402.足跡は一つ
落下前に展開できたリーフの重力制御の魔法は水面に激突する寸前にかろうじて間に合った
だが落下の衝撃全てを抑え込めるはずもなく、大きな衝撃と共に二人は水中に墜落した
「ゴブリンハーフが崖に落ちたぞ!」
「追え!逃がすな! 止めを刺すんだ!」
村人の怒号が響く声をはるか遠くに感じながら、リンファは意識をなくしていった――――
それからどのくらいの時間がたっただろうか
1分程度にも何時間にも感じられたそのまどろみは体中から鳴り響く激痛で強制的に覚醒させられた
「ッ―! こ、ここは……!?」
「目覚めたか、無事で何よりだ」
状況を掴めずわずかに混乱するリンファ背負ったリーフが安堵の声を上げる
「あ、あぁ……そうか 僕らは川に……」
「そうだ、お前に落とされたんだよ やるかも知れんとは思っていたが、まさか本当に実行に移すとは思わなかった」
「ご、ごめん……」
「言いたいことはあるがまずは逃げるぞ、幸か不幸か人間共もこの事態は想定してなかったんだろう……なんとか撒けそうだ」
リーフは少し不機嫌そうにリンファを背負い直そうとするが、リンファは申し訳なさそうにその背中から降りようとする
「だ、大丈夫だよ…… 歩けるから降ろして……痛ッ」
「無理するな、傷は深い……あの時人間が撃った矢から私をかばっただろう? 矢は抜いて消毒はしたが傷は塞ぎきれてはいないからな、痛むはずだ」
「う、うん……」
「馬鹿な真似をしたものだ…… 命を大事にしろ」
背中に受けた矢傷には手当された形跡があり、治癒魔法で止血をしたのであろうケロイド状の跡が残る
実際のところは治癒魔法を施したが回復以上に傷口の損傷が著しかったためリーフが断念したという経緯があった
「……」「……」
沈黙が重く漆黒の闇にのしかかる
兄が下の子をおぶって暗い道をただ歩く
それは見ようによっては微笑ましい光景だったのかもしれない
けれどその道行に暖かい夕餉と母の笑顔などはなく、その道はあまりに暗かった
「リンファ……お前はこれからどうするつもりだ?」
「ど、どうするって……」
「もうお前は人里に紛れることはできないだろう、飛翔島まで戻ることができればいいが……ここからはあまりに遠い」
リーフは空を見上げる
ゴッデスの力の影響か、星の瞬きはあまりにか細いがリーフはそのわずかな星の瞬きからある程度の現在地を見極めていた
「今のお前にここから飛翔島に歩いていくのは無理だろう……健脚でも数日はかかるし、ましてや隠れながらとなるとなおのことだ」
再び沈黙が訪れる
リーフはリンファの重さを感じたまま下を向いたまま視線を何度か泳がせた
「リンファ……このままではお互い共倒れだ、お前さえよかったら……北の……」
「僕は……飛翔島にもゴブリン達のところにも……行くつもりはないよ……」
リーフの言葉を遮るように、リンファが消え入りそうな声で言葉を放つ
漆黒の闇にかき消されてしまいそうなほど小さな声だったはずなのに、まるで拡声器で放たれたようにリーフの耳に響いた
「な、なに……?」
「僕は……王都に戻る」
「王都に戻るだと!? お前まさか!?」
「王都に戻ってもう一度戦う……今度は勝つ ゴッデスを止めるんだ」
リンファはそういうとリーフの背中から降り立つ
まだおぼつかない足では着地の衝撃にすら耐えきれずリンファは膝をついてしまう
それでも左拳を地面に突き立てゆっくりとリンファは立ち上がった
「何を言ってるんだお前は!? たった一人で何ができる! ゴブリン達のところに来い! あそこにはアバカスや他の仲間がいるんだ!」
「ダメだよリーフ、僕は四六時中アイツに……母さんに見られている 誰かに頼ればきっと危害が及ぶ」
リンファはそういうと空を睨む
何も見えない漆黒の空だったけど、リンファはその視線をずっと感じていた
自分が傷つき苦しむ様を喜ぶ母の姿が、浮かんでは消える
「ふざけるな! そのくだらないふざけた自己犠牲を捨てろ! もうこれはあの女とそれ以外の生物の総力戦……お前が一人戦ってどうにかなる問題じゃないんだぞ!」
「僕が希望を持った瞬間にその希望を一瞬で殺せる力をアイツが持ってるのはわかってるだろ? それこそ神の力でどこに居ようと何をしていようと!」
「それがどうした!? どうせ遅かれ早かれ皆殺されるのならそれもまたやむなき犠牲だろう! それが総力戦だ! どっちかを全滅させるかの戦いになっているんだよ!」
「僕はもう誰にも死んでほしくないんだよ! 人間も!ゴブリンも!他の全ての生き物も! あの人のせいで誰も死んでほしくないんだよ!」
怒りの声を上げるリーフの声を上回るほどの声量でリンファが叫ぶ
その顔はグシャグシャに泣き崩れ、食いしばる口からは緑の血がにじんでいた
「僕が手を伸ばせばその伸びた先の希望を、アイツは嬉々として踏み潰す……! だから僕は一人で戦う、誰かが傷つくぐらいなら僕が傷つくって決めたんだ……!」
「ば、馬鹿を言うなリンファ……! せ、せめてどこかで傷を癒そう、ゴブリンの集落ならまだ無事なところも……」
手を差し伸べようとしたリーフの視界が突如眩く輝く
その変化に気付いた瞬間に空が稲光で荒れ狂い、リンファとリーフめがけてその雷が降り注いだ
「なっ……!?」
声を上げる暇もなく天雷はリーフとリンファの周囲の樹々に直撃し焼き払い、電紋が大地に刻まれ森が炎に包まれた
小動物が炎にまかれ、逃げ惑う
逃げ切れなかった生き物は炎に包まれのたうち回り、そして生きることを諦めるように……動かなくなった
蝕む炎の燃え盛る音の中に、リンファは聞いた
母の嬉しそうに笑う声を、確かに聴いた
「自己犠牲なんかじゃないんだ……これは……」
炎に照らされたリンファの顔はまるで、フロードの様に無表情だった
そしてリンファはリーフに背中を向けると、ゆっくりと歩き出した
「待てリンファ! 待て……」
追いかけようとするリーフの眼前に天雷が落ちる
その雷に一瞬呆気にとられた後、その眉を吊り上げてリーフは天を睨み叫んだ
「ゴッデス……! お前は自分の子どもをなんだと思ってるんだ! リンファは……リンファはお前のおもちゃじゃないぞ!」
叫ぶリーフの声に答える声はない
リンファはその叫びを立ち止って聞いた後、左手を背中越しにゆっくりと振って……歩き出した
「リンファ! リンファー!」
燃え盛る炎の爆ぜる音に混じってリーフの叫びが耳を打つ
けれどリンファはその声を聞きながら足を止めることなく、闇に向かって歩く
失った右手が痛い
心が妙に寒い
誰も居ない
けれどリンファの目にはもう涙はない
何をすべきか分かっているからもう恐れる必要はない
失ったはずの右手の拳を握る
幻肢痛すらも今は心地いい
天雷はリンファを貫かない
それは貫く必要がないのか、それとも貫けないからなのかはわからない
だがそうであるならばやることはもう、一つしかない
「待ってね……みんな 僕が行くから、僕が守るから」
誰も見ていない空の下でリンファが小さな決意を立てる
リンファはみんなを守る為に……王都へと足を進めた
その足跡は、わずか一つ―――――――




