第15話:よく食べる子でした
朝の粥のあと、わたくしは厨の台に十二冊を並べた。
一冊目を開いて、十七の書き込みに紙を挟んでおいた。挟んだ紙が、一冊目から十七本、はみ出している。その横に、子どもの頃の帳面を置いた。鳥のことが書いてある一冊だ。
ギゼラさんが、豆を選りながら訊いた。
「なんだい、それ」
「調べものでございます」
「調べもの」
「はい。……ギゼラさん、ひとつ伺ってもよろしいでしょうか」
「言ってごらん」
「この館で、お子さまが食べないということは、ございましたか」
ギゼラさんは、手を止めた。
「食べない子ってのは、そりゃいるよ。好き嫌いだろう」
「そうではなく。何を出しても食べない。出せば戻す。そういうお子さまです」
「……見たことないね」
「四十年で、一度も」
「一度もないよ。ここは兵の家だ。食わない子は冬に死ぬ。だから食う」
乱暴な言い方だったけれど、そのとおりだと思った。
「ズザンネさまは、いかがでしたか」
ギゼラさんの手が、また止まった。
「お嬢さまかい」
「はい」
「よく食べたよ」
その人は、豆をひとつまみ椀に落とした。
「小さいのに、坊っちゃまと同じだけ食べてね。あたしが減らそうとすると怒った。九つで王都へ行くって日の朝も、いつもどおり食べていったよ」
わたくしは、そこで一度、息を吸った。
「よく召し上がった」
「ああ」
「よく召し上がるお子さまでした」
「そう言ってるだろう」
その日の午後、書斎へ行った。
セヴェリンさまは領地の書類を見ていた。わたくしは、扉のところで訊いた。
「ズザンネさまは、いつご結婚なさいましたか」
「二十歳です」
「お亡くなりになったのが、二十四」
「はい」
「では、四年」
「四年です」
その人は、書類から目を上げた。
「なぜ、そんなことを」
「痩せていかれた、と仰いました。最後の年は、行くたびに細くなっていたと」
「……はい」
「いつからでございましょう。嫁がれた年からですか」
「いいえ」
セヴェリンさまは、少し考えた。
「最初の年は、変わりませんでした。二年目に子が生まれて、そのあたりから」
「ニルスさまがお生まれになってから」
「はい」
わたくしは、扉の枠に手をかけた。
順に、並べてみる。ズザンネさまは、よく食べる子だった。九つで王都へ出て、二十歳で嫁いだ。嫁いだ最初の年までは変わらなかった。子が生まれた年から、痩せはじめた。そして四年目に亡くなった。ニルスさまが二つのときだ。
その子は、いま、何を出しても食べない。
「血ではございません」
わたくしは、そう言った。
「セヴェリンさま。あの方が召し上がれないのは、生まれつきではございません」
「……どういうことですか」
「ズザンネさまも、あの家でお痩せになりました。それより前は、よく召し上がったのです。ギゼラさんがそう仰いました」
「妹は病です」
「病かもしれません。ですが、始まった場所が同じでございます」
わたくしは、自分の言っていることの重さを、言いながら測っていた。
「お二人とも、あの家に入ってから、食べられなくなっておいでです」
セヴェリンさまは、椅子から立ち上がった。立ち上がったまま、何も言わなかった。
わたくしは、続けた。続けるほかなかった。
「それから、もうひとつございます」
「なんですか」
「わたくしでございます」
その人が、こちらを見た。
「わたくしも、あの家で食が細くなりました」
言ってから、自分でも驚いた。考えていたわけではない。口に出して、初めて思い当たった。
あの家で、わたくしは朝と昼を抜くようになっていた。厨で立ったまま、鍋に残ったものを食べていた。夜は広間で夫と義母と食べる決まりだったけれど、味を覚えていない。いつからか、ということも思い出せない。
こちらへ来てからは、三度食べている。薄い粥を残さず食べて、ギゼラさんの豆も食べる。それが当たり前だと思っていたけれど、当たり前ではなかった。
「気づいておりませんでした」
わたくしは、そう言った。
「痩せたとも思っておりませんでした。ただ、食べる時間がないのだと思っておりました」
セヴェリンさまは、窓のほうを向いていた。
「ミリアム殿」
「はい」
「あの家に、毒があるとお考えですか」
「いいえ」
それは、はっきり否定できた。
「毒でしたら、三年で気づきます。わたくしは三度、あの家の食事を一日ぶん全部つくってみたことがございます。何を入れられているのか確かめるためです。何も入っておりませんでした」
「では、何が」
「……分かりません」
わたくしは、正直にそう言った。
「ですが、義母さまが仰ったことがございます。わたくしが嫁いだ日に」
あの廊下での、ことだ。立ち止まりもせずに歩きながら、扉の前で振り返って、はじめてわたくしを見た人。
「甘やかしては駄目。出したものを、出したとおりに食べさせなさい」
言ってから、自分の声が固くなっているのに気づいた。
「わたくしは、その言葉を守りませんでした。守らなかったので、四十七見つかりました」
セヴェリンさまは、窓を見たまま訊いた。
「守っていたら、どうなっていましたか」
「……」
「ミリアム殿」
「守っていた方が、いらしたはずです」
わたくしは、そう答えた。
ニルスさまが生まれてから、亡くなるまでの二年。あの家で、あの子に食べさせていたのは、誰だっただろう。
その夜、わたくしは新しい紙を出して、線を引いた。
左に、あの家で出されていた献立を書き出す。決まりの献立だ。朝はこれ、昼はこれ、夜はこれ。三年見ていたから、全部書ける。右に、四十七を書き出す。わたくしが見つけたものだ。
途中で、厨の戸が開いた。
ギゼラさんが、椀をひとつ持って入ってきた。湯気が立っている。豆と、干し肉を煮たものだった。
「食べな」
「まだ仕事が」
「食べな」
椀を、紙の横に置かれた。置き方が乱暴で、汁が少しこぼれた。
「あんた、夜に何か食べたかい」
「……いただきました」
「いつ」
「昨日でございます」
言ってから、間違えたと思った。訊かれたのは今日のことだ。
ギゼラさんは、何も言わずに椅子を引いて、向かいに座った。わたくしが匙を取るまで、そこにいた。
豆は柔らかかった。四十年やっている人の、豆だ。半分ほど食べたところで、わたくしは手を止めた。止めたくて止めたのではない。
「なんだい」
「……おいしゅうございます」
「そりゃそうさ」
「申し訳ございません。少し、待っていただけますか」
ギゼラさんは待った。わたくしが食べ終わるまで、何も言わずに待っていた。
書き終わるのに、夜半までかかった。
二つの列を見比べて、椅子に座り直した。
お読みくださって、ありがとうございます。
「血ではない」は、この回でいちばん大事な一行でした。血のせいにしておくほうが、誰も傷つかずに済みます。誰も傷つかない代わりに、誰も助かりません。
卓の上に、二枚の紙。左はあの家の献立、右は四十七。重なっているものを、明日数えます。
【その日の献立】 麦の粥に乳、蕪、林檎ひときれ。—— みくち。




