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離縁されましたので、あの子の食事は明日からご自分で  作者: 蒼井玲


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第21話:正しい食事

 話は、朝のうちに始まった。


 義母は、暖炉の横の椅子に座っていた。昨日は座らなかった椅子だ。わたくしは、その正面に座るように言われた。グレーヴェンの家の者は、誰も同席しなかった。義母がそう望まれたからだ。


「では、伺いましょう」


 その人は、そう仰った。


「あなたが、あの子に何をなさっていたのか」


 わたくしは、話した。


 最初の七日のことを話した。粥を薄くしたことを話した。十日目に量を増やして、零に戻ったことを話した。ひとくちのまま十四日続けたことを話した。匙のことを話した。頷きのことを話した。皿を下げる時刻のことを話した。音のことを話した。湯気のことを話した。


 四十七のうちのいくつかを、順に挙げた。


 義母は、遮らなかった。膝の上で手を組んで、まっすぐこちらを見ていた。話を聞くのが上手な方だと思った。あの家で、この人にこんなに長く聞いてもらったことはない。


 話しているあいだ、隣の部屋から音がしていた。


 マルガさんが、朝の食事をつけている音だ。昨夜のうちに、義母がそう決めた。今朝から、あの方の食事はマルガさんが運ぶ。


 匙が皿に当たる音がした。それから、声。「さあ、召し上がってくださいませ」と、優しい声で言っている。優しい声だった。本当に、優しかった。


 しばらくして、また同じ声がした。「召し上がってくださいませ」三度目も、同じだった。


 わたくしは、話を続けた。続けながら、隣の音を数えていた。あの方が匙を持ち上げてから戻すまでの間は、いつも同じだ。今日は、その間が来ない。持ち上げていないのだと思った。


 やがて、皿を下げる音がした。いつもより、二十ほど早かった。


 半刻ほど話して、わたくしは口を閉じた。


「以上でございます」

「まあ」


 義母は、そう仰った。


「たいそうなことをなさったのね」

「……はい」

「それを、三年」

「はい」


 その人は、少しだけ頷いた。


「では、それを続けたのですね」

「続けました」

「わたくしが、およしなさいと申し上げたあとも」


 わたくしは、返事に詰まった。


「はい」

「そう」


 義母は、暖炉のほうを見た。火が小さくなっていたので、わたくしは薪を足そうと立ちかけた。座っていなさい、と手で止められた。


「ミリアムさん」

「はい」

「あなたは、あの子を甘やかしたのです」


 声は柔らかいままだった。


「そうかもしれません」

「そうなのです」

「ですが」

「ですが?」


 わたくしは、膝の上の手を握った。


「あの方は、召し上がるようになりました」

「粥をね」

「はい」

「粥を召し上がる七つの子を、あなたは立派だとお思いになりますか」


 わたくしは、答えられなかった。


「あの家の卓には、肉が出ます」と、義母は続けた。「豆も、菓子も出ます。あの子は、それを食べられるようにならなければいけないのです。いつまでも粥では困るでしょう」

「困ります」

「そうでしょう」

「ですが、順番がございます」

「順番」

「まず、召し上がれるものを増やします。そのあとで、硬いものへ移ります」


 義母は、こちらを向いた。


「そのお話は、何年かかりますの」

「……分かりません」

「分からないのですね」

「はい」

「わたくしは、三年で終わると申し上げているのです」


 その人は、微笑んだ。


「出したものを、出したとおりに召し上がる。それだけのことです。三日もすれば覚えます。子どもというのは、そういうものですよ」

「三日で」

「ええ」

「三日、何も召し上がらなかったら、どうなさいますか」

「四日目には召し上がります」


 わたくしは、その言葉を聞いていた。


 この人は、嘘をついていない。嘘をついているなら、目が動く。この人の目は動かない。本当にそう信じている人の目だった。


「お義母さま」

「はい」

「ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

「どうぞ」

「そのやり方は、どなたからお習いになりましたか」


 義母の指が、膝の上で一度だけ動いた。


「習う、というものではございません」

「では」

「そういうものです。昔から」

「昔から、と申しますと」

「わたくしが嫁いでまいりましたときには、もうそうでした」

「では、その前は」

「その前のことは存じません」


 義母は、そこで少しだけ言葉を足した。


「わたくしも、そう申し上げられて育ちました」

「……お義母さまも」

「ええ。出したものを、出したとおりに。当たり前のことでございましょう」


 その人は、当たり前と言った。言い方に、力が入っていなかった。力が入っていないぶん、深いところにあるのだと分かった。


「そのころは、お辛くはございませんでしたか」


 訊いてから、踏み込みすぎたと思った。


 義母は、少し黙った。それから、微笑んだ。今日いちばん、きれいな微笑み方だった。


「辛いも何も、そういうものですから」


「書いたものは」

「ございません」


 わたくしは、そこで少し前に出た。


「わたくしは、書きました」

「存じております。ご丁寧に」

「あれを、お読みいただけませんでしょうか」

「読みますよ」

「いつ」


 訊いてしまってから、失礼だったと思った。義母は、怒らなかった。この人は怒らない。


「ミリアムさん。あなたは、よくやってくださいました」


 そう仰った。


「わたくしは、それを認めております。あの子はあなたに懐いておりますし、それは悪いことではございません」

「……はい」

「ですから、もう、よろしいのです」


 もう、よろしい。


 その言葉が、部屋の中に落ちた。


「ズザンネさんも、同じことをなさいました」


 わたくしは、顔を上げた。


「ズザンネさまも」

「ええ。厨で、別のものをお作りになって」


 義母は、暖炉を見たまま仰った。


「あの方は、わたくしの申し上げることをお聞きになりませんでした。ですから、あの子はああなったのです」


 わたくしは、その言葉の順番を、頭の中でもう一度並べ替えた。


 並べ替えても、同じだった。この人は、そう信じている。


 部屋を出て、わたくしはしばらく廊下に立っていた。


 隣の部屋の扉が開いて、マルガさんが出てきた。皿を持っている。粥は、減っていなかった。表面に膜が張っていた。


 その人は、わたくしを見て、頭を下げた。


「……申し訳ございません」

「謝ることではございません」

「頷きは、なさいました。仰ったとおりに」

「はい」

「それでも、口を開けてくださいませんでした」


 わたくしは、その皿を見た。


 頷きは、正しかったのだと思う。この人は真面目な方だ。足りなかったのは、頷きの前にあるものだ。千を超える朝が、その頷きの後ろに積まれている——それを、あの方の体が知っているかどうか。今日から始めた人には、それが無い。


「明日も、なさってください」

「……よろしいのですか」

「よろしいも何も、明日も朝は来ますので」


 厨へ降りると、台の隅に林檎が三つ出ていた。


 昨夜、わたくしが籠へ戻したものだ。


「ギゼラさん」

「なんだい」

「これは」

「朝には出てたよ」


 その人は、鍋のほうを向いたままだった。


「あたしが出したんじゃないよ。それだけは言っとくよ」

「では、どなたが」

「訊きなさんな」


 わたくしは、林檎を取った。取ってから、しばらく手に持っていた。


 昼の粥は、わたくしが炊いた。


 義母には申し上げなかった。マルガさんにも申し上げなかった。いつもの時刻に、いつもの濃さで炊いて、いつもの器に取っただけだ。


 部屋へ入ると、ニルスさまは起きておられた。朝から、そのままでいらしたのだと思う。


 器と匙を渡して、それから、いつもの場所に立った。その方の左で、少し下がったところだ。三年、そこに立っている。


 その方は匙を取った。両手で取って、掬って、それから、わたくしを見た。


 わたくしは頷いた。


 匙は、口の手前で止まった。昨夜と、同じところだった。


 止まって、それから、動いた。


 器を下げて、廊下へ出て、扉を閉めた。閉めてから、壁に手をついた。


 ひとくちだ。昨夜が零で、今日がひとくち。増えたのは一口で、あの家の卓に並ぶものは、何ひとつ召し上がれていない。義母の仰ることは、何ひとつ間違っていない。


 それでも、わたくしはしばらく壁から手を離せなかった。


 昼過ぎに、セヴェリンさまが書斎へわたくしを呼んだ。


 机の上に、あの束が置いてあった。革紐は、まだ結んだままだった。


「開けます」


 その人は、そう言った。


「今日でなくとも」

「今日です」

「……はい」

「あなたに、立ち会っていただきたい」

 お読みくださって、ありがとうございます。


 義母は今日、一度も声を荒げず、一度も嘘をつきませんでした。嘘をついていないというのが、いちばん困るところです。


 机の上に、革紐で綴じた束。鋏は取ってきてあります。


【その日の献立】 麦の粥に乳。—— ひとくち。零からは戻りました。

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