◇06 ツァジン家 経済会談(エコノミック・トークス)
【ツァジン家領北東部・ズゥアレシュ・騎士館】
騎士館の部屋はどれも同じ間取りだそうで、俺が休んだ部屋も皆の部屋も変わらなかった。
それは一部屋で居間も寝室も区別は無い。
藁にシーツを敷いた柔らかい寝床で横になっても、俺は眠れなかった。
どうしても俺の中にいる赤子の感触が残っていて消えない。
寝床に胸と腕を押し付けてもその感触は消えない。
結果俺は殆ど眠る事が出来なかった。
敵の攻撃から身を守る為に、小さく狭い窓から差し込んだ淡い光が、俺の顔にかかって微睡みから覚醒する。
早朝にメルジヴァク・ツァジンとの会談がある。
早急にメルジヴァク・ツァジンの情報を得なければ。
誰が良いだろうか。
やはり顔が広いヴェークは俺の負傷兵を率いて今ここにいないとなれば、リンヴェッカーかヴァルクミューレ辺りだろうか。
その時、俺の部屋の扉がノックされた。
「アクティム様、メルジヴァク・ツァジン様のお使いが参っております」
皿洗い従僕の確かフロリアン・ウムガッセだ。の声がした。
「ありがとうフロリアン、直ぐに行く」
「では身だしなみのお手伝いをいたします」
「お部屋に入って宜しいでしょうか」
相手は領家の息子だ。
今日はそれなりに整えなければならないだろう。
「頼む」
直ぐにフロリアンが入ってきた。
彼女達は、一体いつ寝ているのだろうか。
仕事服の乱れはなく、髪をまとめる白いキャップも汚れは無い。
「おはようございます」
「それでは────────」
俺はフロリアンの指示に従いながら、顔を洗い口の中をすすぐ。
昨日着ていた麻の服は捨てられ、昨晩は綿のシャツで寝た。
綿の下着を着て、ひらひらとした飾りのついた絹のシャツを着る。
体にぴったりした絹のシャツの感触はさらりとして気持ちよかった。
両手の裾が大きく開いて花のようになっている。
ズボンは股間まである白くて長い綿と絹の混編の靴下を履き、その上からズボンを履く。
ズボンはひざ下で絞られて終わっており、太もも部分は膨らんでいる。
そして上着は、肘部分が絞り込まれている代わりに、二の腕部分は随分と膨らんで余裕がある。
腰骨から上は絞られているが、腰骨から下がまた膨らんでいる。
この秋にあって中々に温かい。
しかし上着の縦縞とシャツと上着の膨らみで、なんだか水差しの化け物になったような気分だった。
平民の素朴さと戦勝記念式典で見た貴族の複雑なシルエットが思い起こされる。
俺は素朴な方が好みかもしれない。
椅子に座ってフロリアンに髭を剃って貰い、髪を梳かして貰う。
俺の肌に時々触れるフロリアンの手が荒れている事が気になった。
そういえば皿洗い従僕という事は、水仕事も多いのだろう。
そんな事を考えるが、思考をメルジヴァク・ツァジンとの会談に戻す。
護衛騎士を連れていくのは、警戒を表すようなものになるだろう。
それに従僕のヴァルクミューレを連れていくのもおかしい。
事前情報を聞いても立場が違い過ぎる。
大した情報を聞き出す事は出来ないかもしれない。
メルジヴァク・ツァジンを待たせる方がまずい。
後は、会社の関係者は砲術長と掌砲長だ。
海の男達だからとても当てにはならない。
「アクティム様、出来ました」
「軽く何かを食されて行きますか?」
俺は視線をフロリアンに戻して考える。
仕事服に対して体が細いように感じる。
細身の魅力もあるのだろうが、どこか病的に見えるのは何故だろうか。
そして俺は気づいた。
水仕事で秋と言えば、水は冷たい。冬になれば尚更だ。
その事が頭のどこかにあって、細身のフロリアンに一抹の不安を覚えたのだろう。
透き通る様に白い肌をしているし、黒味を感じる青毛だから、尚更細く見えるのだろう。
「フロリアン。水仕事は厳しいか?」
俺が聞くと、直ぐに恥じるように両手を隠す。
「お気に召されないようでしたら……」
どうにも出来ないだろう。
どうにか出来ているなら隠さない筈だ。
気にしている。
「俺が帰ってきたら、一緒に温かい物を食べようか」
「帰りが遅かったら先に食べてていいよ」
「それは……。主人と従僕が共に食事など……」
「旅だよ旅」
フロリアンは唖然としていた。
「旅……ですか?」
意味が分からない様だった。
俺は立ち上がって廊下へ出た。
「いってらっしゃいませ」
後ろでフロリアンが頭を下げた。
※
【ツァジン家領北東部・ズゥアレシュ・居館】
玄関広間で、メルジヴァク・ツァジンの使いの者と、護衛騎士の出迎えを受けて、更にヴァルクミューレとレディ=マホの見送りを受けて、居館へ向かった。
中隊の天幕は既に片付けられており、本来の下中庭が姿を現している。
【うたうもの】達も三々四五馬車に乗り込んで、一部の馬車は既に出発しているようだった。
下中庭と中庭を仕切る防壁の厚みは、門をくぐる時にわかった。
両手を広げた以上の厚みがある。
それに加えて、騎士館の様な回廊状の建物が前室の様に、沿って建てられている。
防壁の内側にあるから後室とでも呼ぶのだろうか。
あの谷の出口に木材で建てた防壁は、弩砲や投石器の一撃で瓦解した。
この防壁はそれでも破壊出来そうにはない。
どれほどマリーエンロッゲン家に対して恐怖を感じているかがわかる。
居館の玄関広間で護衛騎士と別れ、剣を預けた。
石材がむき出しの床を進んで、謁見の間へと入る。
居館と言っても、どこにも飾りは無い。
まさに砦だった。
「遅参いたしまして申し訳ございませんでした。メルジヴァク・ツァジン様」
俺は椅子に座るメルジヴァク・ツァジンの前で跪くと、待たせた事を詫びた。
「ヴァシュリンガー殿、朝の挨拶よりも先に詫びる等」
「これも交渉の一環ですか? だとしたら機先を制されました」
「流石は王国の英雄です」
俺は皮肉を言われて、更に頭を下げる。
「こちらで話をしましょう」
「居間であれば、対等に話せるかと思います」
「余り時間も無いでしょうし」
「ありがとうございます」
俺は頭を上げると差し出された手の先にある部屋に入った。
ツァジン家の取り巻きは、一部の使用人を除いて入って来なかった。
薦められるままに椅子に座り、メルジヴァク・ツァジンが後に座った。
俺は丸テーブルを挟んでこの部屋の主人に挨拶をした。
「おはようございます。ツァジン様」
銀髪の青年が片手を上げて挨拶を返す。
「ヴァシュリンガー殿、この度は莫大な投資をありがとうございました」
「8日前に突然、この投資の話と脱出行の手助けの話を、会社とノイシェーハウ家から聞かされた時には大変驚きました」
俺が脱出を決めた翌日にはもう使いが来ているのか……。
馬を飛ばしたのだろうが、その情報伝達の速さに舌を巻いた。
母達と俺とでは格が違い過ぎる。
「条件を満たすための準備の時間を考えると、見返りとツァジンのこれからを考えて周囲の者を説得する時間が1日しかない訳で、随分と頭に来たものでした」
俺は黙って頭を下げる。
メルジヴァク・ツァジンは好意的な笑みで返し、話を続けた。
次第に口調に熱が帯びてくる。
「しかし会社は、私たちの返事を待たずに、資材をどんどん当家やグロースプリェ家から買い集めている。それこそ金に糸目を付けずに」
「慌ててこのズゥアレシュまで来ましたよ。そうしたらどうですか、資材も労働者も何もないこの砂礫砂漠で、簡単な新しい街を作っているじゃないですか」
「元からある街と砂漠の中に突如出現した街」
「ノイシェーハウと会社の資産は途方もないと支社長に聞いたら、ヴァシュリンガー殿の個人資産というじゃないですか」
「この光景がノイシェーハウ領まで続くと思うと、恐怖を覚えました」
「私たちは弱小とは言え領家です。しかし軽く凌いでいる」
話が大きすぎる。
俺も想像がつかない。何があったんだ?
「ヴァシュリンガー殿が鉄道を敷設してから、ツァジンの生活は変わりました」
「従来の遊牧に加えて、南方から保存食ですが野菜が届くようになった」
「小麦はパジン家から買わなければならない、そして当家は売るものが少ない」
「それが鉄道一本で石炭をノイシェーハウに売れるようになって、鉄道の保守の仕事も定期的にあり、現金収入が飛躍的に増えた」
使用人が自らの主人の喉を潤す為に、お茶を入れに来る。
俺はその使用人の手を見た。
とても使用人の様には見えない。そしてまとめた髪もつややかで美しかった。
再びメルジヴァク・ツァジンが話し始める。
「最初は有力貴族の御遊びかと思いましたが、鉄道一本でこれほどの変化を起こす」
「もうツァジンの人々は元の生活に戻れません」
「しかし、このままではツァジン家はノイシェーハウ家の出先機関になってしまう」
その気持ちは良く分かる。
会社を通して、ノイシェーハウから経済侵略を受けているのだ。
「鉄道を敷いてくれた当のヴァシュリンガー殿に相談するのもおかしな話ですが、私はこういう事に疎い」
「今回の投資の話で、ツァジン家は完全にノイシェーハウ家に付く事に決めました」
それほどの投資を俺はしたのか。
俺の資産が想像もつかない。
【母さん】のヘールデ・レメレは、俺とその仲間たちが一生使っても使いきれないと言っていた。
「しかし、ノイシェーハウ家からは遠く、パジン家やマリーエンロッゲン家に最も近い」
「経済的自立を果たさないと、我が領民はノイシェーハウ家とマリーエンロッゲン家の間で苦しむ事になる」
「ただ石炭はグロースプリュ家に価格で負けています。ノイシェーハウから遠いからでしょう」
一通り話し終えて、メルジヴァク・ツァジンが背もたれにもたれる。
俺は考えた。
ただ過去の記憶がなく、全く情報の無い今、言える事は少なく約束は何も出来ない。
「先ほどの使用人を呼んで頂きますか?」
メルジヴァク・ツァジンが意外そうな顔をして、手招きでさっきの女を呼ぶ。
「ありがとうございます」
「手を見せて頂いても宜しいでしょうか?」
使用人に拒否権は無く、震える手を俺に差し出す。
俺は手の甲を見て、手の平を見て、指の先と爪を見た。
仕事をしている手だが、とても良く手入れをされていた。
使用人が怯えた顔を俺に向け、メルジヴァク・ツァジンが軽蔑したように俺を見ている。
「髪を解いて頂けますか?」
使用人が実質の命令に従う。
髪はつややかに光っていた。
この日差しが強い砂礫砂漠において、どうやって手入れをしているのだろうか。
同じ長髪のメルジヴァク・ツァジンの髪と比べて、美しさが違い過ぎる。
使用人より主人の方が手入れがされていない。
身分や性別以上の物がなにかある。
「ヴァシュリンガー殿」
「その使用人がお気に召しましたようでしたら、連れていっても構いませんが……」
「それはありがたいことです」
使用人が明らかに恐怖の顔を浮かべた。
そしてメルジヴァク・ツァジンの軽蔑の色が強くなる。
使用人は諦めたかのように、震えるのをやめた。
「時に教えてほしい。どうやってこの手と髪の手入れをしているのだろうか?」
俺の問いに使用人とメルジヴァク・ツァジンの顔が点になる。
「主人の問いに答えてほしい」
「どうやってこの手と髪の手入れをしているのだろうか?」
使用人が恐る恐る口を開く。
「馬の油を塗りこみます。髪を洗った後や、水仕事をしたら必ず」
「それを見せてくれ」
使用人が急いで部屋から出ていく。
そして直ぐに戻ってきた。
俺が何をしたいのか、見通しが立たない恐怖がそうさせているのだろう。
「お待たせいたしました」
俺は手渡された小瓶を見る。
白く濁った固形の脂が詰まっていた。
「それは保存が効くのか?」
「保存は効きますが、長くとっておくと次第に手に付けても滑りは良くなくなります」
「それに温かいと黴が生えたり、逆に肌が荒れる事もあります」
「ありがとう」
俺は小瓶を使用人に戻す。
「これは高いものですか?」
「いえ、ツァジンの女でしたら大抵のものは買える位安価です」
「馬の肉を作る時にたくさん採れますので」
ようやく俺の意図が見えて、メルジヴァク・ツァジンが身を乗り出してくる。
「メルジヴァク・ツァジン様、この使用人をお返しいたします」
「ただ、この使用人を私とメルジヴァク・ツァジン様との仲介役にしたいのですが、如何でしょうか」
「わかりました。会社との連絡役の仕事に変えましょう」
「いいな?」
メルジヴァク・ツァジンが使用人を見る。
明らかにほっとした顔をして、頭を下げた。
「では、この馬油をツァジン家の専売品目に指定してください」
「製造、保管、販売、輸出は全てツァジン家が握ります」
「ツァジン家の領民は今までと変わらぬ価格で買えるように配慮をお願いします」
「そして、輸出は全て会社に任せて下さい」
「わかりました」
「まさか馬の脂が売れるとは……」
「流石はヴァシュリンガー殿だ」
「いつかは他の領家やノイシェーハウ領の商人が真似をするでしょう」
「しかしそれまではツァジン家が独占出来ます」
「しかし、直ぐに他の領家の女性が馬油に理解を示すでしょうか?」
もっとも当然な質問を俺に返してくる。
俺は使用人に顔を向けた。
「君の名前を教えてくれ」
「カーナック・ネブルジェシと申します。ヴァシュリンガー様」
「ありがとう。その為に俺と一緒に旅をしてくれないか?」
「俺の従僕達を磨き抜いて欲しい」
「そしてまたここへ帰って来る」
使用人のカーナック・ネブルジェシが自らの主人へ顔を向ける。
メルジヴァク・ツァジンは頷きを返した。
「決まりですね。では取りあえずズゥアレシュにある馬油を、領民に影響のない範囲で全て買い集めて下さい」
「そうですね。ツァジン家は会社に3倍の価格で売ります」
安いものが3倍になっても儲けは大した事はないだろう。
しかしこの世に女性の数は多い。
「まずは個人的に全て私に売って下さい」
「広まる様に使ってみます。その後に会社と取引しましょう」
「商談成立ですね」
「良い旅を」
俺はメルジヴァク・ツァジンと握手した後、使用人とも握手をした。
経済会談は成功裏に終わった。
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次回 鉄竜 鉄竜
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PVが6万を越えました。読んで下さる皆さまありがとうございます。
書いている間は1万PVが果てしなく遠く、1万PVが来る来ることは想像できませんでした。
それが1周年を迎えてほんの少し、6万PVを見て本当に感謝しています。読んで下さりありがとうございます。
そして総合評価が200を越えました。というか超えていたのですが、1周年記念の1日6話更新で総合評価を減らして(ランキングテクが通用しない小説である事が証明されました)、まあそうだよな。と思っていたのですが、心優しい方が評価を上げて下さりました。なので220を越えた今、感謝をしても100台に減らないよね? と思い宣言した次第です。
これからも精進して参りますので、宜しく願いいたします。
雨露口 小梅




