◇21 初めての夜 刃物の少女(カトラリーガール)
【国境・王国側谷】
【2日目 夜 固守残り2日】
月はその輝きを薄めて、代わりに空の闇が濃紺に色づいてきた。
シュラーと共に即席の壁の上に立つ。
途中で構築を止めたとはいえ、良く一晩でここまで作れたものだ。
高さは人の3倍はあり、身を隠しながら上に立てる。
この障害物で、どれだけの時間を稼ぐ事が出来るか。
「クライナーの後衛部隊は森の出口で防衛線を形成」
「コルネスティの傷病部隊は、最後の予備兵力として平原まで後退」
「モニオムと【歌うもの】はコルネスティの後方……」
俺は独り言を呟きながら、部隊の配置を再確認する。
全てではないが、【歌うもの】達への約束は果たせたような気がする。
少なくとも戦場から距離をおく事が出来た。
「リンヴェッカー、シュール、ジアルマタは森の中に埋伏しました」
「そうだな」
「落ち込んでいるのですか? ご主人様」
「兵には悟られないようにしてください」
「結論を言えば俺は命令するべきではなかった」
「【歌うもの(シンガー)】の協力は得られました」
「それほど気にしなくてもよいのではないかと」
シュラーの漆黒の鎧が次第に浮かび上がってくる。
「そう。俺はこの障害物を作るときと同じように、協力を要請すればよかったのだ」
「俺はどこか根本で人をわかっていないのかもしれない」
「何をいうかと思えば……」
「人をわかっている人などいませんよ」
「わかったという人間がいたら、そいつは嘘つきです」
「ただ、そのわかろうとする行いを忘れなければいい」
「ご主人様の祖父であるロストッカー・ノイシェーハウ様のお言葉です」
「レディ=マホとモニオムは……俺の命令を拒否することで……」
「俺が自分から手放した」
「俺の良心を守ってくれたんだな……」
「シュラーの慰めも心に染み入った。感謝する」
「いえ……」
視線を合わさないシュラーを見る。
照れているのか、当惑している老人を見る機会はなかなかない。
「シュラーはどうして俺が感謝すると困ったような態度をとるんだ?」
シュラーは白い髭を震わせながら逡巡する。
その目は苦悩に満ちていた。
「それは……」
「貴族は普通……感謝を述べません。身分の低いものに感謝を述べるときは……、死刑宣告と同義です」
「俺も感謝をいう事はなかったか」
「いえ。ご主人様」
「ご主人様だけは、よく口にされてました」
「しかしお許しください。私のような年寄りは、身を守る習慣が染みついております」
「感謝はきちんと受け取っております」
「しかしながら、貴族が簡単に身分の低いものに感謝をすると、付け込まれます」
「お気を付けを」
「俺は無知だ」
「それ故に、流儀が通せるし、それ故に危ない目にも遭うだろう」
「その時は護衛隊として助けてくれ」
「そして俺からの感謝は慣れてくれ」
「努力します」
「甘い男だ……」
いつの間にか傍に立っているソチェニが毒づく。
俺とシュラーは視線を谷の奥へ向けた。
篝火もその勢いを弱めている。
戦いの時間は近い。
「ご主人様」
笛の音が混ざったような声がする。
振り返ると俺についた【歌うもの】達が跪いていた。
いや、一人跪かないものがいた。
「立ってくれ。これからは跪かなくていい」
両手で立ち上がるよう促すと、跪いていた【歌うもの】が立つ。
真ん中に立つ少女はまっすぐ俺を見つめたままだった。
「俺はアクティム・バシュリンガー」
「自己紹介をしてくれ」
跪いていた二人が顔を合わせる。
やはり普通語(人間の言葉)は話していたのは、小さな女の子だった。
「私を覚えていませんか?」
笛の様な音に混じって、絞り出す挑戦的な細い声がする。
「申し訳ないが初対面だと思う。【歌うもの】はレディ・マホとヌワしか知らない」
少女が歩いてきて俺の脇腹に触る。
それはまるで宝物を撫でるような慈しむような撫で方だった。
そうか……。
「俺の鎧にナイフを突き立てた子か」
「謝るつもりはありません。まだご主人様を信じられないから」
「シュラー……。お前と同じだな」
俺は首を回してシュラーを見る。
シュラーはワザとらしい困り顔で肩を竦めた。
「謝罪を要求するつもりもない」
「俺の協力依頼に応じてくれて、君はここにいる」
「それで十分だ。感謝する」
少女は驚いた表情をすると顔を背けた。
「私の名前はイルチ・ドリナ」
顔を背けたまま、後ずさり離れた少女を見る。
「ご主人様の通訳と【歌うもの】の会話を担当します」
上唇から上は黒、下唇から顎は白と2色の肌と髪をしている。
鼻頭から眉を抜けて後頭部まで白いラインが走る。
人間でいえば15か16位の子供に見える。
レディ=マホが20を過ぎた女性として見るならばだが、【歌うもの】の本当の年齢はわからない。
「……あの……」
体の前面は茶色の肌をして、手足と背面は灰色の肌と羽毛。
胸元にV字に黒と白のツートンのラインが走り、背中で首を回ったラインが合流して、鋭く腰まで伸びる。
胸と下腹部に僅かな布を体に纏うだけだが、本当に人間と違う、その身に複雑な模様をまとっている。
「マイ……マスター……」
少女が羞恥に体を背ける。
「ご主人様。あまり見つめるものではないかと」
シュラーが俺の肩に手を載せて諫める。
そして俺は自分の行いに気が付いた。
「無遠慮な視線を向けてすまなかった」
「いえ、【歌うもの】を初めて見る人は、そうしますから」
声に含む怒りは消せないが、努めて不興を買わない様にしているのがわかる。
「許しに感謝する」
「申し訳ございません」
跪くイルチの手を取って立ち上がらせる。
自分の過ちを他人に償わせるのは、俺の主義じゃない。
貴族の感謝は死刑宣告……か。
ガーズですら怯えるのだから、奴隷だったならばなおさらだろう。
「もう、誰にも跪く必要はない」
「それで、残りの二人は?」
素早く質問して、偽善に満ちた俺の思いをかき消した。
「ウイチ・ジュ。森を見通す役目です」
「そしてア・レ。ご主人様の伝令を担います」
「宜しく頼む」
紹介された二人の肩を叩いた。
これで森への埋伏によって、部隊間の連絡方法が確保された。
「ここでの戦闘では、取りあえず協力してもらう事はない」
「森の入り口まで離れていてくれ」
「わかりましたご主人様」
「お前たちにはすまないと思っている」
「それでもお前たちの力を貸してほしい」
イルチが一礼するとウイチとア・レを連れて森へ降りて行った。
【歌うもの(シンガー)】が離れるのを確認して、再び谷へ向き直る。
空を染める濃紺も次第に薄くなりはじめていた。
壁の前には逆茂木。壕を掘る時間はなかった。
これでどれだけ時間稼ぎが出来るだろうか。
「半日は稼ぎたいな……」
「随分弱気なんだな。俺に剣を向けた時の威勢はどこへ行った」
「威勢で生き残る事は出来ない」
「特に敵の方が強い時はな」
「生き残る事より優先する事があるんじゃないか?」
ソチェニが疑問を投げかけてくる。
「俺はそれを知らない。自分の命より大切なものがあるのか?」
「貴族の誇りだ」
シュラーが黙って俺たちのやり取りを聞いている。
「だまし討ちに、障害物に隠れての戦い。それに森に籠って戦うなど、男の戦いじゃない」
「どうしろと?」
「正々堂々と組み合って戦うべきだ」
「そして勝利を勝ち取るのが貴族ではないのか?」
「谷の戦いで矢を受けながら、そう主張出来る勇気を尊敬するよ」
「俺を愚弄しているのか?」
「言葉通りだ。俺にはない勇気だ」
ソチェニの目をまっすぐ見る。
「ただし貴族は俺とお前だけだ」
「部下はみんな貴族ではない」
「貴族の誇りで死ぬのは勝手だが、俺は嫌だし部下は巻き込ませない」
「俺と共に立て。指揮官は俺だ。文句は言わせない」
「お前の汚名に付き合わされる屈辱は忘れないぞ」
「ああソチェニ。お前が生きていたらな」
そして、最も遠い篝火が消えた。
「敵が来たな」
篝火が防いでいた闇が谷の奥から迫ってくる。
「弓兵配置につけ」
「弓兵配置に付け!」
シュラーが怒鳴ると、慌ただしく兵達が動き始める。
来たぞ。
俺達は。
俺達は生き残る。
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次回 初めての夜 夜明け前
2016年07月08日07:00公開予定
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