第9話 黄砂の町スニーク
ロスデモ島が北西に持つ盾のように連なる、丘陵。その麓に広がる漠々たる草原にて。
水平線から白く陽の光が照らす中、二つの魔物の大群が、敵対心に満ちた目をして向き合っていた。
片方はペンギンやダチョウなど、鳥系の魔物を中心とした軍勢。小虫一匹さえも通さんという決意が、その一糸乱れぬ隊列から漂っている。
もう片方はブタやゾウやクマなどの、大柄な人獣型モンスターの軍勢。鎧は不統一、足並みもバラバラ。ただ敵軍勢を踏み潰せばいい。純粋な暴威だけがその歩みにあった。
「全軍、砲撃開始!」
鳥系モンスター軍の中心に立つのは、四領主の一人、モラン。
彼の一言の元、鳥たちは各々の遠距離攻撃を繰り出し、突進する人獣たちを遠ざける。
この草原はモラン領への侵入の足がかりとして、何度も人獣たちに狙われている。
ここを押さえて拠点を築けば、モランの本拠地を延々と攻撃できるからだ。
故に鳥系モンスターたちの防衛行動は、もはやこなしているというほど、洗練されていた。
所詮奴らは気合だけ。
このまま迎撃を続けて割合を減らせば、感情が鎮まって勝手に帰ってくれるのが恒例だった。
だがこの時、モランには、一つ違った覚悟があった。
(烏合の衆よ、これが貴様らの最後だ……貴様らの主に鉄槌を下すその時まで、総員うつ伏せに寝ているといい……)
そしてモランの脳裏には今、テオボルドの作戦の行く末が常にあった。
*
ベルゼブブの手勢が集結し始めたと聞いてすぐ、テオボルドとモランたちは、ロシュフォール邸へと引き返した。
つい先程締結した同盟の意義を早速実行してもらうためだ。
全員が取り決めをした部屋の、各々が前いた椅子に座って、軍議を始める。
「ロシュフォール、貴様の卓越した頭脳とやらを試させてもらうぞ」
「ええ、できる限りのことは貢献させていただきます」
「ではこのベルゼブブ軍の襲撃を通例通り凌ぎつつ、大将を仕留める奇策はあるか?」
一瞬も挟まずロシュフォールは答える。
「ありませんですよ」
モランは、やけに自信に満ちた相手の眼差しを避けて、そっぽを向いた。
「……貴様、数分前の己が解説していた能力はなんだったのか?」
「『賢さ』ですよ。忘れるはずがないでしょうでございましょう?」
「なら何か小手先の程度でもいいから策をよこせ! ジョークの知識もないのか貴様は!」
ロシュフォールはこれまた自信満々に返した。
「某はここにある本を通じた知識しか把握しておりません。ここにあるのは魔物学と個人の戦闘技術に関する本。戦争学や兵法書はございません。
某が熟知しているのはその範疇。魔物の生産・改造と、某個人の戦いくらいであります。
だから……知らないことを知らないと言って何が悪いと言うのですか!? 半端に取り繕って困るのはモラン様、卿でございましょうに!?」
「ぐぬぬ……確かに」
「ありえないくらい潔い奴だなー」と、テオボルドは抑揚なくつぶやき、
「俺もいつかああやって言い訳しよっかなー」反対に、ブルータルゴリラは感心していた。
「……まあ、何か無理難題を頼まれたとき限定な。
って、こっちに話してる場合じゃねえ」
テオボルドはモラン軍の特別顧問としての立場を背負い直し、二人に提言する。
「さっきのロシュフォールの『個人の戦い』で軽くひらめいたんだが、せっかく二軍隊いるんだから、そこを活かせないか?
ほらベタにな、どっちかが相手を引きつけている間、どっちかがその後ろを叩くとか……」
「ええ、至極ベタな意見でありますな」
と、ロシュフォールはバッサリ切り捨ててきた。
「まあな、例えばの感じで言ったんだからな」
「……」
モランは顎に手を置き、天井へ向けて瞳をグリグリと動かし、それからつぶやく。
「……いや、それは有効かもしれんぞ」
「あえて原始的な作戦に立ち返って意表を突くということでございましょうか?」
「違う。そのテオボルド顧問の策が、ベルゼブブ軍にとってはむしろ有効に刺さるのではないかと考えたのだ」
テオボルドは眉を上げた。
「そうなのか、モラン? というより、ベルゼブブ軍ってどういう特徴の連中なんだ?」
「簡単に言うなら、奴らは軍というよりかは、愚鈍な主に対する貢献心を除けば、何一つ長所のない連中ばかりが集まった無法者たちだ」
四領主の一人、ベルゼブブ。彼女もまたホムンクルスであり、総合的な能力はここにいる二人と互角である。
しかし彼女は、領土は持ちつつも、拡大どころか、保持の意欲もない。常に本拠地に閉じ籠もっているのだという。
では先程、侵攻の準備をしていたのは何なのか?
それは彼女への崇拝者たちが、独自で行っているためである。
詳しい理由はモランもロシュフォール、はたまたブルータルゴリラも知らないが、ベルゼブブには魔物を惹きつけてやまない魅力があるようで、それに心酔する魔物たちが彼女を担ぎ上げ、ベルゼブブ軍となっているのである。
「ってことは、もうじき来るかもしれない軍勢に総大将のベルゼブブは……?」
「来ない。来るはずがない。仮にいるのならば情報がここまで伝わった頃に、大打撃を受けているはずだ。アイツらの貢献ごっこはその程度に過ぎない。
さて、そんなくだらない騒ぎはここで終わりとしようか……」
*
モラン軍とベルゼブブ軍の激突とほぼ同時刻。
テオボルド、ロシュフォール、ブルータルゴリラの三人は、坂道を下っていた。
時刻は日の出の直後のため、辺りの自然はまだ薄い青で覆われている。
だが坂の先にある海岸線沿いの町には、ほのかにオレンジ色の光が無秩序に散らばっていた。
しかしある一角に限っては、光が円形に輝く宮殿。
「あれか、ベルゼブブの本拠地は」
「そのようでありますね。いかにも籠るのに最適なところかと」
「で、この町はあの信者どもが住むためにできたってか……いいなあ、すみやすそ」
テオボルドの些細な提言を元に、モランが練り上げた策はこうだった。
『奴らの義勇だけはある軍が、我が軍と交戦している間、ベルゼブブの周囲は手薄になるはずだ。
テオボルド顧問と、ロシュフォール、ゴリラもついでに、隠密して侵入する。まずはそこからだ』
一行が町へ踏み入ると、何らかの花由来の香料が入り混じった香りが、鼻を突いてきた。主の好みに合わせてのことだろう。
そうした嗅覚の賑やかさに反して、予想以上に人の気配がなく、三人は安堵する。
ゴリラは路道にある炎魔石が仕込まれた街灯を掴んで、
「どうします、テオボルド? これ倒して焼き討ちにします!?」
「やめろよブルータルゴリラ。オレたちの最終目標は、島の平定だ。禍根の残るような攻め方はしない」
「はい、失礼しやした!」
『先の通り、ベルゼブブを崇拝していることは共通しているが、かといって全員が一丸となって動くこともなかろう。何体かは臆病か、また別の忠誠心で、本拠地に残っているはずだ』
「モラン様の言うとおりでございますなあ」
宮殿の方へ近づいていくと、衛兵らしき人獣がちらほらと見えた。
眠たそうに口を大きくあけたり、近くの同僚と雑談らしき鳴き声を交わし合ったりと、やる気が無さそうだが、目があるだけで脅威ではある。
三人揃って建物の影に隠れている間、ブルータルゴリラは限りなく小声で尋ねる。
「どうする、テオボルド、迂回する?」
「迂回したってどこにだって誰かいるだろうし、安全ルートを探しているうちに敵が起きてくるのも恐ろしい」
ロシュフォールはゆっくりと双剣を引き抜いて、
「では片っ端から斬り伏せるといきましょうですか?」
「やめろやめろ。さっきのゴリラとのやり取り聞いてたか?」
「聞いてましたとも。ですが宮殿の正門までここからおおよそ百メートルもあるんですよ。これは武に頼らねば走破できないのでは?」
「まあ、実際厳しいのはそうだな……けど、待ってろ。オレが何とかしてみる」
テオボルドは、その場で垂直跳びして屋根に掴まった。
そこから首を回し、ロシュフォールへ向かって……
「すまん、変なタイミングで悪いが……百メートルってなんだ?」
「あ、ご存知ないですか? 学者たちの間で用いられている長さの単位だそうです」
二代目魔王を撃破した勇者パーティーのメンバーにして、現在、勇者学園の理事長を務めている偉大なる魔術師、ヨハネス・フィンチャー。
そんな彼が、齟齬が生じないように開発した世界共通の単位の一つ。そのうちの長さを示すものが『メートル』。である。
これはヨハネスが初めて覚えた魔法【ライトボール】の進む速度を基準に定められたとされている。
「ああ、なんか軍の上層部が使ってるのを軽く聞いたことあるなあ。イマイチまだ間隔が掴めないから、歩数を使ってるけど」
「ちなみに一歩でだいたい〇.八メートルとのことであります」
「あっそ」
テオボルドは足も引っ掛けて、いよいよ屋根に登った。
そこで静かに弓を構えて、一本、二本、三本と、素早く矢を射る。
ロシュフォールとゴリラが進みあぐねていた道にいた衛兵たちは、それぞれ肩や太ももなどの急所を外れた部位に矢を受けたあと、文字通りぐっすりおねんねし始めた。
「ああいうデカい魔物は、血の巡りが多いから睡眠毒がよく通るんだな、これが……
おい、ロシュフォールとゴリラ、ここからはオレが高所からルートの安全を確保するから、慎重にいけよ」
「はあい」「あいよ!」
腐っても見張りというわけか。倒れている同僚を見かけて、持ち場を外れて近づいてくる衛兵が何人か現れた。
テオボルドは、その者たちにも睡眠矢をプレゼントして、ロシュフォールたちの襲来を叫ばせないように処理していく。
そうしてできた道をロシュフォールとゴリラは、忍び足で進んでいく。
「……本日、某の剣技が光る瞬間はあるのでございますか?」
「ありますでしょうよ、ロシュフォール様。宮殿でのベルゼブブ戦などで……」
「いいや、もうちょい早いかもしれない」
宮殿の正門の前には、ここまで見てきた図体の大きな人獣たちが百人集っても隙間が確保できそうなほどの面積があった。
そこに人獣の衛兵が、恵まれた体格を誇示するような重量級の武器と防具に身を包み、背後の宮殿を取り囲むように等間隔で陣取っている。
全員、あくびどころかまばたきさえせず、主に対する不敬な輩を待ち構えていた。恐るべし忠誠心。
テオボルドは矢尻の光沢にも気を使い、何も構えず煙突に背を預けて隠れる。
「これはオレでも排除はできない……どうする、迂回路でも探すか、ロシュフォール?」
「結構。某の剣術は敵の数も体格差も問わない!」
裂帛の気合のように、そう言ってみせたロシュフォールは、抜刀とともに、すぐさま衛兵の前に躍り出る。
「お初にお目にかかるでございましょう……卿たちのライバルの一人、ロシュフォールでございます! 以後お見知りおきを!」
その後ろ……煙突の裏で、テオボルドは自分の顔面に片手を当ててうなだれていた。
(一人くらい奇襲で片付けろよ、アイツ〜〜!)
他の方角に配置されていた衛兵たちも続々と集結し……合計、二十体。
各々の雄叫びを轟かせて、ロシュフォールたちへ影を重ねて迫った。
「【ストロングアロー】!」
せめてロシュフォールの負担を軽くしてやろうと、テオボルドは、一番右にいた兵士の胸を強矢で射抜く。二回ほどたたらを踏んだあと、バタリと倒れた。
「ああんもう、一番槍は某が欲しかったですのに!?」
「るせー! 睡眠矢も入れたら元よりオレが先だったじゃねえか!」
ロシュフォールは頬を膨らませながら、二番槍の手柄候補へ向き合う。
彼の背丈をゆうに越える鹿の人獣が、二又槍を豪快に振り下ろしてきた。
対してロシュフォールは、左手の曲剣を上へ掲げる。それだけで相手の力を活かして、二又槍の先を側の地面に食い込ませてしまう。
自分の馬鹿力の反動を回収しようと歯を食いしばる鹿の人獣に対して、ロシュフォールは右手の直剣で斬り上げる。
重厚な鎧が、綿織物のように綺麗に裂かれた。その奥にある深い傷によって、鹿は倒れた。
他の人獣たちは横たわる仲間に構わず、ロシュフォールへの攻撃を続けた。同じ主を崇めて結束しているようでも、その結束はあってないようなもので、結局は『独り占めしたい』という自分本意なのである。
もっともロシュフォールにはそうした彼らの感情には興味はなく、自分のデータを実践することに専念していた。
我欲に関しても、実力に関しても彼のほうが完全に上であり、半数の衛兵は、武器を振り下ろす動作の前に、手柄の可能性を周りへ譲ることになっていく。
ロシュフォールを武器の長さと同じ間合いに入れる前に、テオボルドに狙撃された衛兵は、なおさら気の毒であった。
「【バーンスローイング】! おりゃー!」
ちなみに、ブルータルゴリラの火の玉連投で負けた衛兵は流石にいない。
乱闘すること九分。宮殿前広場に、前とは違う意味の沈黙が広がった。
テオボルドは屋根から降りて、衛兵の体を飛び越しつつ、ロシュフォールの元へ行く。
「ま、うまいことやれたな」
「で、ありますなあ」
ロシュフォールは双剣の汚れを払い、テオボルドはカバンの中身を確認し、ブルータルゴリラは特に何もせず、宮殿を見上げた。
そして出発前のモランの指示を反芻する。
『ベルゼブブは絶対に、何かしらの建造物に身を隠しているはずだ。そこまで来たら、あとは突入するなり、炙り出すなり好きにしろ』
「どうしましょうか、テオボルド様? 攻め入ります? 切り込みます? あの扉を蹴破ります?」
「うーん、ああいう主は、絶対に罠を仕込みまくっているはずだから……ゴリラ」
本日初めて、単独で名前を呼ばれただけで、ブルータルゴリラは喜び身を震わせる。
「お、やっと俺の出番ですかい!」
「何発か火の玉投げてやれ」
「ははあん、それであの宮殿を燃やそうって……」
「いや、ちょっと脅かしてみるだけだ」
「あの大きさなら簡単に火が付きそうもなさそうでありますからね」
「……はあ、鏑矢だけの役割ってわけですか……まあ、いいですけど」
ブルータルゴリラは、肩慣らしに腕を二回ほど後ろへ回してから、
「【バーンスローイング】!」
腕を前に回し、火の玉を五発投げる。
そしてそれらは、宮殿の外壁より遥か遠くでかき消された。
「フウンッ! これ以上調子には乗らせぬぞ、貴様ら!」
それも、着地の衝撃波と、鼻息によって。
宮殿の二階にあるバルコニーから突然飛び出してきたのは、ワニ頭の人獣である。
ここまで見てきた巨大な衛兵たちよりもさらに一回り大きく、より重厚かつ、紫色の塗装が精緻に施された鎧をこしらえている。
「トウッ! まさか下等な者どもが貢献に行っているところを狙うとはな!」
「セアッ! だが残念だったな、この町には俺たち最強の盾がいるのだ……」
それと同等の人獣が、さらに二体飛び降りてきた。片方はオオカミ、片方はサイだ。
「セベック!」「ホーロケ!」「イドラー!」
「「「俺たち、ベルゼブブ親衛隊!!!」」」
と、それぞれの得物を空へ向けて重ねて、威勢よく叫んで見せた。言わずもがな、三人とも目が熱意に満ちている。怠けようとする意識は微塵にもなさそうだった。
しかし、テオボルドたちの注意は、そちらに向いていなかった。
彼らはまた、宮殿を見上げている。
ベルゼブブ親衛隊の後ろ――彼らが飛び降りたバルコニーにて、ガーデンチェアにふんぞり返っている見物者を。
「いーね、みんな。めんどいから早いところやっちゃってよ、そんな部外者なんてさあ」
やや濁った青い髪を側頭部で二つに纏めた少女が、そこにいた。
紫色の目の左には、地面より這い出た鎌のような紋章が輝いている。
テオボルドはそれと、能力盤を遠視して、はっきりと口にする。
「奴が三人目の領主……ベルゼブブだな」
「「「俺たちの主を呼び捨てするな!!! 様を付けろ無礼者!!!」」」
【完】




