◇29 埋伏 森の奥(ザ・バック・オブ・ザ・フォレスト)
【国境・王国側街道の森】
【2日目 昼 固守残り2日】
湿った下草を踏みしめて森の中を進む。
雨雲に遮られた陽光は、更に針葉樹の樹冠に遮られて、辛うじて松明が必要ないという位の明かりしか到達しない。
林床に茂った草のない森は、奥を見渡せるようで見渡せない。
空気の寒暖の差が起こす霧。木々から放出される霧。林床が起こす霧。
森は常に人間の方向感覚を狂わせようとする。
こんな森の中を、人間は普段立ち入らない。
「危険だ」
独り言が出てしまうほどに緊張感を要求される。
森の淵ですらレベル2のモンスターが出ている。
ここまで奥に踏み込むとどれほどのレベルのモンスターが出てくるのか。
おまけに敵の部隊も、俺達を攻撃するべく捜索している。
モンスター討伐の専門家である冒険者でもない兵士が、戦争の要求によってここまで奥深く進んでいる。
今すぐここから離れるべきだ。
しかし森の淵を迂回して進まないと、谷の出口であるだろう、補給物資か指揮本部を襲えない。
霧が肌に溜まって落ちる滴だけではない、体から湧き出る滴をしたたらせて粛々と進む。
そして先頭を進む俺に、イルチとウイチが音もなく駆け寄り、ともに進む。
イルチが俺の小手を掴んで歩む。
「どうした?」
「ご主人様。後を付けられているかもしれません」
「規模は?」
直ぐにイルチがウイチにさえずる。
しばらく俺には通じない言葉が交わされる。
「ごく少数です。5人か6人」
「よし、ア・レを後衛につけてくれ。戦わなくていい。敵が近づいたら待ち伏せをかける」
「近づかなければ、今のところ放っておく」
【歌うもの】が味方に付いてくれて、本当に助かる。
【歌うもの】は俺達人間より鼻が利く。
それだけで、希望が持てた。
※
【国境・王国側谷の出口】
谷の中に張られていた天幕は今、谷を出た広場に設置されていた。
足元を見ると、踏み荒らされてぬかるんだ泥が軍靴に絡む。
水たまりの中に、赤い水たまりがあるのは、ここが戦場だった証だった。
「森の街道はほぼ打通されました」
「伏撃もなく、部隊を前進させています」
情報幕僚が報告してくる。
「平原に出る正面の敵は?」
「中隊規模に弱り切った部隊が陣取っていますが、示威以外の脅威はありません」
天幕を開けて外を見る。
相変わらず雨は降り続く。
森の中は尚更見通す事が出来なかった。
森の中に放った部隊が効果を現しているという事か。
いや、これだけ護衛の兵士が控えていれば、連隊本部を攻撃する事なんかできないだろう。
およそ1個中隊が連隊本部の補助業務の他、警備で控えていた。
「普通に考えれば、敵を追い詰めている筈の我々は、柔らかい脇腹を晒している事になります」
連隊首席幕僚が声をかけてくる。
私に何か足りない事か、注意しておくべき事があるという事だ。
「敵は弩級部隊を集中して叩いてきました」
「近距離で戦えば、まだやれるという目算があると考えるべきでしょう」
「それに、我々は街道を打通出来たとしても、まだ部隊は展開途中です」
「展開途中の部隊は奇襲を受けやすい」
「そうですね」
「しかし、連隊長の一手で奇襲を受けているのは、敵方でしょう」
「森の中の伏撃部隊を駆逐するのが急務という訳ですか」
連隊情報幕僚が口を挟む。
「そうだ、しかし我々は待つしかない」
連隊首席幕僚の話を継ぐ。
「部隊は展開中。ならば連隊本部はどんな事態が起きようとも即応できる状態にしておかなければならない」
「流石に慎重を期しますね」
連隊情報幕僚も落ち着いた声を出す。
こいつも随分変わったな。
「当然だ。私の時間に焦る気持ちはある」
「しかし今までの戦いを見たか? 次から次へと我々を苦戦させる」
「連隊長がおっしゃられるように、本当に匪賊を相手にしているようですな」
「匪賊が相手ならもっとやりようがある。今頃、命欲しさに逃げているだろう」
「しかし匪賊は国に忠誠を誓わないが、相手の指揮官は別なようだ」
「あきらめないだろう」
「相当な敵……と、早く我々に認識して貰いたい訳ですね」
部下の落ち度をことさら指摘する必要はない。
しかし、やっとここで指揮官と幕僚の認識が一致したかと思うと、軍隊とはいえ人は難しいと改めて思う。
「慎重を期すといっても、既にここは王国の領土だ」
「敵の本体の追撃こそならないかもしれないが、我々も元帥も王国に踏み込んだと名目が立つだろう」
幕僚達は黙っている。
軍人の本能として政治には絡みたくないのだ。
それはそれでいい。
しかし私は連隊長で止まる気はない。
「部隊の展開が済み次第、正面で陣を組んでいる部隊を突破する」
「しっかり温かい食事を取らせて、英気を養わせておけ」
※
【国境・王国側街道の森】
【2日目 昼 固守残り1日半】
森は次第に針葉樹森へと変わっていく。
見上げても樹幹がわからない程の巨木が支配し、薄闇へ逆戻りしたかのような錯覚をする。
雨は降り続いている筈だが、樹幹が雨を遮り、伝った幹を濡らすだけだった。
視界の聞かないこの森の中で、俺達の目になったのはイルチとウイチだった。
これほどの能力があるのに、何故人の奴隷になるのか俺には疑問だった。
奴隷としての歴史が長いのかもしれない。
あるいはそうではないのかもしれない。
今詮索しても仕方のない事だった。
しかし俺は記憶のどこかにとどめる事にした。
「レベル2が出てこないな」
「既になわばりの外なのかもしれませんし、戦争の音で逃げたのかもしれません」
「いずれにせよ冒険者がいないと判断がつかないか」
「そうですな」
シュラーが俺の軽口に付き合ってくれる。
その時、先頭を進む兵士が左手を上げた。
全員が素早くしゃがむ。
そして割り当てられた方向を警戒して耳を澄ます。
しかし何も見えないし、聞こえない。
先頭の兵士が身を屈めたまま俺のところへ走ってきた。
「中隊長殿、やばいですよ。逃げた方がいいかもしれません」
「野生動物か? レベルはどれくらいだ?」
「私にはわかりません。しかし本職は猟師です」
「今まで猟してきた中で、これだけやばい感じを受けた事がありません」
目の奥に心底恐怖を抱える猟師の隣へ、イルチとウイチも駆け寄ってきた。
「ご主人様。ウイチには見えるそうです」
「とても危険なモンスターです。引き返した方がいいです」
「どんなモンスターか知っているのか?」
イルチがウイチにさえずると、ウイチは頭を横に振った。
後方に接近している追跡部隊も気になるが、時間をかけていられない。
「わかった。みんなありがとう」
「部隊を後退させる。この地点から谷の出口まで最短で抜けるぞ」
みんなの了解の頷きを返す。
ゆっくり腰を上げると、進行方法を今まで来た方向へ変える。
俺は猟師の肩を叩くと、もう一度先頭に立てと命じる。
猟師は頷くと、素早く先頭に向かった。
街道から真横へと森の奥に向かった。
ここから斜めに谷の出口に向かえばいい。
これ以上森の奥に入らなければ、厄介な野生動物と会う事もないだろう。
その時、後列から警告の叫びが上がった。
「野生動物だ!」
明確に無数の足が林床を駆けてくる音がする。
やるか……。
とっさに剣を抜こうとするがやめる。目的が違う。
そして現れたのは、とてつもなく大きな甲虫ムカデだった。
無数の足音の正体はこれか!
俺達、獲物を見つけて上半身を起こした姿は、人の背丈の3倍ほどもあり、とてつもなく巨大だった。
おまけに頭部の両脇に鎌を構えている。
「逃げるぞ。猟師に続け!」
俺の命令を合図に全員が散を乱して駆ける。
駆け出し様振り返ると、甲虫ムカデは長い体を起用にくねらせて、木々を避けて走ってくる。
俺はとっさにイルチの腕を掴むと、引きずる様にしてかけた。
「散らばるな! 散らばるな!」
「部隊は固まって逃げろ! 森で迷うぞ!」
俺は部隊をまとめながら、猟師を追った。
「中隊長殿! 敵です!」
猟師の警告が響き渡る。
追跡部隊か。
「ほっておけ!」
共和国兵の追跡部隊が、唖然と俺達を見送るのを尻目に俺達の部隊は駆けた。
見れば6名。俺達20名程度の兵力とまともにやりあったら勝てない。
当然の選択だと思った。
すれ違い様、身を出して俺達を見ている兵の足を斬った。
シュラーも1人首を刎ねている。
振り返ると、甲虫ムカデが斬り倒された追跡部隊の兵を噛み砕きながら追ってくる。
共和国兵も俺達に混じって逃げはじめる。
シュラーが共に逃げる共和国兵の背中を斬りつけて転ばせる。
それを見て他の兵が共和国兵の背を斬りつける。
シュラーに転ばされた兵は悲鳴を上げて立とうとするが、腰が抜けている。
尻もちをついたまま剣を振り回していた。
他の共和国兵は、這って逃れようとしていた。
甲虫ムカデは立ち止まって鎌首を持ち上げると、腹の中から無数の小さな甲虫ムカデが吐き出された。
「見るな!」
とっさにイルチの目を片手で隠す。
絶叫と断末魔をあげる共和国兵を背に俺達は駆けた。
完全に周囲が無音に戻ると、次のモンスターを呼び寄せないように、部隊を再び哨戒速度に落とした。
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次回 埋伏 目前
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