らなかったんで」
娘は、それから少し声をひそめた。
「あの、奥さま。うちの父さんが言うには、お金を出そうとしたそうで」
「お金」
「話してくれたら、って。父さん、怒って帰したそうです」
わたくしは礼を言った。言いながら、指先が冷たくなっているのが分かった。
娘は帰っていった。わたくしはその壺を厨の冷たいところに置いて、それから、明日の粥のことを考えた。考えることにした、というほうが近い。
翌朝。
粥に、乳を匙で二杯だけ落とした。白くはならない程度に。匂いが変わるかどうかを見たかった。
乳は、あの家でも三度試している。三度とも駄目だった——合わなかった。けれど三度とも、届いたその日の乳ではなかった。厨の桶に半日置いたものだ。あの家の乳は朝に届いて、あの方の口に入るのは翌朝だった。それが理由かどうかは分からない。分からないから、試す。
鍋を火から下ろして、少し冷ました。熱いと匂いが立つ。立ちすぎると、この方は口を開けない。
ニルスさまは、いつものように匙を取った。両手で。掬って、わたくしを見る。頷く。口に入れる。
ひとくち。
飲み込んだあと、その方は皿を見ていた。わたくしは待った。急がせると止まる。
二くち目を掬った。
口に入った。噛んで、飲み込んだ。
わたくしは、そのとき何も言わなかった。言えば止まると思ったからだ。三くち目には手が伸びなかったけれど、それでよかった。
帳面に書いた。
乳、匙二杯。粥に。ふたくち。
——旅に出てから、初めて増えた。
その夜、広間で、セヴェリンさまが訊いた。
「増えたそうですね」
「ひとくちだけ、増えました」
「どのくらいぶりですか」
「……三月ぶりでございます」
答えてから、自分で驚いた。そんなに経っていたのか、と思った。あの家では、増えないことに慣れていた。慣れることのほうが、たぶん、よくなかった。
「ミリアム殿」
「はい」
「あなたは、なぜそこまでするのですか」
わたくしは、匙を持ったまま、その人を見た。
なぜ、と訊かれたことがなかった。あの家では、なぜと訊かれたことも、なぜやらないのかと訊かれたこともない。ただ、そこに仕事があったから、していた。仕事があるうちは、考えなくて済む。
「……分かりません」
わたくしはそう答えた。
「申し訳ございません。考えたことがございませんでした」
「謝ることでは」
「はい」
「では、訊き方を変えます。やめようと思ったことは」
「ございません」
「一度も」
「一度も」
それは即答できた。なぜするのかは分からないのに、やめるかどうかだけは、考えたことすらない。おかしな話だと自分でも思った。
セヴェリンさまは、それ以上は訊かなかった。
部屋に戻ると、ニルスさまはもう眠っていた。枕元に、木の匙が置いてある。宿場町の宿で借りた、柄の短いものだ。返しそびれて持ってきてしまった匙を、この方が持って上がったらしい。誰が置いたのかは、訊かなかった。
なぜそこまでするのか。わたくしは、まだ答えを持っていない。
お読みくださって、ありがとうございます。
「駄目」と「合わなかった」は、この家ではまったくちがう言葉です。前者は子の話で、後者は作った側の話になります。三年で四十七という数字の意味は、たぶんそこにあります。
明日は柱に小刀を入れます。傷をつけてよい柱が、この館には決まっているそうです。
【その日の献立】 麦の粥に乳、匙二杯。—— ふたくち。三月ぶりに増えました。




