◇21 上屋敷 母達(マザーズ)
【王都城壁内・ノイシェーハウ上屋敷】
【戦勝記念式典当日 夕】
「ん。じゃあ私は終わりだ」
「後は母親にでも挨拶するんだね」
大お婆様が俺を促す。
俺は大お婆様の右側に立つ女に挨拶をするべきか。
それともパッサイル大佐に挨拶をするべきか。
大お婆様に視線を向けたまま、俺は口を開いた。
「母さん。ただ今帰りました」
目を合わせない失礼は承知の上だ。
しばらく無言の時が流れる。
もう一度、同じ言葉を繰り返そうとした時、反応があった。
「アタシが一番か。まあいいよ。おかえり小僧」
「よく無事に帰ってきたね」
実に意外な反応があり、俺を混乱させる。
声の主を見ると右壁に立っているベリーショートの赤髪で、シャツとパンツの女が崩れた態度で俺に笑顔を向けた。
どういう事だ?
俺は確かに母さんと言った。
どうしてこの女が反応する。
パッサイル大佐でもなく、上座にいる女でもなく。
なぜこの女が……。
戸惑いを隠せない俺に、その赤髪の女は続けた。
「どうだい。会社の人間は役に立っただろ?」
脳内に、俺を若旦那、と呼んだ砲術長と掌砲長が浮かぶ。
お礼は【母】に甘えた時にしろ。と言っていた。
まさかこの女が俺の母?
「何度も命を救われました」
「本当に感謝しています」
パッサイル大佐が会社経営とは。と違和感を感じたが、別な人間を指していた。
ではパッサイル大佐とドレスを着た上座の女は。
「いいよ。それよりほら。まだ挨拶済んでないぞ」
まだ挨拶が済んでいない。
この事実が示すのは、信じられないが、俺には複数の母親がいるという事か。
信じられない事態だが、そうすると少しづつ辻褄が合ってくる。
しかしまさか……。
上座の女が一生懸命自分を指さしている。
俺はこの女をなんと呼んでいるんだ?
【母さん】は既に使った。
「母上。ただ今帰りました」
芸もなく、同じ挨拶を使いまわす。
「任務ご苦労だった。ティム」
「休むのも任務の内だ。それを忘れるなよ」
今度はプレンツェン・パッサイル大佐が反応した。
やはり母だったのか。
「ありがとうございます」
「本当に心が救われました」
「母の役目だ。気にするな」
「はい」
視界の隅に上座の女が肩を落としているのが見える。
この女も、本当に俺の母親なんだろう。
今までと違って見える。
これほどまでに親密な距離を保っているのなら、もっと砕けた呼び方だったのではないか。
「マム。ただ今帰りました」
しかし反応したのは、更に別の女だった。
黒に近い褐色の肌と銀の髪を持つ黒装束の女。
この壁に並んでいる女性がみんな俺の母親だと?
「うん。母としてお前の命があっただけでも、それだけでいい」
「本当にそれだけでいい。おかえりアクティム」
俺がマムと呼んだ母は、姿は魅力的な女性と変わりがないが、耳の先が長く尖っていた。
【うたうもの】と同じ亜人なのか?
「はい」
謎の女性に挨拶を済ませて、いよいよ最後の一人になった。
もっと距離の近い呼び方。
「ママ……」
「【ママ】は今はここにいない」
「後で挨拶に行こう」
すかさず【母上】のパッサイル大佐が助け船を出してくれる。
一体俺には何人の母親がいるんだ。
混乱の極みにあって叫びたいが、ぐっと我慢する。
後残っている呼び名は……。
もう距離の近い呼び方は思いつかなかった。
「お母様。ただ今帰りました」
「おかえり。アクティム!」
ドレスの裾を噛んでいた光輝く金の髪を持つ女の顔が晴れる。
まさかの最も距離感のある呼び方が、その女の呼び方だった。
俺には5人の母親が存在するという衝撃の情報に晒された。
過去の俺を良く知る人間が5人も。
場合によってはもっといる。
多重に包囲された俺は、素早くこの包囲を突破しなければならない。
俺には情報が必要だ。
俺の秘密を知っているリンヴェッカー、シュール、ヴェークと作戦を練らなければならない。
「では大お婆様。私は残りを指揮しなければなりません」
「お許しを頂けるなら、宿場に戻りたいのですが」
「ダメだね」
大お婆様が真面目な顔で不許可を出す。
「お前は軍を見ていればそれでいい訳ではないよ」
どういう事だ。
俺は軍人ではないのか?
「お前は無事戦地から帰ってきた」
「ノイシェーハウの孤児だなんだと言われても、ノイシェーハウと王国の為に英雄的な行為を成し遂げた」
「もう、完全にノイシェーハウの一族だよ」
「ノイシェーハウの族名をやるにはまだ早いけれどね」
ガルテンという叔父が体を乗り出して反応する。
それをビルゲン大叔父が手で制する。
「まだお前には汚名があったね」
「それは……なんでしょうか……」
「とぼけるんじゃないよ。出征前に私に約束したじゃないか」
まずい……。
俺はこの最高実力者を前に一体何を約束したんだ。
しかも、【お母様】の上座の女性は目を輝かせている。そして【母上】のパッサイル大佐は顔を固くして俺と目を合わせない。
【マム】の黒装束は呆れたような顔をしている。
【母さん】の会社の母はにやついている。
なんだそれは。
なんだそれは。
なんだそれは。
俺は沈黙を守る。
わからない。
「童貞を捨てるんだろ? 今度は逃がさないよ」
…………。
…………。
…………。
「は?」
全く想像もつかなかった言葉に、俺の思考は一瞬麻痺した。
そして次に脳が動き始めた時、最初に思ったのが「俺は童貞だったのか」。
少しの安心感が沸き上がる。
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次回 上屋敷 道程
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