◇32 脱出 支社(ブランチ・オフィス)
【城壁外街 会社王都支社】
【戦勝記念式典翌日 午後】
【母さん】の支社は貴族街を抜けて城壁外街直ぐの場所ではあったが、王の街道から奥に入りこみ、よく言えば雑多な路地。悪く言えばいつどこで物盗りに襲われてもおかしくないような通りにあった。
華やかな都市にも必ずある暗い面。
ノイシェーハウ上屋敷の安全性とは正反対を行っている。
もっとも郊外の軍の宿営地まで広がるスラムは、経済の面で正反対を行っている。
種類の違う暗さだった。
売春宿や金貸し、薬草屋、医院、そういった薄汚れた店を通り過ぎて、看板も何もない大きな建物の前で止まる。
積んだ石を隠していた石膏はところどころ剥げ落ち、窓には鉄格子がはまっている。
扉は金属製だった。
上屋敷と同じように警戒している建物。
路地を挟んだ向かいの建物からは、堂々と身を晒して俺を見つめる男。
道案内をしてきたリンヴェッカーが扉をノックしようとすると、内側へ金属製の扉が開いた。
「若旦那ですね。おかえりなさいやし」
「うす。おかえりなさいやし」
戦勝記念式典で見た庶民はみな麻の着物を着ていたというのに、この二人は絹の着物を着ていた。
しかも肌蹴たシャツは真っ白で皺もない。全身が万事そんな調子だった。
しかし顔付は闇の人間そのものだった。
暴力を厭わない種類の人間。
正直、護衛騎士に「ご主人様」と呼ばれ、兵から「中隊長殿」と呼ばれ、従僕に「アクティム様」と呼ばれるのに対して、こいつらから「若旦那」と呼ばれるには違和感を感じる。
しかしここは会社で【母さん】の組織。
俺は「ただ今」と告げると、遠慮なく建物の中に入る。
玄関もなく、広間もなく、ところどころ穴が開いている奇妙な長い廊下を歩いて、扉を抜けると無数に机を並べている空間に出た。
それこそ広間に机を並べて、人が座っているような感じだ。
「若旦那入室」
扉を開けた男が俺の入室を伝えると、50人からいる男たちが一斉に低い声を上げる。
驚いた事に、表の雰囲気とは打って変わって、室内には陽光が燦々と取り入れられ、非常に明るかった。
「「「うす」」」
壁も薄汚れておらず清潔感に溢れ、ところどころに植物が配置されている。
無駄を排した俺好みの部屋だった。
しかしそこで働いている男たちは、全員暴力の側で生きているような男たちばかりだった。
ただありがちな怒声はなく、静かなものだった。
「社長はこちらです」
部屋の奥に扉があり、そこへ向かうと奥に配置された一際大きな机から一人の老人が、杖をついて俺の方まで出てくる。
その老人は片足がなかった。
「若旦那。ご生還をお祝いいたします」
「支店全員が無事をお祈りしていました」
「感謝します」
紳士に見えるその老人も、やはり暴力の臭いがした。
この王都支店の支店長なんだろう。
「ここはまだ航海と物産、両替しか部門がありませんからね」
「若旦那の鉄道と手形部門が間もなくこの支店に出来ると言う事で、楽しみにしています」
「西と東で違いますが、同じ会社です」
「仲良くやりましょう」
俺の【母さん】は商売人という訳か。
何事も綺麗ごとだけでは済まないからな。
そう努めて考える事にした。
そう、戦場と一緒だ。
「まだ戦争の続きをしていますからね」
「いつになるやら」
「では【母さん】に挨拶をしてきます」
「はい」
その老人は頭を下げると自らの席に戻って行った。
「社長に。若旦那がいらっしゃいました」
扉を開けて案内の男が、扉のすぐそばにいる長机の女性に声をかけると、更に扉を抜けるように手を差し出す。
「社長。若旦那をお連れしました」
「ありがとうよ」
扉の向こうから【母さん】の声が聞こえる。
「失礼します」
「おはようございます」
入室した部屋は同じように清潔感と陽光に溢れた部屋だった。
支店長の机より小さいがしっかりとした作りの机の向こうには、シャツとパンツ姿、そして変わらぬベリーショートで赤髪の母がいた。
何の意味があるのか顔にグラスをかけていて、昨晩の印象とはだいぶ違う。
シャツの首周りにはスカーフを巻いていて、胸元にも飾りがある。
謁見の間での【母さん】とは違い、こっちの【母さん】がプライベートに近いのだろう。
「よく来たね小僧」
「座りな」
「はい」
俺は護衛騎士にも手短な椅子に座るよう指示する。
「仕事を再開するにはまだ早いんじゃないのかい?」
顔にかけたグラスをとると、椅子を回して俺に向き直って来る。
唇にはわずかに紅が引かれているのがわかる。
「はい」
「実は戦勝記念式典の入場の前に分かれた、砲術長や掌砲長達に挨拶をと思いまして」
「あいつらはしばらく休暇で呑みに行ってるよ」
「小僧の役に立って、小僧を生かして帰ってきたんだ」
「私からのボーナスさ」
「これから航海も控えているしね」
「それは残念です」
「で、護衛騎士をぞろぞろと引き連れてどうしたんだい?」
「相談役」
「【母さん】に相談があります」
「俺の領民と兵をつれてノイシェーハウ本国に帰りたいのです」
「可及速やかに。それも敵の妨害を阻止して」
「それなら、派遣軍と一緒に帰ればいいじゃないか」
「急ぐ理由は?」
「俺と部下の暗殺と部下の家族の処刑が迫っています」
「アイヒェンの情報だね」
「元マリーエンロッゲンの部下か」
「そうです。情報は【お母様】から教えて貰いました」
「既に部隊が宿泊している宿場の周辺には、マリーエンロッゲン家とその他領家の裏方が展開しています」
「情報収集か、部隊の隙をついての暗殺かはわかりませんが」
「なるほどね」
「じゃあ、私の出番だね」
「予算は?」
「俺の全財産を使っても」
「なら鉄道を使いな、金はかかるが一番いい方法だろう」
【母さん】もリンヴェッカーの発案を支持する。
「海運だと天気次第のところもあるが、鉄道ならほぼ関係ない」
「それに海は管理されていないが、鉄道なら管理されている」
「妨害もしづらいだろうよ」
【母さん】が机の引き出しから台帳を取り出すと、机の上に大事そうに置く。
「小僧が戦争に行ってる間に増えた財産だ」
「お前の資産はノイシェーハウにある。これは出征してからの売り上げだ」
台帳を開いても数字の実感が沸かない。
台帳を閉じる。
「想像もつきませんね」
何について。とは言わない。
「鉄道は小僧の発案で始まった事業だろうが」
「まあ、小僧や後ろの護衛騎士が一生遊んでも使い切れない金額だよ」
「今回の移動で全部使い切ってしまうかもしれないけれどね」
「また黙っていても金は直ぐに溜まるだろうよ」
【母さん】が両手を組むと座ったまま伸びをした。
上等で真っ白な絹のシャツが伸びて、胸を頂点に立て皺を作る。
思わず視線を逸らす。
「お前のお陰で海運で傷ついた人間も働けるし、夜盗崩れもまっとうな仕事にありつけたし、これだけの会社になったんだ」
「会社は協力するよ」
【母さん】は背もたれに背中を預けて俺に微笑む。
「【母さん】ありがとう」
「ん」
「今回の手配は自分で出来ない理由があります」
「お仕事として会社に依頼出来ますでしょうか」
「いいよ。軍を引き連れての領内の通行はアイヒェンにお願いするとして」
「イェジオラ。ボジョンテフとプシャノボを呼んでもらえるかい」
半開きにされた扉へ【母さん】が呼びかける。
「かしこまりました。支店長と副支店長を呼んで参ります」と直ぐに返事が返って来る。
それから間髪いれずに、先ほどの老紳士が杖をついて入ってきた。
後ろからオールバックのやたら目つきの悪い男が入ってくる。
「失礼しやす」
支店長も副支店長も適当な椅子に座る。
「ノイシェーハウ本国へ脱出させるのは何人だい?」
「全員乗車で1000人と遺骨」
俺は答える。
「だそうだ。鉄道で1000人をノイシェーハウに速やかに脱出させる」
「機関車10編成は必要だね」
「12編成かな」
「ノイシェーハウまでの運賃・宿泊・食料・消耗品・陸路の馬車の手配・安全」
「それをこの支店で手配してやってくれ。仕事だ」
「支払いは小僧の共通金貨だ」
「とすると、鉄道運行の変更による荷主への補償金、蒸気機関車の集結に伴う石炭と水と人の確保。追加の工事とその手配」
「支払いには両替より手形の方がいいですね」
「とすると若旦那の部門に全面的に協力してもらわないと」
「途方もない金が動くことになりますから、両替では対応しきれませんね」
【母さん】の言葉を副支配人は継ぐ。
オールバックに整っている髪を更に撫でつけて、口の端を持ち上げる。
「副支配人。お前が若旦那部門と話を付けてくれ」
「発注者はこの首都支店だ」
「俺は鉄道までの手配をする」
片足のない支配人が、副支配人に顔を向けずに話す。
何となく二人の緊張関係を想像させる距離感だった。
「いいですよ。興味ありますからね」
「後々こっちを脅かすかもしれない部門の事、しっかり見ておきますよ」
まるで縄張り争いする夜盗の様な会話に見えてくる。
「ボジョンテフ。鉄道までは目立たない様に、行程全てで軍に戦闘させずに安全を守る必要がある」
【母さん】が俺の言いたかった事を代弁する。
「でしたらノイシェーハウの冒険者を使いましょう」
「金が貰えて帰りに鉄道に乗れるかもしれないとわかったら、幾らでも集まります」
「出発は?」
【母さん】がにやりと笑う。
「一部は明朝。今夜中に俺の部隊と関係者は郊外のノイシェーハウ宿営地に集結させます」
「そして明朝出発したい。これより遅らせる事は出来ない」
「俺は別動隊になります。明朝出発した者とは、パジン家かツァジン家で合流する予定です」
「合流はツァジン家がいいね。あそこならツァジン支社がある」
「わかりました」
見ると支店長と副支店長が青くなっている。
直ぐに副支店長が異論を唱えてきた。
「これだとこっちの業務に支障が出るどころじゃないです」
「いい商売じゃないか」
「やり切って見せなよ。どうせこんな事日常茶飯事だったろ、海の上や夜の街じゃね」
「ありがとうございます」
俺はすかさず頭を下げた。
「後、俺の金に余力がありましたら、メットナウでヴェークに率いられている重傷者の海運もお願いしたいです」
「それはノイシェーハウから貰おうかね」
「アイヒェンに手伝って貰うから気にしないでおきな」
「計画はこっちで立てておくよ」
【母さん】は俺に酷く魅力的なウィンクをした。
少し胸の動悸が高鳴ったのは、誰にも秘密だった。
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次回 脱出 行動開始
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