◇17 初めての夜 母(ハハウエ)
【王国 首都 王室近衛軍司令本部総長室】
「総長! 国境が侵されようとしているのに、どうして我々近衛軍は椅子を温めているのですか!?」
重厚な樫の木の執務机を挟んで、目の前に座る白髪の老人に鋭い眼を向ける。
その男は、睨まれても微笑んだままだった。
「大佐。当然知っている上での面会だろうが、現在行われている戦闘は、メットナウ家の領地だ」
「領家(貴族)は自分の領地を守る義務を負っている」
「そんな事は知っております」
「先の出師も国境の戦闘も領家(貴族)の戦争だ」
「王室近衛は関係ない」
「王都まで攻め込まれれば王家も貴族もないでしょう!」
思わず怒鳴り声をあげて、机を叩いてしまう。
激高する姿を兵に見られなくてよかった。
指揮官失格だ。
しばらくの沈黙が総長室を支配する。
「近衛の総長たる俺に向かって中々大胆な態度だな」
「机の上に身を乗り出して、俺を誘惑するつもりか?」
「その両腕に挟まれて、はみ出た胸にはそそられるがな」
「何度その軍服の中の裸を夢見た事か」
「体の割りに男装が良く似合う」
「……ただし……残念ながら私は妻子持ちだ」
「茶化さないでください」
のけぞっていた総長が姿勢を正すと自分も机の前で姿勢を正した。
「お前は女だが優秀な指揮官だ。勇敢であり、戦果もある」
「しかし近衛の大佐だ」
「さて、俺達庶民の軍隊が領家(貴族)の戦争に介入出来ると思うか?」
「それが王の盾たる近衛の言葉とは思えません」
「は! 近衛は王の御身だけを考えればいいんだ」
「領家(貴族)の戦争に巻き込もうとしているお前の方が、近衛としての資質を疑われるぞ」
「はぁ」
ため息1つと共に天井を見上げる。
庶民の軍隊……。
この部屋は金をあしらった壁紙もなければ、高価な彫刻も宝石もない。
王をお守りするだけの奴隷……。
それが近衛の正体。
「この国の民あっての王ではないのですか?」
「この国土あっての王家ではないのですか?」
「お前の後ろ盾であるノイシェーハウ公の考えに染まってきたのではないか?」
「王あっての民。そして王家あっての国土だ」
「俺たちは近衛。それを忘れるな」
失望に体が震える。
「ま、王を殺そうとしてるお前に強制しても、考えを変えられるものとは思えないが」
思わず部屋の中を見回す。
この言葉を誰かに聞かれたら、それだけで斬首に値する。
謀反は疑われただけで死罪だ。
「今の言葉。総長といえども看過できません」
「俺も似たようなものだ」
「この部屋に誰もおらんし、壁の向こうには聞こえないよ」
「ま、庶民が貴族や王家の傍に寄れるのは近衛だけだからな」
「機会を伺うやつはお前だけじゃない。俺も同じだ」
「総長は監察隊の部隊長も務めている筈ですが」
「そうだ。俺は謀反人を見つけて処罰する」
「その総長が謀反人という訳ですか」
「機会がないだけだが」
「さて、国境で踏ん張っているのはお前の息子だったな。義理の」
「なんていったっけか。ノイシェーハウの義子」
「アクティム・ヴァシュリンガー。正真正銘、私の息子です」
「母親を名乗る歳か? 精々年の離れた姉だろ?」
「勿体ないな。お前位の器量なら本当の息子を持てるんじゃないのか?」
「女一人、復讐の為に軍人なんかやってないで、女は女の幸せを掴んだらどうだ?」
「からかうのはやめてください」
「もう聞き飽きた冗談です」
「俺も娘みたいな愛人の一人位欲しいんだがな」
「近衛の総長なのに、愛人の一人もいないのは格好がつかないだろ?」
「お断りします。これ以上総長を軽蔑しては軍務に支障が出ます」
毎回本題に入るのが遅い。
老人の話に付き合うのも、本部詰め将校の務めとはいえ、ウンザリする事には変わりがない。
「戦勝記念閲兵式がある」
「2週間後だ」
「まだ戦闘が行われていますが」
「知るか。俺が企画したわけじゃない」
「貴族様のお祭りだ」
「はぁ」
ため息が漏れる。
この国が良く滅ばずに続くものだ。
私の息子は、その腐った国の生贄にされている。
「それで命令だ」
「お前が閲兵式で近衛を率いろ。1個大隊だ」
「我々近衛は、戦っておりませんが」
「知るか。俺に政治の事を聞くな」
「ま、出なきゃ王家の顔が立たないからだろ」
この老人はどこまで正気なのかわからなくなる。
相手のペースに乗せられてはいけない。
「大尉大尉大尉! なんだ。近衛総長は部下を呼ぶのに3度も声を出さなければならないのか!?」
往時を偲ばせる怒声で、扉の奥に呼びかける。
戦場で鍛えた声なのだろう。
「総長」
重い木製の扉を開けて直ぐに若い男が入ってきた。
所帯の狭い近衛軍。すぐにわかる。
アペン・ウプレンゲナー騎兵大尉。第1騎兵大隊長。
近衛の精兵だ。
そのウプレンゲナー大尉が総長の前に進むと、踵を鳴らして頭を下げる。
「お前の大隊は随分弛んでいると聞いているぞ」
「王がご照覧ある式典で、弛んだ姿など晒せられない。近衛の恥だ」
「総長のご叱責。言葉もございません」
「懲罰として部隊を取り上げるぞ。指揮はプレンツェン・バイ・パッサイル大佐が執る」
「パッサイル大佐。弛んだ第1騎兵大隊を鍛えなおせ」
「せめて王の前で歩いても恥ずかしくない程度にな」
なんだこの茶番は?
精兵の第1騎兵大隊が弛んでるだと?
おまけにウプレンゲナーは部隊を取り上げられる屈辱も受け入れている。
2人して私をからかっているのだ。
「鍛えるとは?」
「お前にしては鈍いな」
「完全装備で演習だ。期間は2週間。場所はこの王都からメットナウ家の領地のどこでも好きなところを使え」
「近衛は王国のどこでも好きなように動けるからな」
「後方支援連隊をつけてやる」
「ウプレンゲナー大尉。お前は参謀になって学べ」
「嬉しいだろ? お前が惚れている女の下で働けるんだ」
「いいところを見せろ。そうしたら軍服を脱ぐかもしれないぞ」
「は」
ウプレンゲナーが真面目ぶって姿勢を正す。
「パッサイル大佐。返事はどうしたね?」
「プレンツェン・バイ・パッサイル。第1騎兵大隊、大隊長を拝命します」
「なら下がれ。準備して直ぐに発て」
「は」
ウプレンゲナーと合わせて頭を下げる。
そのまま、退出する背中に総長の言葉がかかる。
「訓練だぞ。貴様」
「ご心配なく」
振り返る事無く、そのまま不快な総長室を後にした。
蝋燭が照らす煉瓦造りの廊下をウプレンゲナーを従えて歩く。
窓の外は暗闇に支配されて見ることが出来ない。
「メットナウ家の領地まで歩兵なら1週間」
「3頭の馬を乗り継げば騎兵なら3日です」
「後方支援連隊の馬がありますからね」
「だから?」
暗い廊下の中を二組の軍靴が鋭い反響音を立てて進む。
「2週間の訓練期間があれば、国境まで駆けて、戦闘に巻き込まれて、帰ってくる事が出来ます」
「大急ぎになりますが」
振り向いて後ろを歩むウプレンゲナーを見る。
「手配しろ」
「部隊に集合をかけろ。夜駆けをするぞ」
「既に集結しております」
ウプレンゲナーの笑みが蝋燭に照らされる。
「上等だ」
----私の息子だ。絶対に死なせるものか----
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次回 初めての夜 微睡
2016年06月24日07:00公開予定
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