◇36 脱出 迫る危険(アプローチ・デンヂャー)
【共和国 東方軍集団管区・タラソナ地方 ミク大佐】
この冬を迎える為に茶色くなった牧草地帯。
満天の夜空がこの大平原を照らし出していた。
天の川は2つが重なり合い、そして別れる。
偉大なクロスを描いて天を四分していた。
「なんと美しい光景だろうか」
南コバスへ旅を続けるルデェシュティイ・ミク大佐は、寒さを避けるために服の中に入りこむ虫を気にする事もなく、寝転がって夜空を見上げる。
この世界がどうなるとあの天はあり続ける。
そう確信するに至る美しさだった。
今の私は異臭を放ち、肌も潤いを失って荒れていた。
あの夜。
私を襲いに来たあの男もこんな獣な臭いをさせていた。
この異臭は意外と役に立つ。
自然に溶け込んで目立つことがない。
野生動物に気づかれる事が格段に少なくなる。
体の汚れは溜まっていくが、平穏な日常が心の棘を抜いていく。
「あの男もこの夜空を見て穏やかに過ごしているのだろうか」
顎を引けば自分の胸が静かに上下しているのが見える。
あの男は私を襲った時、この胸に触れて私が女だとわかり、そして私を恐れた。
文明の遅れた王国では、女が上に立つことを良しとしないそうだ。
「愚かな」
しかし……。
私は元帥の父に「男」として育てられた。
父は皇帝の近衛騎士であり、子は女の私しかいなかったから。
「それだけの理由で性別まで歪めなければならないのか?」
それが正しい国のありようなのか。
それでは王国と変わらない気もしてくる。
革命後の幹部学校でも、その前から女とわからない様に、必死に鍛えてきた。
勿論殆どのものは気づいているだろう。
自分から明かした相手もいる。
あの男によって殺されたが……。
あの男は人間として挑んできて、女とわかって慄き、私は女である事を利用して生き延びた。
男のフリをする限界を教えてくれた男。
「もう一度会いたい」
「そして確かめたい」
私がまた女である事を利用しなければならないのか?
夜風に乗って、気配が漂ってくる。
この旅の間に手に入れた野生の感覚。
仰向けから静かにうつ伏せに変わる。
そしてそのまま這って見通しの良いところまで進む。
夜の中で中腰で進む集団があった。
作戦行動中の兵なのか?
夜空を反射する剣の煌めきが見える。
素人だ。
ならば夜盗か盗賊の類。あるいは脱走した奴隷か。
集団の先には寂れた村が稜線に浮かび上がっていた。
※
【首都 ノイシェーハウ上屋敷】
【戦勝記念式典翌日 夜】
上屋敷の扉を開けると、突然の訪問客に警備兵が戸惑う。
俺が剣を抜いているのを見て身構える。
「お前はここに残れ、お前は俺についてこい、大お婆様が危ない」
それでも、俺を警戒している警備兵の胸を押して怒鳴りつける。
「モニオムとコルネスティはマリーエンロッゲンの刺客だ!」
「お前たちはそれを黙って見ているのか!?」
俺が押し通る。
「ならそこで空気相手に立っていろ!」
俺に指図された警備兵が慌ててついてくる。
何事かと廊下に出てきた使用人達も慌てて道を開ける。
そして飛び出てくる警備兵に続けざまに同じ指示を出す。
1階にある謁見の間に向かう頃には10人からの警備兵を従えるまでになっていた。
そのまま両開きの扉を開ける。
案の定、部屋の中央に大お婆様が座り、脇を使用人達が固めていた。
何事かと振り向くのはモニオムとコルネスティだった。
「モニオム。コルネスティ。お前たちを逮捕する」
俺の宣言で警備兵達が2人に群がり、腕を後ろ手に捩じり上げて制圧する。
「ご主人様! ご主人様!」
「何故俺達が逮捕されるんだ!」
コルネスティが無理やり体を捻じ曲げて、俺に叫ぶ。
モニオムは抵抗を止めて俺を見ている。
「大お婆様暗殺の容疑だ」
「騙されたよ。お前たちはマリーエンロッゲンが放った刺客だったんだな」
コルネスティとモニオムが大きく目を見開く。
「馬鹿な! バカな! 俺達がそんなことする訳がないだろう!」
「俺達はマリーエンロッゲンに捨てられたんだぞ!」
「マリーエンロッゲンに殺される事はあっても、どうしてドロッセル様を暗殺だなんて!」
ムキになって、体を俺に寄せようとするが、警備兵の一人に殴られる。
「ヴァシュリンガー!」
「俺達は挨拶に来ただけだ!」
「戦場で裏切った事あったか!? 答えろ! 答えろ!」
口の端から一筋の血を流しながらコルネスティが吠える。
俺はそれを冷たく見る。
「牢に連れていけ、殺すな。傷つけるな」
「やる時は俺が殺る」
「戦場からこっち、騙された分はしっかり償って貰うぞ」
俺は警備兵達を見る。
「お前たちが何かしたら、俺の怒りもお前たちに向かうぞ」
「裏切られた者の怒りを全身に浴びたくなかったら手を出すな」
「行け」
「俺達を嵌めたな! ヴァシュリンガー! ヴァシュリンガァァァァ!!」
暴れるコルネスティを警備兵が引きずっていく。
モニオムも厳重に警戒されて、静かに扉を出ていく。
ここにも安寧な日常などありはしなかった。
※
俺はモニオムとコルネスティが立っていた場所に進む。
「突然の騒ぎ申し訳ございませんでした」
俺は大お婆様に頭を下げる。
「これでよかったんだろ?」
「アクティムの役に立てて良かったよ」
「【お母様】からお話は聞いておりましたか……」
「知らないよ。忙しくて会っていない」
「では……」
「生還の夕食会もない、アクティムと語り合う時間もなく、突然の面会要求だ」
「何かあるとしか思えないだろ」
「参りました」
俺が再度頭を下げると、軽く手を振る。
その顔は慈愛に満ち溢れていた様に見える。
「行っちまうのかい?」
「はい」
「この後、リンヴェッカーとシュール、プレブ家の者が来ます」
「誠に申し訳ございませんが、リンヴェッカーとシュールとも語り合うのは後日にして頂きます」
「それは寂しいね」
「若い者と語り合うのがこの年寄りの楽しみなんだがね」
「そのお言葉がチカラになります」
「何かあったらこのお婆ちゃんに頼るんだよ」
「はい」
「大お婆様」
俺は悲し気な顔をする大お婆様に頭を下げると扉を出た。
急に大お婆様が老けたように見えたのは気のせいだろうか。
部屋を守る警備兵の一人に声をかける。
「牢の場所を案内してくれ」
警備兵は頷くと先導を始めた。
途中、武装した警備兵達に先導されてリンヴェッカーとシュールとすれ違う。
剣は警備兵に取り上げられていた。
「リンヴェッカー、シュール」
「大お婆様の謁見が終わったら、牢まで来てくれ」
リンヴェッカー、シュール。そして警備兵達が頷くと先へ進む。
視界にはやはりソチェニが見えていた。
そして近づくと声をかけた。
「ソチェニ。さようならだ」
「さようならだな。お前の事は忘れない」
それだけ交わして俺達は別れを告げた。
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次回 脱出 尋問
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