◇19 初めての夜 母(オカアサマ)
【王国・首都 ノイシェーハウ上屋敷 応接間】
「それで、お前はマリーエンロッゲンの小僧の命令に従って、勝ってもない戦の戦勝報告に来たわけなのね」
今日、共和国遠征軍のノイシェーハウ軍を率いて従軍した、いとこのガルテン・ノイシェーハウが僅かな共を連れて、先行して帰ってきた。
「ノイシェーハウはいつマリーエンロッゲンの小間使いになったんだね」
従僕や女従僕はともかく、この屋敷の実質の主人である、王都ノイシェーハウ屋敷の執事まで凍り付いている。
「伝令を走らせればいいものを、そんなどうでもいい情報を口実に逃げ帰ってきたと」
お婆様はいつになく、険しい顔をしている。
この屋敷で一番の権力者だけが座れる椅子と同化しているお婆様。
お婆様が厳しい視線を向ける相手が私ではなくてよかった。
最も、わたくしも同じような厳しい眼をしているかもしれないけれど。
「お言葉ですが、お婆様。私は戦場で見てきました。本当に勝ったのです」
場の空気が更に温度を下げる。
「はん。私が年寄りだからとバカにしているのかい」
「お前如きが吹き込まれた情報なんて、王都の子供だって知っている」
そして突然、お婆様の声が優しくなる。
「それで……。お前はどんな情報を持ってきたんだい?」
「お前だけが持ってこれた話があるんだろ?」
「実は戦争に負けました。なんて事は情報にもならない」
「マリーエンロッゲンの弱みでも見つけてきたんだろ?」
いとこの顔がみるみる青ざめていく。
「跡継ぎの……安全……です」
部屋の温度は時を止めるほど凍り付き、たった一つの熱源であるお婆様の怒気がみるみる漲る。
お婆様が酷く低い声で話す。
「誰が……跡継ぎだって?」
「お婆様は孫が無事に帰って来たのを喜んで下さらないのですか?」
「誰が……跡継ぎだって?」
「…………」
「叔父上の一人娘アイヒェンには伴侶と子供がおりません」
「ならば、叔父上の弟の一人息子である自分が跡継ぎだと自負しております」
「だからこそ、ノイシェーハウの家を永らえるために、こうしてここ(王都)に赴きました」
わたしにこどもはいない?
「私に子供はいます。アクティム・バシュリンガー」
ガルテンはいつもあの子を認めようとしなかった。
だから私は自分の子はこの手で守らなければならない。
「しかしノイシェーハウではない。只の孤児だ」
ガルテンが挑戦的な目を向けてくる。
傷一つない磨き抜かれた鎧が、彼の気持ちを大きくする。
そう、戦場にいながら、傷一つない鎧。
「ガルテン。お前がノイシェーハウを自認するなら、ノイシェーハウだからこそ最後まで残る必要があった」
「マリーエンロッゲンを始め他の領家に、ノイシェーハウは真っ先に逃げ出したと言わせないためにはね」
「では……私は……」
「のこのことマリーエンロッゲンの口車に乗せられて、ノイシェーハウを責める口実を与えおって。この愚か者が」
「ノイシェーハウを危険に晒す者が跡継ぎだと? 笑わせるんじゃないよ」
呆れたように部屋の中を見回す。
まるでそこにいない人間を探すように。
「まだお前の父親とひ孫が残っているからいいものを」
「双子城のメットナウとは同盟関係にあるんだぞ」
「それを全て投げ捨てて逃げ帰りおって」
ひたすら責められてガルテンが縮こまる。
「本当は貴方が華々しく殿を務める予定だったのでしょう?」
「それをマリーエンロッゲン王国軍総裁の甘い誘いに乗って、私の息子に押し付けた」
こんな男の命の為に、私の息子は、敵の正面に立たされている。
お婆様とは違う怒りがわたくしの体を満たす。
嫌味位であの子が安全になる訳はないけれど、嫌味位言わないと気が済まない。
「ノイシェーハウの血が流れていないものを息子だと?」
「稚児趣味も冗談では済まない時がある」
「他人の子より、一族の俺を心配しろ」
「あの子は間違いなく一族よ。先ほどもお婆様が【ひ孫】と言ったでしょ」
「それにあなたより息子の方が大事よ」
ガルテンがお婆様の顔を見るが、逆に睨み返されて口をつぐんだ。
「報告は改めて、ビルゲンとアクティムから聞くとしましょう」
「今すぐビルゲンの元へ帰りなさい」
「しかし……」
明らかにガルテンが狼狽する。
助けを求めるように周りを見渡すが、誰も動かない。
いや、助けようと思ってもお婆様の手前では動けない。
「お前がのこのこ逃げ回るおかげで、王国に売った恩が台無しになる」
「アクティムの指揮下に入れ。と言われないだけありがたいと思いなさい」
屈辱に震えているのか、戦場に戻る恐怖に震えているのか、立ちすくむビルゲンを見て、お婆様が警備兵に手をふる。
そしてガルテンは警備兵に両肩を押されるまま、無言で退出していった。
王都への帰路は随分と急いだに違いない。
そして戦場への往路は時間をかけていくだろう。
※
執事や従僕が退出して、ガルテンの出迎えは終わった。
しかし今度は別の張り詰めた空気があった。
お婆様とわたくし、そして家宰、家令の4人だけが残っていた。
「ガンメリン。貴方の情報を教えなさい」
「はい。ドロッセルお嬢様」
ノイシェーハウ家存続の為だけに働く、使用人の頂点で政治を担当する、ガンメリン・エンデが口を開く。
「王国は【戦勝】と決めて、終結したと喧伝しており、全軍に撤収命令を出しました」
「しかしビルゲン様は双子城の後方に陣を構えており、メットナウ家は籠城を決意したそうです」
「つまり、戦争はまだ続いていると?」
「その通りです。ドロッセルお嬢様」
「戦争が終わったなど、呑気な事を信じているのはガルデンだけという事だな?」
一瞬の沈黙が降りる。
使用人は自分の雇い主の一族を悪しざまにいう事など出来ない。
「ビルゲン様はメットナウ家への親善訪問という事で、後退を拒んでおります、メットナウ家の領内で戦闘がある事を想定されておられるのでしょう」
「現に共和国軍を放置しておけば、メットナウ家の領内に侵入する事は火を見るより明らかかと」
「そして共和国軍は国境を越えようとして、アクティム様と交戦中です」
まるで頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が襲ってくる。
噂は聞いていて覚悟はしていたが、私の息子がたった一人で、共和国軍と戦っている?
「こ、国境を越えようとしている共和国軍の兵力はどれほどなの?」
冷静を保とうとするが、声が震える。
家宰が、すぐさま簡潔に答えてくれる。
「国境に侵入しようとしている敵の先鋒は1個連隊およそ4000」
「あ、あの子は……」
「アクティム様は1個中隊300と報告が来ております」
思わず座り込みそうになる。
10倍以上の敵と対峙している私の息子。
次の言葉をつづける事が出来なかった。
「王国軍総裁より、直々に後衛戦闘と3日の固守を命じられて、本隊から切り離されて国境で戦っておられます」
「私のひ孫に300の兵で3日も保たせろと言ったのか」
「ひ孫も随分と評価されたものだね」
「申し上げにくいのですが……」
家宰が恐縮して固まっている。
家宰は基本、お父様の腹心だから、お婆様に睨まれたらひとたまりもない。
「さっきのは皮肉です」
「詳細を述べなさい……」
祖母の声も震えていた。
「はい」
「正確にはビルゲン様が後衛戦闘を命じられる前に名乗りを上げられました」
「大部隊で圧力をかければ、敵も国境を超えないだろうと」
「それはそうでしょうね」
お婆様が目を細める。
お婆様はビルゲン叔父さんの率直なところをとても好いていらっしゃる。
「ただ、そうすると【戦勝】ではなく、【逃げ帰った】とも取れるので、大部隊には撤収命令が出されました」
「双子城を見捨てたのかい?」
「敵の侵入をメットナウ家に任せるという意味では、王国軍は見捨てた事になります」
「そこでビルゲン様は、撤退するように見せかけて、ガルテン様を小部隊で共和国軍に当たらせて敵を誘引」
「メットナウ家と共同して共和国軍と戦う予定だったと聞いています」
「それを察知したマリーエンロッゲンの邪魔が入ったと」
「はい」
「ガルテン様は伝令で王都へ、マリーエンロッゲン家が殿に変更となりました」
「そしてビルゲン様独断専行については、王国軍総裁としての懲罰と両家の融和の印に、アクティム様が取り上げられました」
「ビルゲン様はその後、双子城の後方まで撤退。理由を付けて留まっております」
「素直過ぎるビルゲンらしい負かされ方だね」
「お前をビルゲンに付けてやれば良かったかしら?」
「は……」
ノイシェーハウの政治面を担当しているだけあって、表情を表に出さない家宰が、動揺をあらわにする。
「冗談よ」
「それだと……、それだと私の息子は……」
「政治的に存在しない……部隊に……」
わたくしは一番気が付きたくない事に、気づいてしまった。
「その通りです。レディ・アイヒェン」
「私も手を尽くしましたが、存在しない部隊を救援する事が出来ないのです」
「3日と言ったね」
「もう1日が過ぎた……、4000人相手に300人。後2日……」
「3日経ったところで救援が行くわけじゃないんだろ?」
「申し上げにくいのですが……。その通りで、双子城籠城の為の時間稼ぎが精々見いだせる価値です」
自分の息子が置かれた状況に絶望する。
自分でもこれほどの孤立無援は経験した事がない。
「それこそ冗談だわ……」
「王国の為に戦っているアクティムの為に、誰も手を差し出さないなんて……」
だから、あの子が絶望しない為にも、せめてわたくしが助けに行かねば。
「アルテ。モーアに旅の準備をさせて。アクティムのところに行きますわ」
「アイヒェン様。ご自重くださいませ」
「アルテどうして?」
アルテがそっと手に手を重ねてくる。
それは自分の孫をいたわるような柔らかい、重さの無い手だった。
「つい先ほど、王室より内々に相談がありました」
「2週間後に王室主催で記念式典を開くそうです」
「随分早い手回しだね」
「戦勝は予め決められていたという事なんだね」
お婆様もガンメリンも知らされていなかったらしく、アルテに注目が集まる。
「王太子殿下がアイヒェン様のご出席を望まれております」
ここでも邪魔が入る。
お婆様が笑ったような、ため息をついたような、曖昧な反応をする。
「なるほどね。仕方ないね。アイヒェン」
「今回、王室とマリーエンロッゲンはつながっている」
「王室も食わせ物だねぇ」
「お婆様!」
思わず、祖母を見てしまう。
まさか本気でアクティムを見殺しにする気なの?
さっき、「ひ孫」と呼んだアクティムを……。
「お婆様らしくもない、マリーエンロッゲンに負かされたままなんて……」
「憎まれ口をたたいても、お前を行かせはしないよ」
「それで……アクティムを見殺しにする訳ですか……」
何を言わず扉に向かった。自分のチカラでどうにかする。
政治では役に立たなくても、最後の冒険者と呼ばれた身だ。
自分で子供は助け出す!
「レディ・アイヒェン。お待ちくださいませ」
家宰が制止する。
「ドロッセルお嬢様」
「先ほど、王室も食わせ物だとおっしゃいました。それはどういう事なのでしょうか」
お婆様が机に肘をつく。
「近衛の総長から使いがあったんだよ」
「お前の友達が動くそうだってね」
「訓練名目で王室は黙認するんだそうだ」
想像しなかった方面からの救済に驚いてしまう。
「それは……。王室があの子を見捨てて、王室が救い出すという事ですか?」
お婆様が私をまっすぐ見つめる。
「正確には王室がひ孫を見捨てて、王太子がお前に貸しを作ったという事だ」
「ノイシェーハウとマリーエンロッゲンのどちらにもいい顔をしたいというところなんでしょう」
お婆様が椅子に背をもたれる。
会議はじき終わりという事だ。
「用心しないと、お前も王太子に足元を掬われるよ?」
鋭い目で警告した後、目尻が崩れる。
「王太子と結婚する気はないんだろう?」
「冒険者等にうつつを抜かして、行き遅れた孫を娶ろうとするありがたい話なんだがねぇ」
お婆様が何も信じてないような口調で感謝する。
「王太子もその気はないでしょう」
「変態王子がわたくしを弄びたいだけですわ……」
アルテがいかにの心配そうな声を上げる。
「しかしアクティム様が耐えなければならないのは後2日」
「近衛軍が今、出て間に合うのでしょうか?」
「国境まで距離がありすぎます」
ガンメリンが懸念を表す。
「大丈夫よ」
「プレンツェンは、必ずアクティムを連れて帰ってきてくれる」
「だって、アクティムはプレンツェンの息子でもあるんだもの」
----------------------------------------------------------------
次回 初めての夜 忠告
2016年07月01日07:00公開予定
----------------------------------------------------------------




