此岸と煉獄、衆生と中陰
本編中で八千斑が此岸と煉獄、衆生と中陰について説明していましたが、状況が状況だけに詳細を語りきれていないので、解説を挟んでみることにしました。
この物語において、日本は三層構造となっています。
罪を犯さなかった、あるいは償って赦された死者が転生までを過ごす極楽。
人間、鳥獣、魚、虫など生命を持つもの全般『衆生』が生きる此岸。
罪を犯した死者が裁判ののち、罪穢を払い落とすために罰を受ける地獄。
此岸には、薄皮一枚を隔てて煉獄という空間が隣り合っています。
煉獄というのはカトリックの概念で、天国にも地獄にも行けなかった霊魂が罪を清める場所とされていますが、この物語においては、衆生が亡くなり、俗に言う幽霊である『中陰』となった瞬間に飛ばされる、いわゆる死後の世界です。
普通、中陰は煉獄に行った瞬間、平等に三途の川に導かれますが、あまりに強い未練を抱えていると煉獄から離れられなくなります。衆生には例外を除いて中陰が見えませんが、中陰は衆生が見えるからです。
此岸において、衆生は中陰を視認できず、干渉もできません。
煉獄において、中陰は衆生を視認できますが、干渉はできません。
八千斑も言っていたように、此岸と煉獄の境目は膜と喩えられる薄いものですので、霊的存在の力が濃いところでは更に薄くなったり、穴が開くことがあります。
薄くなった部分からは衆生も中陰を視認でき、中途半端な干渉を受けることもあるため、死んだはずの家族に会えたとか、恐ろしいものを見て体調を崩したとか、そういったことからパワースポットや心霊スポットが生まれるわけです。
中陰は、ただ煉獄に居残っているだけならば特に問題はありません。
そのうち地獄から警察的なものが来て連行されるか、八千斑のような霊能力者に除霊されるか、時間とともに自我が薄れて最終的に消滅するかです。
問題は、開いた穴から中陰が此岸に来てしまったとき、そしてその中陰が悪意ある存在だったときに生じます。
『此岸において衆生は中陰に干渉できない』『煉獄において中陰は衆生に干渉できない』は世界そのものに定められた絶対的なルールですが、中陰(衆生)が此岸(煉獄)に来てしまった場合のみルールが崩れます。
衆生は此岸にいますので『此岸において衆生は中陰に干渉できない』というルールが適用されますが、中陰のルールは『“煉獄において”衆生に干渉できない』ですので、此岸にいる場合は適用されません。
善良~平凡な中陰であれば、家族ともう一度話したいとか、片想いの相手に会いたいとか、嫌いなやつを一発殴りたいとか、そういった干渉で収まるでしょうが……
なので第一~三章において八千斑は、その一方的なルールを取り払って『最初っから同じ土俵に立てるように』するため、霊符を南羽邸に貼りまくったり、狸喜堂内部や一杭山に放ったりしていたわけです。
(余談ですが、第二章で『此岸と煉獄が中途半端に混ざると空間が歪む』という現象が起きていましたが、八千斑が第三章で仁道とウィンタニアの傷に霊符を貼っていたのもそれの応用です。死者の世界である煉獄には細菌がいないので、衆生の傷に霊符を用いるとその部分だけ感染や腐敗を遅らせられます)
なお、八千斑は中陰の中で、意識的・無意識的に関わらず衆生に害を為すものを悪霊、正気と人間の形を失った悪霊を怪異と呼んでいます。
ちなみに八千斑の能力ですが、本人の言う通り裁きでも赦しでも救いでもなく、罪の重さに応じて三途の川~裁判所に送るだけのものとなっています。
中陰は煉獄に長く留まっていただけでも罪になるため、できれば正気で反省しながら三途の川を渡ったほうが十王からの心証も良くなります。
八千斑は悪霊・怪異を強制的に祓うこともできますが、好き好んで罪を犯した悪人でない限りはなるべく罪を軽くしてやりたいので気は進まないようです。
長々と解説しましたが、
・人間がいるこの世→衆生がいる此岸
・幽霊がいるあの世→中陰がいる煉獄
・衆生と中陰はお互い干渉できないが、例外がある
・人に害を為すのが悪霊、正気と人間の形を失った悪霊が怪異
だけ覚えておけば大丈夫です。
読んでいただきありがとうございました。




