◇22 初めての夜 夜明け前(ビフォア ドーン)
【国境・王国側谷】
【2日目 朝 固守残り2日】
濃紺の空はやがて薄雲に覆われて、星の明かりを覆い始めた。
薄雲の底面が白じみはじめ、たき火を炊かなくても辺りが見渡せるようになってきた。
そして黒い波が谷の奥から忍び寄ってくる。
敵だ。
その黒い波から一群の塊が離れると、探るようにゆっくりと壁に近づいてきた。
距離を詰めるにつれ、その黒い塊が、白と青の軍服に身を包んだ騎兵だという事がわかり始める。
旗手の持つ共和国の旗は靡いていなかった。
その馬群から更に一人が馬を進める。
「壁の奥に隠れて震えている王国軍の指揮官に告げる!!」
「姿を現して貴族らしく決闘する気はないか!?」
馬上で槍を掲げ、頭上で振り回す。
馬首を巡らし、壁の前を左右に往復する。
「誰だ?」
「敵の部隊長でしょう。恐らく大隊の」
「まだ階級章はみえませんが、そう判断します」
シュラーが答える。
「ありがとう」
「弓で狙えるか? 距離があるようだが」
俺は振り返ると弓兵に声をかけた。
前に出ようとする弓兵をシュラーが押しとどめる。
「ご主人様」
「それとも貴族が平民と戦う勇気はないのか!?」
「平民の後ろに隠れて口を動かすだけか!?」
「決闘はお前たちの戦い方だろう!」
下から挑発の怒声が響いてくる。
随分大きな声が出せる。
それだけでも強そうな印象を与える。
「シュラー。まさか決闘に応じるつもりじゃないだろうな?」
「俺は応じるつもりはないぞ」
シュラーが俺をまっすぐ俺を見つめてくる。
ソチェニもじっと俺を見ている。
その間にも共和国兵の徴発も続いている。
「隠れて震えて、閉じこもって。それで戦っているつもりか?」
「貴族というのはタマなしなのか?」
「ここで敵を斬れば部隊長を一人殺せます」
「それで? 俺が負ければ?」
「……男は戦う前に、負けを口にしないものです」
「それは指揮官として無責任だ」
「俺が負けたら、谷の出口の守備は放棄され2日の固守命令を守る事が出来ない」
「ならば私が行きます」
シュラーが剣を抜こうとする。
「不許可だ」
「万が一お前を失えば、俺の隊はまとまりを欠いて敗れる」
「俺には老練で経験豊富なシュラーが必要だ」
「つまり、一騎打ちを逃げたという汚名と、徴発の屈辱に耐えろと言われるわけですか? ご主人様」
「そうだ。命令に変えてもいい」
「ご、ご主人様への辱めを護衛隊が見過ごすなど……」
「見過ごせと命令している」
俺達が話している間にも、敵は手袋を投げて笑っていた。
ソチェニが悔しそうにそれを見る。
「貴族を笑いものにするとは!」
「平民め」
「ソチェニ。お前が行くか?」
「お前は私が死んでも、この谷の出口を明け渡す気はないだろ?」
「当然だ」
「なら犬死ではないか」
「お前に俺の名誉も価値も認める気がない」
「わかってきたじゃないか」
改めてシュラーを見る。
「もう一度確認する。俺たちの目的は3日間の固守だ」
「そしてそれは今日を入れて2日残っている」
「どんな手を使っても犠牲を最小限にする」
「それに比べれば、笑われる事なんて些細な事だ」
「敵も味方も皆見ています」
「後々まで嘲られます。ご主人様」
「後の事は後で考える」
シュラーは長い髭を震わせて押し黙る。
それを確認して改めて弓兵に命じる。
「弓兵。届かなくてもいい。あいつを追い払え」
敵兵の足元に矢が突き刺さる。
今度は慌てて戻る敵騎兵に向けて、味方から笑いが起こった。
そしてその笑いが凍り付く。
「なんだあれは?」
黒い波が割れ、台車が3台進み出てくる。
「バリスタ(弩砲)です。巨大な弩弓と思ってください」
「ここでは危険です。恐らくこの壁では防げません」
シュラーが教授してくれる。
一騎打ちを申し込んでいる間に準備していたわけだ。
貴族と騎士のプライドを利用されて、時間稼ぎされたわけだ。
「後退だ! 森の入り口まで後退しろ!」
「ご主人様!」
シュラーに引き倒されて、組み伏される。
その直後、離れた場所の木壁が爆発した。
弩砲の直撃を喰らった兵が、千切れながらはるか後ろに飛ばされる。
弩砲の矢が当たった場所の木壁は、破壊されてごっそりなくなっていた。
シュラーの体をどかして立ち上がり辺りを見る。
先ほど、敵の大隊長の足元を射貫いた弓兵が痙攣して倒れていた。
飛び散った木片が左足を付け根から吹き飛ばしていた。
俺は剣を抜いて、背中に突き立てる。
苦しみを長引かせる事はない。
「次が来るぞ。急いで後退だ!」
俺が声を絞って、命令をあたりに伝える。
「カタパルトォォォ!」
誰の叫びか確認する間もなかった。
再びシュラーに引き倒される。
そして轟音と共に、足場が崩れる。
俺はシュラーと組み合ったまま落下した。
※
【国境・共和国側谷】
谷底はまだ陽光が届かなかったが、見上げた空は陽光の兆しが雲底を照らしている。
「朝が来たか」
谷の奥から歓声が波のように伝わってくる。
「連隊長」
連隊情報幕僚が駆け寄ってくる。
「谷を抜きました」
「わが連隊の損害は皆無です」
「よし」
思わず声が弾みそうになるが、ぐっとこらえる。
指揮官が部下の前で感情を晒すわけにはいかない。
「増援第1大隊がそのまま出口を確保。敵が後退したと見える為、騎兵1個中隊を威力偵察に出しました」
「敵が後退だと?」
「後列に予備で陣も張ってないのか」
「例によって、壕は掘ってありましたが、完全に無人になっていました」
「即座に追撃を命令しますか?」
「いや、大隊長の判断は正しい」
「あの指揮官は罠を張っているに違いない」
「しかし……。谷を抜けたら街道は森に囲まれています」
「後退と言っても、街道を一本道に進むしか……」
はしゃぐ連隊情報幕僚の声が萎む。
大方、戦務幕僚に変わって追撃命令を出すチャンスとでも思ったのだろう。
命令を出せるのは指揮官である私だけだ。
「森の中に偵察を放ったか? 敵の捕虜は?」
「森の中には野生動物がいます。みすみす逃げ込む事は考えられません」
「捕虜は取れませんでした。死者も回収して後退したようです」
「負傷兵を抱えての後退は時間がかかります」
「やはり、この機会に追撃を図った方が……」
「連隊情報幕僚。連隊長は森の中は偵察したのか? と聞いておられる」
「そ、それは……」
「確認して参ります!」
連隊首席幕僚に睨まれた連隊情報幕僚が、敬礼すると慌てて走り去る。
「どう思う? 連隊首席幕僚」
「はっ。恐らく街道で敵を見つける事はないかと思います」
「では、野生動物がいる森に逃げ込んだと」
「血の匂いがする戦死者と負傷者を連れて?」
「そうすると我々と戦う前に野生動物と戦わなければならないな」
「愚か者の選択に見えるが?」
「今までも我々の想像を超える戦いをしてまいりました」
「まだ警戒していた方が良いでしょうな」
「まるで山賊か盗賊の討伐だな」
「まあ、想像を超える戦いをしている相手に、我々は勝ってきた。一応な」
谷の奥を見つめる。
「森を抜ければが手に届くのにな。歯がゆい事だ」
「朝を迎える前に連隊長は一勝しました」
「まずはそれを喜びましょう」
「増援の大隊を褒めておいてくれ、私(連隊長)の名前でな」
「は、これで大隊長の不満は解消されるでしょう」
主席幕僚が一礼する。
「お前の言う通り、私も敵が森に潜んだ気がする」
「森の街道を抜ければ、王都まで続く平原だ」
「必ず罠を張る」
「連隊長殿」
「あまり敵の指揮官に拘泥されませんよう」
主席幕僚の皺が更に深く刻まれる。
「わかってる」
主席幕僚の背を軽く叩く。
「さぁ連隊を前へ進めよう」
再び陽光は弱まり、雨が降り始めた。
この雨は長く続くような気がする。
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次回 埋伏 モンスターの森
2016年07月12日07:00公開予定
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