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八千斑怪異探偵事務所  作者: 紐縁 椿四句
第三章 光芒見えて
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終 過去が呼んでいる

 豪華絢爛。

 それ以外に、そしてそれ以上に、この部屋を表せる言葉は無かった。

 高い天井から吊り下げられたシャンデリアの、曇り一つ無いクリスタルガラスの輝きが、白い壁を鮮やかに彩る絵画の額縁に反射して、まるで貴族や王族のために誂えられたような空間を、ますます際立たせている。

 部屋の中央に置かれた、皺ひとつ、染みひとつ無い純白のテーブルクロスがかけられた、端の席から端の席まで声が届くのか怪しいほどの長大なテーブルには、ずらりと列を成す給仕によって、次々と料理が運ばれていく。


 たっぷりとバターが載せられた、分厚いビーフステーキ。

 表面でばちばちと油がはぜている、巨大なエビフライ。

 皿からはみ出しそうなほど、豊かに卵が使われたオムレツ。

 紅生姜が振りかけられた、昔風の黄色いカレーライス。

 ジャムがごってりと塗られた、山積みのトースト。

 鍋のまま、ぐつぐつと煮えるすき焼き。

 山吹色の衣が香ばしい、天ぷらの盛り合わせ。

 沢庵漬けが添えられた、一膳の白飯。

 繊細な飾り切りがされた、見るからに甘く熟れたメロン。

 ウエハースが刺さった、バニラのアイスクリーム。


 それだけではない。

 料理名を列挙するだけで本が一冊は作れそうな勢いで、和洋中のジャンルを節操無しに、主食も主菜も副菜もデザートも、高級なものから庶民的なものまで、ありとあらゆる料理がテーブルを埋めていく。

 その、欲しいものを欲しいだけ注文したとしか思えない、混沌としたメニューを配膳する女たちはみな揃いの黒い着物に身を包んでおり、美しく整った顔立ちに、とびきりの笑顔を浮かべている。

 これだけの部屋に、これだけの人数で、これだけの品数を運んでいるにも拘わらず、席についているのは一人だけだった。


「……うん。いいよ、いいよ、君の好きにするといい。今度はもっと、素敵な駒が手に入るといいねえ……お金? あはは、好きなだけ持っていきなよ。腐るほどあるんだから、使わなきゃ損ってものだろう?」


 跪いた女が掲げ持つ、古めかしい黒電話の受話器に向かって朗らかに笑う声は成人した男のものであるが、本当にそうであるかは判別できない。

 その顔は、猿を模した木製の面に隠され、その肢体は、明らかにサイズが合っていない、上下ともにぶかぶかの紋付き袴で覆われている。


「……ああ、ごめんね。長電話をして。楽にしていいんだよ」


 受話器を置き、猿面の男は優しく言うが、電話を掲げ持つ女は姿勢を崩さない。

 どうやら、悪趣味極まりないことに、生ける電話台であるようだ。

 そして彼女もまた、美しく、気品があり、とびきりの笑顔を浮かべている。


「ねえ、一杭山が焼けたんだって。誰の仕業だろうね」


 一通りのカトラリーが用意されているというのに、男は指でメロンの一片をつまみ上げ、面の下側に押し込んだ。

 噛み砕かれた実と果汁がぼたぼたとテーブルに落ちたのを、配膳を終えて彼の背後にずらりと控えた女たちの一人が、その手の平で拭き上げる。


「――ケケッ! タンテーサン! スーパースター!」


 男の問い掛けに応えたのは、一杭山にいた、あの人面猿である。

 手掴みでカレーライスを貪っており、顔中がソースにまみれている。


「探偵は分かるけど、スーパースター? 本当にそう言ってたの?」

「マジ! マジ!」

「言葉遣いがなってないねえ。馬鹿な餓鬼が煙草でも落としたかな」


 溜息をついて、今度はエビフライをつまみ、面の下側に押し込む。

 ぐちゃぐちゃと、口を開けたまま噛んでいるとしても異様な咀嚼音が響く。

 衣と油で汚れた手を背後に差し出せば、そこに控えていた女がその手を恭しく両手で包み、笑顔を少しも崩すことなく丁寧に舐め取った。


「ケケッ、ケ、ジュブツ、ジュホウ、オハルノウツシ……」

「……へえ。それを知ってるんだ。どんな人だった?」

「バケモノ! ヒト! バケモノ! キャキャキャキャ!」

「もう、ちっとも参考にならないじゃないか」


 人面猿はテーブルの上を荒らし回り、貪り食いながら、八千斑と仁道、ウィンタニアが話していたことを断片的に叫んでは、耳障りな声で甲高く笑う。

 男は幼い我が子が元気に暴れているのを見守る親のように、テーブルに頬杖を突いて猿を見守っていたが、


「ケケ、コワイ、コワイコワイ、コロサレタ、ニクイ、ニクイ、コロシテ……キャハ、キャハハ……オハル、ツキヒコ、アイシトッタッ!」


 瞬間、顔色が変わったのが、仮面越しでもはっきりと分かった。

 男の全身から、殺意が噴き出す。

 それでも、みな笑っている。

 電話台の女も、背後に控える女たちも、人面猿も。


「……おはる……おはる。おはる、おはる、おはる、おはる……」


 男はぶつぶつと呟きつつ、椅子の足元に立てかけていたものを掴んだ。

 遊環の通されていない錫杖。

 それを、笑顔のまま動かない人面猿に、躊躇無く振り下ろした。


「おはる! おはる、おはる、おはる! うう、ううう、あ、あの淫売ッ! くそっ、くそ、馬鹿に、馬鹿にしやがって、僕を、僕を!」


 一撃で、頭が割れた。

 脳漿が散り、飛び出した目玉がすき焼きの鍋に落ちる。

 致命傷だが、男は錫杖を振るう手を止めない。


「僕っ、僕というものがありながら! あんな、あんなくだらない男を! 淫乱女、僕を、僕を笑ってたんだろう、おはる、何も知らない僕を、笑ってたんだろう!」


 皮が裂け、肉が潰れ、骨が砕ける。

 原形を失っていく。

 ただの肉塊に変わってゆく。


「うう、うううう……ああ、あああ、それでも、それでも愛してるんだ、愛してるんだよお、おはる、愛してる……憎い、憎い憎い憎い、憎いよお、憎い、おはる、おはる、おはる……」


 挽き肉と化した人面猿を見下ろして、男はようやく止まった。

 肩で息をしながら、女たちを振り返る。

 返り血と脳漿にまみれた仮面の、虚無の双眸に見つめられても、誰も彼も、笑顔のまま背筋を伸ばして立っている。


「……すまないけれど、片付けてくれるかな。その子も、料理も」


 数秒前までの狂乱が嘘のように、甘ったるい、優しい声。

 女たちは一斉に頷き、てきぱきとテーブルを片付け始めた。

 まだ手のつけられていない料理と、人面猿だったものが、一緒くたにゴミ箱に流し込まれていくのを無言で見守っていた男は、ふと、一人に目を留めた。

 猿の一番近くにいた女だ。

 返り血で、顔や手が真っ赤に染まっている。


「ねえ、君。これも綺麗にできるよね?」


 ずいと突き出された猿の(かお)に、女はただ笑みを深める。

 その表情には僅かな嫌悪感も見当たらない。

 こうしていなければという使命感も無い。

 全く以て、自然な、美しい微笑。

 だが、足元には、失禁の水溜まりが広がってゆく。


「月彦様。貴方様のご所望とあらば、喜んで」


 女が仮面に舌を這わせると、月彦と呼ばれた男は仮面の奥で満足げに笑った。

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