◇39 弱き者 ソチェニ(プレブ)
【王城 プレブ家上屋敷 ソチェニ】
【戦勝記念式典2日後 未明】
「馬鹿者めが!」
振られたグラスから果実酒が飛び出すと、俺の顔にかかって紫色の筋を顔に作る。
目の前には激高する父親ジュバ・プレブがいた。
先ほど見たノイシェーハウ家の上屋敷に比べたら、庶民とはいえないまでも、精々裕福な商人の家……程度の作りのプレブ家上屋敷だった。
そしていかなる状況でも落ち着いているノイシェーハウ家の人間に比べたら、感情を露わにする自分の父親の卑俗さと人間の小ささを感じてしまう。
「式典で何故お前がそこにいた!」
「マリーエンロッゲン様と王家に目を付けられるではないか!」
かつての俺もそうだったのだろうか。
貴族である事に疑問を抱かず、弱小領家である為に強きに媚び諂い、プレブ家の安泰の為には弱きを挫いて恥じない。
「マリーエンロッゲン様のお言いつけ通り、アクティム・ヴァシュリンガーの見張りを継続しておりました」
「プレブ家としては、忠実に任務を果たしました」
「後ろめたい事はなにも無いではないですか」
そうだ。
俺もこうだった。
この父親のようだった。
「ならば歓喜の広場に入らなければ良かったではないか!」
「わざわざ目につくところにいおって……」
でも俺は変わってしまった。
アクティム・ヴァシュリンガーと出会い、戦場で兵と共に苦しみ悲しみ、そして看取り、この首都で、戦場に消えたであろう息子を探す父親の嘆きと絶望を見てしまった。
戦争では貴族も領民もなく、只の人である事を知ってしまった。
自分が無力な人間である事も……。
「ソチェニ! お前のせいでプレブ家が窮地に立つ」
「我が家は生き残らなければならない」
「わかるな」
激高していた父親の顔から赤みが次第に引いていく。
「わかります。家訓ですから」
「そうだ。プレブ家の家訓は【種を残せ】だ」
「お前とは絶縁する。どことなりにでも行け」
「跡目はどうなりますか?」
「娘婿だ馬鹿者」
それきり父親は壁を向いてしまった。
それなりに俺に期待してくれていたんだろう。
俺はどうやらアクティム・ヴァシュリンガーに当てられて、それこそバカ正直な人間になってしまったようだった。
俺が貴族らしく狡賢いままだったら、父親の期待に応える事が出来ていたかもしれない。
しかしもうそれは出来ない。
「父上。長生きをして下さい」
俺は頭を下げると部屋を後にする。
父親は背中合わせ越しに最後に声をかけてくれた。
「しかし良く生きて帰ってきた」
「これからも死ぬなよ」
どうしてその優しさを領民に分ける事が出来ないのか?
これは俺の幻想なのか。
しかし俺の歩みたい道は見つかった。
何も返答せずに部屋を出る。
廊下の奥では母が声を殺しながら泣いていた。
黙って頭を下げると無言で長い別れを母に告げた。
「ノイシェーハウに行くか……」
さようならをしたばかりだが、意外と早い再会になりそうだぞヴァシュリンガー。
俺はこれからをあの男と共に歩いてみたい。
そう思った。
※
【マリーエンロッゲン領北東部ロッケンフェルト地方 ヴァシュリンガー分隊】
【戦勝記念式典2日後 未明】
時間と距離を稼がなければいけないにしても、馬を限界まで走らせてはすぐに潰れてしまう。
替えの馬車があるにしても、復路やマリーエンロッゲンの治安部隊から逃げるチカラも用意しておかなければならない。
ホーエンヴァルト少尉とゾッキング曹長は往路は俺と同じ馬車に乗る事にさせた。
俺の人物、思考を掴んで貰った方が、万が一散り散りになった際にお互いを想像しやすくなる。
そして俺が死んだ際にも、目的を達成する可能性が高くなる。
夜の間は王の街道を使い、それぞれの地方の街中を走らせた。
闇の中では街道を頼りに走らないと、迷う危険性の方が確率は高い。
そして夜は物流もない。
こんな内陸部では、幾ら夜間と言っても野生動物と出くわす可能性は低く、王の街道という幹線道路だったら絶無に等しい。
それは戦勝記念式典に参加する為の行軍でも実感していた。
そしてまた地方の街の中を馬車を走らせる。
石畳を叩く蹄の音は、王の街道の両脇に並ぶ建物に反響して返って来る。
闇夜に呑まれた街には、人の気配が無い筈なのに、首都から離れたこの街には、子供の姿が数多く見えた。
「幾らモンスターがいないとはいえ、こんな夜に子供達が外に出ているとは……」
蹄と車輪の反響音にかき消されそうになりながら、ホーエンヴァルト少尉の声が俺の耳に届く。
「戦災孤児ですな」
ゾッキング曹長がホーエンヴァルト少尉の独り言に加わる。
「なるほど……」
そして俺も加わる事によって会話になる。
この少年の面影が残る若者は、道のところどころの隅で固まる子供達を見てため息をつく。
「戦争になればいつも弱いものが一番割を食います」
思う事があるのか、口数の少ないゾッキング曹長が自分の受け持ちの区域を見張りながら語りだす。
俺とホーエンヴァルト少尉もそれぞれの区域から目を離さずに、続きを待った。
「夫や後継ぎが死ねば、そのままその家族は干上がります」
「土地を持っていても財産を持っていても、それは男の持ち物だから、妻や子供が相続する事は出来ません」
その結果がこれだ。
馬車の音にすら反応せずに、冷える秋の夜に壁に背を預けて丸くなっている。
そんな姿の子供達が景色と共に流れていく。
「残された女は領地内の娼館にそれぞれ散ります」
「捨てられた子供の何割がこの冬を超える事が出来るでしょうか」
「年金はないのか?」
「夫を国に差し出したんだぞ」
俺は素直に疑問を呈する。
「ハッハッハッ、そんないいものがあるのはノイシェーハウ家とトリグラウ家の領民位でしょうな」
「あるだけマシですが、それでもとても足りません」
「家族が戦死すればそのまま貧困へ落ちるのは、マリーエンロッゲン家もノイシェーハウ家も変わりはありません」
ノイシェーハウ家の末席に座る俺を当て擦っているのだろう。
しかし古強者ならではの、ふてぶしさは許されてしかるべきものだ。
命令さえ忠実に遂行するのなら。という条件が付くが。
「娼館に入った寡婦はまた子供を産みます」
「そして娼婦になった寡婦が産んだその子は、娼館の後ろに流れる下水に捨てられます」
「娼館の下水は子供の骨でつまり、汚水が溢れてきます」
「雨でもないのに馬車が水を跳ねれば、そこら辺に娼館があるという事です」
この世はこれほどまでに死が溢れている。
俺は母達に拾われた。
これがどれほどの幸運なのか身に染みる。
景色の様に流れる子供たちに、俺の様な幸運が訪れる事はほぼない事も肌で感じる。
俺達は何の為に生まれてくるのだろう。
どうしてこれほどの苦しみを味わいながら生きなければならないのだろう。
「たまらない話だな。曹長」
ホーエンヴァルト少尉は聞くに堪えない話に打ち切りを提案する。
「この世は地獄ですよ」
「戦争は無いに越した事はありません。兵隊稼業は割に会わない」
人生経験豊富な最先任曹長は、俺達の置かれた状況を端的に表した。
なら何故、兵隊になったのか?
それは敵がいるからに他ならなかった。
俺は馬車の振動に揺られながら、夢の世界を思い出す。
現状に比べれば、何もないほどの平穏な日常。
生きるに当たって、平穏に見えてもやはり苦しみや困難はある。
しかし質が違った。
俺は部屋の中にいるのが好きで、本を読むのが好きで、そしてパソコンゲームが好きだった。
パソコン……、そうパソコンとスマホ。
夢の世界の具体的な名前が思い出せる。
良かった。
この前は、具体性を失いつつあった。
今はしっかり思い出す事が出来る。
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次回 弱き者 拉致
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