◇26 トラブル(ト・ラブ・ル)
【城壁内街・城壁外街】
【戦勝記念式典翌日 朝】
結局服は貰えずに、部屋に入ってきた従僕に素っ裸で世話をされた。
前後の挟み撃ちに会い、俺はなす術もなかった。
せめて剣があれば討ち死にも出来たろうが、相手が自分の母親と自分が選んだ平民の従僕とあっては、切っ先を向ける訳にはいかない。
そして俺は剣を持っていなかった。
俺の裸を気にしない従僕の態度に、少し何かが傷ついたような感じがして逃げるように屋敷を出た。
食事を済ませずに宿場へと向かう。
この世界で始まった記憶以来、初めて鎧以外の衣服を身に着けた。
体を優しく撫でる肌理の細かい布。
手首を締め付ける固い布。
更に襟は波打つ弾力のある布で作られていた。
下半身は鎧の様に常時締め付ける物でもなく、平民の様に緩やかな物でもなく、伸縮性のあるぴたりと体に沿うものだった。
この軽さが不安を誘う。
剣も弓も防げない。
しかし動きやすかった。
昨日歩いた夜とは違って、貴族街も城壁外街も人が溢れて活気がある。
裏路地ですら生活感があり、人がいないところは無いのでは無いかとすら思えた。
そして宿場の裏口から広間へと入った。
「ヴァシュリンガー中隊長入室! 気を付けぇ!」
俺に気づいた誰かが号令をかける。
広間にいた全員が直立する。
俺はそれが嬉しかった。
何故ならば。
昨日までこの広間は死にゆく重傷者が横たわる場所だった。
それが今では兵がくつろぐ場所になっている。
俺は敬礼を解くと、広間を歩いて兵を見て回った。
皆笑顔で、兵によっては家族の元へ帰る事が出来ると言って涙していた。
俺も目頭が熱くなる。
本当によかった。
直ぐにリンヴェッカーとシュール、コルネスティ、モニオム、ホリオンが迎えてくる。
「民衆はどうだ?」
俺はリンヴェッカーに聞く。
「まだまだいますが大分引いてきました」
「名簿の参照位はしたら如何でしょうか」
「ダメだ」
「どんな希望も聞いてはならない」
「ノイシェーハウ領についてからだ」
「混乱が拡大する。近づけてはならない」
「わかりました」
「それとおめでとうございます」
「ん?」
みんなが自分の右手を額に持ってきて、被ってもいない帽子を持ち上げるフリをする。
見ると広間にいる兵全員が同じ仕草をする。
これは何だ?
「なんの事だ?」
「男になられたんですよね」
「相手は誰だったんですか?」
シュールがにやついている。
そういう事か。
「何もしてないよ。疲れ切って鎧のままベッドで眠りこんでしまった」
広間中から落胆のため息が聞こえてくる。
「勿体ない。母親も従僕も美人揃いなのに」
「シュールには間違ってもやらないぞ」
「それに手を出すなよ。お前なら自分で探せるだろ」
あからさまに落胆するシュール。
「実はヴァシュリンガー様が童貞を捨てるか、賭けていたのですよ」
「お前はどっちに賭けたんだ?」
「捨てる方です。モニオムの一人勝ちですよ」
ホリオンがモニオムの肩を叩いている。
仲いいんだな。
しかしモニオムは無表情のままだった。
「食事を採りたい」
「その後、リンヴェッカーとシュールには相談がある」
「コルネスティとホリオンとモニオムは引き続き頼む」
「我々は相談に入れて貰えないのですか?」
コルネスティが傷ついた表情をしている。
「リンヴェッカーとシュールはノイシェーハウからの護衛騎士だ」
「今回の相談はノイシェーハウ本家についてだ」
「お前とヌワは俺の護衛騎士だ。だから俺の領民を頼む」
「誤解しないで欲しい」
「ホリオン、モニオム。お前達も含めて俺は全員を信用している」
「ありがとうございます」
全員が頭を下げた。
※
【城壁外街 宿場】
【戦勝記念式典翌日 朝】
俺は教えて貰った部屋へ行く。
シュールとリンヴェッカーも同じ3階に部屋があるらしく、共に昇った。
この宿場はまさしく俺達に占領されていて、廊下もどこも全て【うたうもの】と兵に占領されていた。
兵と【うたうもの】が同室なのを見ると、差別の撤廃に関してリンヴェッカーとホリオンは徹底しているようで頼もしい。
「宿場はキツキツですからね」
「食事の時間を遅らせますか?」
「必要ないよ」
シュールの軽口で、配食は俺の望んだとおりに来る事を確認する。
リンヴェッカーとシュールと別れて一人で廊下の奥へ進んだ。
レンガ造りの階段を昇って3階の運河に面した一番奥の部屋だった。
恐らく一番いい部屋を宛がわれたと確信する。
何気なく扉を開けると、そこにレディ=マホとイルチがいた。
「ん?」
レディ=マホとイルチは着替えの最中だった。
イルチは胸帯を解いていて腰帯を解く途中だった。
そしてレディ=マホは既に全裸で窓を背に立っていた。
イルチは体の毛を逆立てて、盛んに何かを叫んでいる。
単切音が甲高く鳴り響く。
俺は慌てて扉を閉めた。
同室者がいるとは聞いていたが、まさか女性だとは思わなかった。
扉を背にため息をつく。
これが奴隷という意味か。
廊下に【うたうもの】が出てくる。
まるで敵襲を食らったかの様な慌ただしさだった。
それに釣られてホリオンの兵もシュールも剣を掴んで廊下に飛び出してきた。
そして俺の困った姿を見て、シュールがニヒルな笑みを浮かべると、部屋に戻って行った。
そして兵も苦笑を浮かべて部屋に戻る。
更にその動きを察して【うたうもの】達も部屋に戻っていった。
なんだか昨日から調子が狂う。
戦場から遠く離れて日常に戻りつつあるという事か……。
確かに戦勝記念式典も無事に終えて、俺のこの戦争における戦闘は終わった。
後は戦後の後始末だけだ。
そう考えると戦闘を引きづっているのは俺だけとなる。
気持ちを切り替えなければ。
振り向いて扉をノックする。
返事を待っている内に扉が開かれた。
扉を開けたのはイルチでその顔は明らかに怒っていた。
その向こうで簡素なドレスを身にまとっていたレディ=マホが微笑んでいた。
見るとイルチも白いワンピースを着ている。
そういえば廊下に飛び出してきた【うたうもの】も皆、腰布を止めて人間の服を身にまとっていた。
部下達の手配の良さに感嘆する。
「レディ=マホ。イルチ。すまなかった」
「扉をノックするべきだった」
「これから気を付ける」
それでもイルチは俺を部屋に入れてくれなかった。
「レディ=マホはずっと待っていたんですよ」
「それなのに、ご主人様は他の女と寝てくるなんて」
「かわいそうと思わないのですか?」
なんだって?
あの賭けの話は女性陣まで及んでいるのか?
「いや、それは誤解だ」
「自分の家族と会っていただけだ」
「【うたうもの】や兵のこれからの為に一泊する事になった」
いつの間にかイルチは短剣を握っていた。
今は鎧すら着ていない。
刺されたら確実に死ぬ。
「イルチ。お腹はすいていないか?」
しばらく無言の時間が流れる。
「すきました」
「食べてないのか?」
「レディ=マホがご主人様より先に食べる訳にはいかないって」
「それに夜以外は軍務だからいずれ来るからって言って」
「我慢していました」
「それは済まなかった。直ぐに食事にしよう」
俺は扉を叩いた給食兵にレディ=マホとイルチの食事の手配を頼んだ。
俺も朝食をそれまで待つ。
「イルチ。レディ=マホ。良く似合っている」
「綺麗だ」
イルチは体を隠して顔を険しくし、レディ=マホは微笑みを強くした。
----------------------------------------------------------------
次回 平時など存在しない
----------------------------------------------------------------




