◇43 命 西進(ウエストウォアド)
【マリーエンロッゲン領中西部ヴェスティング地方 ヴァシュリンガー分隊】
俺達は王都の北を通る形で、西に向かった。
マリーエンロッゲン領は俺達が予想した通り西へ向かえば向かうほど、土地の緑は高さを失い始める。
低木がところどころ一塊になっているだけで、日陰を取る事も出来ない。
そして民家も少なくなってきている。
マリーエンロッゲン領を何日も旅をしていると、良く分かる事があった。
王の街道から無数に分かれる街道沿いに町が点在している。
東側は、枝分かれした街道から更に分かれる農道沿いに村が点在していたが、西になると物流拠点のように、定期的な距離で町が現れる。
王都を取り囲むマリーエンロッゲン家は、全ての物流から金を取る事が出来る。
王の街道は基本的に無料通行できるが、食事や水、宿泊、馬の飼料や消耗品は全て調達しなければならない。
この自動的に落ちてくる金がマリーエンロッゲン家繁栄の源泉だという事が良く分かった。
西へ向かう旅は、マリーエンロッゲンの治安部隊との遭遇もなく、幸運に支えられてマリーエンロッゲン領の西端へ辿りついた。
しかし幾ら幸運が続いたと言っても、何事も良い面ばかりではなかった。
家畜を導く童牧に位置を聞いて、南へ馬車を向ける頃、老婆の具合は本格的に悪くなり出した。
もう荷台に座っている事が出来ずに、床に寝かせていた。
スラティナは赤子を俺に任せ、俺の肩に頭を乗せて寝ている。
三つ編みを二つに垂らしたうちの一つが、肩に乗って俺の首筋をくすぐる。
赤子を抱いていてはどうにも出来ないので、気にしないようにいていた。
「こうしてみると本当の夫婦に見えますね」
「まだそばかすが残る少女ですが、もうきちんと一家を率いている」
「いい肝っ玉母ちゃんになりそうですね」
スラティナを挟んで馬を御する兵が、前方から目を離さないまま、口を動かす。
ただ、残念ながら俺はその軽口に付き合う気はなかった。
「旦那は大変そうだ」
俺は俺の腕の中で眠る赤子をちらりと見て、確認する。
指でつついて反応を見たいが、我慢する。
それだけの事でも体力を消耗させるかもしれない。
赤子が少しでも声を上げれば、深夜でもスラティナはすぐに起きる。
俺の肩に頭を乗せるスラティナを感じて、本当に大したものだと思う。
それでも心配は尽きない。
それは俺の腕の中にある小さな命。
赤子の為の乳も次第に入手が出来なくなり、半日に1回人間の乳が手に入ればいい方だとまで減ってきた。
乳を分けてくれる女性、とりわけ乳を出せる女性との遭遇がなくなってきている。
街道に散在している町は、俺達の情報を手にしているだろう。
散在する農家なら、例え気づいていても通報する為に町まで行かなければならない。
その間に俺達は逃げる事が出来る。
街で乳を分けて貰う様、馬車を止めて声をかけるのか。
それともこのまま、離れた農家で声をかけていくのか。
判断は進めば進むほど難しくなっていく。
人間の乳が手に入らない時は水と家畜の乳で誤魔化すしかなかった。
やはり家畜の乳は赤子の口に合わないようで、飲ませようとすると臭いで察知して口をきつく閉じてしまう。
しかしそれでは、弱ってしまう事がわかり切っている為、俺が無理やり口をこじ開けて飲ませたり、水で薄めて加温して含ませるが飲みが良くない。
いつかの女に、こんな豪華な兜は役に立たないと言われ、馬車の荷台で火を使うために、窯にした。
兜の中で火を焚き、手鍋で水と家畜の乳を合わせたものを温める。
それでもやはり飲みは良くなかった。
それはとても嫌な兆候だった。
長い馬車旅は健康な成人男性も疲労させる。
ましてや、マリーエンロッゲンの治安部隊に見つかるかもしれない、そして住民から通報されるかもしれない、そういった馬車旅は強く神経を削る。
そして夜間も揺られ続け、移動する馬車旅。
体を休める事が出来るのは、馬を休ませるほんの僅かな時間だけ。
地面に立っていても体が揺れている感じがする。
俺ですらこうだ。
体の弱い者の体力が持つかどうか。
それは本人次第だった。
そして俺は戦勝記念式典への行軍でどうなるか知っている。
俺の予想は当たった。
南に進路を変えて間もなく、老婆が死んだ。
一言もなく。死んだ。
※
【共和国 東方軍集団管区・タラソナ地方 ミク大佐】
まだ日も昇らぬ早朝。だらしなく立ち並ぶ天幕の中を歩く。
連隊将兵は弛緩しきり、私が天幕を覗いても誰も起きてこない。
そしてあのた盗賊まがいの小隊と憲兵隊の元へ行く。
「始め」
小隊と憲兵隊は動き出す。
動きは対照的で、小隊は機敏に憲兵隊の動きは遅かった。
私は、自分の姿を良く見せられるように、足がかりになる台を探した。
そして軍隊としては信じられない程の時間をかけて、連隊の将兵が集合する。
これが実戦であれば、あのアクティムが指揮する部隊が襲えば、2回は皆殺しに出来る程の時間をかけている。
まるでこの連隊は入隊前の徴兵された人民の様な、無抵抗の抵抗を示す動きの悪さ。
整列しても隊列は揃わず、無駄話が交わされる。
まるで捕虜の集団だった。
これでは、いずれ保有している武器でお互いを殺傷し出す。
危険な兆候だった。
私は自分で探し出した踏み台、排せつ物を溜める桶を逆さにして、そこに立った。
「諸君! 私はこの連隊に帰ってきた!」
「まず先に詫びよう。命令とは言え、諸君たちと共に旅が出来なかった事を」
「そして恥じよう、師団長にお前達の事を聞かなかった私を」
連隊の将兵はまるで聞く気はなく、私は空気を相手に演説しているようだった。
「もう一度言おう。私は諸君の元に帰ってきた!」
「しかしお前達のこの緩みきった規律はなんだ!」
まだ相手から反応はない。
更に反応を引き出す為に、わざと昔の私のフリをする。
「それでもあの王国軍を一蹴した栄光ある共和国陸軍軍人の姿か?」
「共和国陸軍の中で唯一、王国に足を踏み入れた連隊の誇りはどこに捨ててきた!」
「いい加減黙れ!」
「お前がこうしたんだろうが!」
兵士の中からヤジが飛ぶ。
その気持ちはわかる。革命志士の演説は文字通り1日中続く。
それを耐えきるのも革命に忠誠を誓う行為だ。
「なるほど。そうだ」
「それを私は最初に認めた!」
「ならばお前達は何を認める!?」
将兵は寝ているところを起こされ、朝食もなく、朝の便通も許されず苛立っていた。
そんな物を求めるのは平民の日常だ。
前線にいればそんな物は、王侯貴族の贅沢物だという事を思い出させなければならない。
「連隊! 演習用装備を整えろ! これから勝負をしよう。機動演習だ」
「私に勝った部隊は全員除隊を申請してやる」
「私を倒せなかった部隊は全員私に従え」
「さもなければ処刑する」
それまで思い思いの姿勢で、私を無視していた将兵の顔付が変わる。
いい兆候だ。
「私はお前達の部隊全てを打ち破るまで攻撃を仕掛ける」
「かかってこい」
兵達の顔に侮りの表情が浮かぶ。
私一人で何が出来るのか? と。
そうだ。
私は一人でも戦い抜いてやる。
「朝でも夜でも、食事をしている時でも、排せつしている時でも気を抜くな」
「準備を始めろ!」
私の右手が大きく振られると、整列いていたとも思えぬ連隊は思い思いに散った。
「中尉! 今すぐお前が率いた小隊を集めろ」
「モワッソン憲兵大尉。憲兵隊も完全装備だ」
盗賊まがいの中尉が駆けだす。
いい感じだ。
走る背中を見て思う。
戦う兵の姿をしていた。
「わ、我々は憲兵ですので、連隊が解散しないように……」
憲兵大尉を始めその部下は明らかに動揺していた。
罪人相手の絶対強者であるならば、その任務は達成できても、反抗するかもしれない相手には躊躇する。
典型的な卑怯者だ。
軍人ならば当然の世界を目にして怯えている。
いや、生きとし生けるものの世界なら当然だ。
やればやられる。やらなければやられる。
「そうだ。その為に働いて貰う」
「お前達も共和国の軍人なのだろう?」
これが党の人間なのか。
私があれほど入れあげた革命党は、あのアクティムに出会ってからすっかり色あせてしまった。
あの夜空を見て自覚した。
今なら素直に認める事が出来る。
私は生まれて初めて恋をしている。
あの夜私を襲い、私を殺そうとし、私の胸に触れた男。
女の性かもしれない。
あの男の為だったら、ここにいる男達全員死んでも、なんとも思わない。
「元帥と党本部に報告しようか?」
「テュイルリー・モワッソン東方軍集団憲兵大尉は党と軍への忠誠に疑問ありと」
「私が誰とつながっているのか、知っているのだろう?」
あの男と戦場で結ばれるためならば、この世の全てを無価値と出来る。
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次回 命 南下
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