◇19 上屋敷 謁見(オウディエンス)
【王都城壁内・ノイシェーハウ上屋敷】
【戦勝記念式典当日 夕】
結果。ヌワがチカラづくでドアマンをどかす事で、流血には至らなかった。
俺はドアマンを称賛して詫び、服の補償を約束して屋敷に入った。
自分の限界は既に玄関で思い知らされた。
未来への不安。現在への不安を感じている時には、攻撃的になる。
これは本来の性格だろうか。
何度護衛騎士のとりなしに救われただろうか。
不安の裏返しで、攻撃を選んでしまう。
黙り込み、従順にすらなれない恐怖への敏感さ。
この性質のせいで何人の人間が死んだのだろうか。
この性質のせいでこれから何人の人間が離れていくのだろうか。
この性質のせいでこれから何人が死ぬのだろうか。
この性質のせいでいつ自分の命が行き詰まるのだろうか。
そう自問できる位、この屋敷の廊下は長かった。
俺の母であるパッサイル大佐が、俺を抱きしめて剣を手放させた。
その弛緩も繰り返される慈悲と、民衆の圧力によって、すっかり戦場のささくれだった心に戻してしまった。
自分の心にそう言い訳をして、埃一つない廊下を進む。
そしてフェヒターは扉をノックすると、すかさず扉が開いた。
ちらりと見えた使用人がその扉を開けたようだった。
良く観察しろ。
軽く頭を下げるフェヒターに礼を言って、俺は一歩その部屋に踏み入れた。
「アクティム!」
またこれか!
死角から突然抱きしめられる。
恐らく母だ。
戦場で止められない俺を止めてくれた抱擁。
「アクティム!」
「よく生きて帰って来てくれました」
俺は抱きしめられるままにして、母の肩口から部屋を見る。
母の奇襲攻撃には勝てない事を、俺は戦場で知っている。
中央の一際立派な椅子に座る老婆が恐らくドロッセル様だろう。
そのドロッセル様から見て、右側は空白だ。誰かが立っていたのかもしれない。
そして左側に控えるのが、ビルゲン大将。
その隣には見た事のない茶色の髪を肩口で切りそろえた若者。序列から言って3番目という事だろうか。
「アクティム!」
「よく生きて帰って来てくれました」
部屋の左壁に沿って、使用人達だろう。が立っている。
背筋の伸びた老紳士と仕事服を着た老婦人。そして部屋いっぱいに続く白黒の執事服とメイド服。
部屋の右壁には男装の軍服を着たプレンツェン・バイ・パッサイル大佐。
そして黒に近い褐色の肌と銀の髪をシープボーンに束ねる黒装束の女。
更にベリーショートの赤髪を持つ、シャツとパンツの女。
ん? 母が立っている?
どういう事だ?
「アクティム!」
「さぁ。母に顔を見せておくれ」
母……だと?
あの戦場の夜。パッサイル大佐は確かに自分の事を「母」と呼んだ。
俺の事を親愛を込めて「ティム」と呼んだ。
そして戦塵と皮脂、血に汚れる俺を抱きしめた。
俺の頭が混乱の極みに達する。
あの戦場と同じように両頬が柔らかい手に包みこまれて、頭が固定される。
……この女は誰だ?
潤んだ青い透き通る眼。穢れの無い白い肌。光り輝く金の髪。
長いまつ毛を持つ目じりには涙が溜まっていた。
「臭いですよ」
「臭いものですか!」
桃色の唇が弧を描いて笑みを浮かべる。
俺の両頬にキスの雨が降ってきた。
※
終わらぬキスの雨を止めたのは、ビルゲン大将の隣に立つ若者だった。
その目は嫌悪を湛え、俺とこの母を名乗る見知らぬ女に向けられていた。
俺は心にこいつは敵かもしれないと刻んだ。
「お婆様への挨拶もなしにいちゃつくのも大概にしたらどうだ?」
その言葉を無視して最後に俺の頬に長いキスをすると、ようやくその攻撃的な桃色の唇が離れた。
「ガンメリンの報告を聞いたでしょ」
「王都での騒乱騒ぎ」
「本当に無事に帰ってきたんだもの」
「再開の喜び位はさせて」
俺を抱きしめながら、その若者に母を名乗る女は言葉を返す。
香水なのか、元々の香りなのか。
鼻腔を甘いものがくすぐる。
「アイヒェン。ひ孫との再会を喜びたいのは私も一緒なのだがね」
楽しそうに見ていたドロッセル様が、更に楽しそうな声を出す。
俺はまた心に書き留める。
俺はドロッセル様のひ孫。敵ではなさそうだ。
あの若者を除いて、部屋の人間全てが軽い笑いを漏らす。
この笑顔は心からもものか。それとも追従か。
見極めなければならない。
マリーエンロッゲンは俺を孤児で義子と言った。
ならば、パッサイル大佐が俺を拾ったのか?
しかし立つ位置がおかしい。
そして俺を抱きしめるこの女。
まだ家系図が組みあがらなかった。
更に注意を心に書き留める。
俺を抱きしめた女が「ごめんなさいお婆様」というと、ドロッセルの右隣に立つ。
というと俺の母を騙ったのは、プレンツェン・バイ・パッサイル大佐なのか?
そして俺に視線が突き刺さるのがわかった。
挨拶を要求されている。
これからどうする?
震えている事を気づかれないように、一歩一歩を踏み出す。
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次回 上屋敷 俺
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