◇42 弱き者 どちらの命か(ウィッチ・ライフ・イズ・イット)
【マリーエンロッゲン領中東部ラコマアー地方 ヴァシュリンガー分隊】
マリーエンロッゲン領も中部地方まで下ってきた。
もう少し下って西へ向かえば、王都へ至る。
俺達は緩やかで低い丘に囲まれた畑の中に馬車を集めて、隠していた。
ホーエンヴァルト少尉とゾッキング曹長を集めて相談する。
「このまま南へ向かい縦断すれば、最短の時間でマリーエンロッゲン家の領地を抜ける事が出来る」
「俺達の行動が気づかれたのなら、リンヴェッカーの分隊か、ホリオン率いる本隊とシュールの【うたうもの】だろう」
「南方の警戒が手厚いと思われる」
俺は畑の土に簡単な概略図を描いて説明する。
「安全を考えるなら、すぐさま東部の領家に出て南周りで、ツァジン家を目指すのが賢明ですね」
「とりわけ東部は西部に比べて人家も多く、乳も分けて貰いやすい」
ホーエンヴァルト少尉が手堅い策を提示する。
東側の領家は会社を通してノイシェーハウ家と交流もある。
ゾッキング曹長が続ける。
「ここから斜めにツァジンを目指せればいいのでしょうが、王都を横切る事になる。それは危険ですな」
「とすると、ここで西進して西の領家に出て南下するのも、最短の経路になります」
「ただ東にすぐ抜けるのと違って、長くマリーエンロッゲン家の領内に留まる為に、場所を掴まれやすく、領域の封鎖を強化する時間を与えてしまう」
「食糧事情に支えられた人口を想像すると、東部の方が人目につきそうだな」
「逆に西部は少ないと考えられる」
俺は更に想像を補足した。
俺やスラティナへの暗殺と赤子の死の可能性を天秤にかけなければならない。
いずれにしても俺やスラティナが死ねば、赤子も死ぬことになるだろう。
「領地を封鎖するのならば、領地内は手薄になるのではないでしょうか」
ホーエンヴァルト少尉が楽観的な観測をする。
それは願望に過ぎなかったが、希望があるようにも思えた。
他の領家の情報も少ない。
なら、まだマリーエンロッゲンの方が裏をかけるのかもしれない。
「マリーエンロッゲン家領内を西進して、後に南下する」
「出来るならば、パジン家をかすめて、そのままツァジン家を目指す」
「はい。中隊長殿」
俺達のゆく道は決まった。
リンヴェッカーの事は信頼するしかない。
※
「あなた。本当は私を逮捕しに来たんじゃないでしょう?」
先ほど空腹で火がついたように泣いた赤子の気分を変える為に、御者台に出てきたスラティナが俺と御者の兵の間に座ってくる。
何事にも躊躇しない娘だった。
「まあ、もうわかるよな」
俺は自分の受け持ちの見張り区域から目を離さず答える。
結果、中央に座るスラティナに向き直る事は無い。
俺達を見て不審な動きをする人間がいれば対処しなければならない。
「まあね。この子の乳を分けて貰うなら、私を殴った時みたいに、行く先々の女を殴っていけばいいもの」
「それが、地面に頭を付けるとか意味わからないお願いまでして」
「どう考えても、マリーエンロッゲン様の命令で動いているように見えないわ」
頭の良さというものは、本当に平民だとか貴族だとか男だとか女だとか、人間だとか亜人だとか関係ない。
モニオムとスラティナといるとよくわかる。
「俺は騎士道に篤い男なんでね。それに俺達が立てていた旗を見たろ?」
「俺達はマリーエンロッゲン家の者じゃない」
スラティナ少し乾いた笑い声をあげる。
「騎士道に篤いなら、女を殴って犯して殺すでしょう。普通」
「それは知らなかったな」
御者の兵士が聞き耳を立てる中、俺とスラティナの会話は続く。
「それに旗がどこの家を示しているなんて、私たち庶民にはわからないわよ」
「わかるのは楯突いたら殺されるっていう事だけよ」
「それにしては、スラティナは随分俺に楯突いてくるな」
そろそろ、また街道の街を通る。
気取られない様に、何事もなく、止まらず通り過ぎるだけ。
俺は振り返って荷台に座る子供達に声をかける。
「おい。街を通るぞ、小便は我慢しろよ」
皆疲れ切って、返事すら出来ない。
長く馬車に乗っていればそうなるのもわかる。
変な咳をしていた老婆が、咳をしなくなったのが気になる。
「1回しか女を殴らない騎士は怖くないわ」
「私を妻と勘違いされて、しかも情けない男のフリまでするなんて」
「言っておくけれど、これからは妻のフリをするつもりなんてないわよ」
俺は馬車の揺れに合わせて含み笑いを漏らす。
「どうして私を拉致するような真似をしたの?」
「マリーエンロッゲン様の騎士じゃないのなら、マリーエンロッゲン様に嫌がらせするつもり?」
俺はちらりとスラティナが抱く赤子を見る。
真っ赤な頬をしている。
秋風に長く当たるのも良くないかもしれない。
「話せない」
もうすぐ街になる。
スラティナに説明するには距離がない。
そして中途半端に情報を与えて、都合の悪い動きをされても困る。
「お前の兄と会う時に話してやるよ」
「あの世で?」
「そうかもな」
「ほら、さっさと赤子を幌の中に入れろ、体が冷えるぞ」
俺が冷たく言い放つと、スラティナは赤子を抱いて荷台の中に戻っていった。
「変わろう」
俺は御者の兵に声をかけた。
平民の服を着ている俺が、鎧を着ている御者の隣で偉そうにしていると、いらぬ詮索を受ける。
俺は兵に変わって馬を御した。
気づかれないように、早すぎず遅すぎず、事故を起こさないように。
息をひそめて。
※
【共和国 東方軍集団管区・タラソナ地方 ミク大佐】
東方軍集団の憲兵に率いられていた元連隊の将兵は、かがり火の中野営をしていた。
収穫の終えた牧草地帯の中に、無数の天幕が並ぶ。
それは訓練からしてみても落第だった。
天幕の縦列横列はまるで揃ってなく、だらしなかった。
それを見て、思わず笑みが漏れる。
共和国の革命兵士と言えども、人間という事だった。
戦に勝てばその気は天に上り、戦に敗れれば腐る。
人民は、幾ら帝国から共和国に変わってもそう簡単には変わらないという事を示していた。
歩哨に立っている東方軍集団の憲兵の指揮下にある兵が誰何する。
「誰か」
「連隊長をお連れした」
「先導部隊長に御取次ぎを願いたい」
中尉が歩哨に告げる。
かがり火を背に完全に陰になっている歩哨の顔を伺う事は出来なかった。
奇襲を受けるなら最低の立ち位置だが、スパイから素性を隠すなら中々うまい立ち位置でもあった。
しばらく歩哨に立つ二人の間で何かが話し合われ、一人が大きく手招きする。
盗賊になりそこなった小隊は野営している陣地の中に入っていく。
そして中尉と私は闇の中で、赤い腕章を左腕に付ける影が出てくる。
「ルデェシュティイ・ミク大佐。テュイルリー・モワッソン東方軍集団憲兵大尉です」
「お待ちしておりました」
憲兵大尉が敬礼する。
まだ若く、軍服に党の記章を付けている。
恐らく党に忠実だから、帝国からの流れを組む軍を見張る為に、憲兵隊に配属されたのだろう。
神経質そうな顔が、かがり火に照らされる。
「ルデェシュティイ・ミク大佐」
「中尉の案内でただ今帰りました」
憲兵大尉が握手する手を出してきてそれに応える。
「連隊をお返ししたします」
「この連隊をどう見られましたか?」
困った様にその影は肩をすくめる。
おや? と思う。
党に忠実であれば、この連隊を口実にとことんまで攻め抜くと思っていたが、そうではなかった。
この憲兵大尉に対する認識を改めなければならない。
「正直我々の権威を持ってもどうにもできません」
「もうこの連隊は崩壊しています」
「どうせ任地が同じなら率いて下さい」
そしてその認識を更にまた改める必要があった。
権威主義と怠慢が、あろう事か党員の憲兵隊まで浸透している。
今までの私なら失望し、激高していただろう。
今は僅かなため息一つで済ます事が出来る。
「この駐屯地にはどれくらいいられる?」
「幾らでも」
憲兵隊大尉は即答する。
「私もそうだが腐っている人間には何か楽しみが必要だ」
憲兵隊大尉は首を傾げる。
「それは何でしょう」
権威ではどうにもならない筈だ。
人間的な覇気がまるでない。
党への忠誠は、党の中だけのものなのだろう。
「忘れたのか? 我々は共和国の軍人だ」
「演習をしよう」
餌はこの私だ。
この連隊を立ち直らせてみせる。
アクティムにまた出会うなら、これ位の試練は乗り越えて見せる。
闘志に火が付くのがわかった。
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次回 命 西進
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