第27話 運命の旗
ロスデモ島北西部にある港町から、やや離れた位置に、驚くほど均一化された丸太によるイカダが浮かんでいる。
そこには足場にしているイカダよりも遥かに雨風を受けたような、暗色の樹の身体を持つ魔人が、一体いて、側には禍々しい縁取りの姿見が置いてある。
テオボルドは、チョウチンアンコウの魚人に小舟を漕いでもらい、そちらに向かっている。
ここが魔王軍の使者が指定した会談場所。
テオボルドの背後の港町には、シモンズ海賊団の団員が、奥にある魔王軍の軍艦では尖兵たちが武装して、一触即発の事態に備えている。
「すまぬなァ、大急ぎで訪ねたものだから、テーブルは疎か、茶も用意できなくて……」
「時間があれば茶葉も生み出せたのか? ああ、すまん、今のは忘れてくれ……」
テオボルドが片膝をつくのと同時に、樹木の魔人は首を傾けた。
「初めましてェ、俺は魔王軍幹部のジュルウディ。【樹木醒将】とかいう肩書もある」
「こちらはテオボルド・レギサモン。一応、ロスデモ島の盟主をやってる」
「それから、この場にはおりませんが……」
ジュルウディは側の姿見の背面を、枝めいた指でガチャガチャといじり回す。
と、姿見に映った像が、テオボルドのものから、二人の人物に変わる。
サイズ差の激しい玉座に座るねじれ角の少年と、傍らに凛と立つ燕尾服の男、魔族の二人組だ。
少年は足を組んだまま不敵に笑う。男が慇懃にまとめて名乗りを挙げた。
『テオボルド様、この度は突然の訪問、失礼いたしました。こちらが我が魔王、マリスフリート様です。
ああと、私は【高貴約将】ペニーヴァナムと申します。こちらは覚えなくても結構です』
ここで下手に驚いては、その時点で会談が取り返しのつかないことになってしまう。
テオボルドは鏡越しによる魔王との初対面の衝撃を、片膝と片足で耐えた。
話を進めたのは鏡の中のペニーヴァナム。
『では前置きはこれくらいといたしまして、テオボルド様にはこの度、我々から一つ、提案させていただきます。
ロスデモ島の住民の方々全員を含めて、魔王軍の麾下に入っていただきたいのです』
テオボルドはほんの少し弛緩して、思わず鼻から息が抜けた。
(だろうな。魔王軍が話し合いですることなんてそれくらいしかない)
『ロスデモ島の方々の身の安全は保証致します。島の統治は引き続きテオボルド様にお任せ致します。我々から直属の監視を送るようなことは致しません。
万が一、貴方がたが心変わりするようなこと……いいや、これはいちいち説明しなくてもよろしいですね』
などなど、あちらが条件を呑んだ暁に際する、もっともらしく聞こえの良い説明がペニーヴァナムから続いた。
対面にいるジュルウディと一緒に、真摯に聞いているフリをしつつ、テオボルドは他のことを考えていた。
『……それではテオボルド様、何か予め聞いておきたいことがあれば、今のうちにどうぞ』
「……カルキリッパーのことについてはどう処理するつもりだ? 何ならオレは、サンセマインも倒した仇だが?」
『それは……』
「おっと、ワガママ言ってすまんが、これは執事さんからじゃなくて、魔王様から直接聞きたい」
大陸ではまるで自然災害のように、抽象的な恐怖の権化とされている魔王と、魔法の鏡という最小の隔てを介して対面している。
この後の選択のこともある。機会を簡単には逃さない。テオボルドは川を見据える猛禽のような目をして、マリスフリートを右平手で指した。
『陛下……』
『構わぬ。一方的に求めてばかりでは魔王の風格にそぐわぬ』
見た目相応の高い声ながらも、マリスフリートは魔王の才気に満ちた重厚な響きを込めて答える。
『サンセマインとカルキリッパー……奴らは貴様に負けたのではない。己自身の弱さに打ち克てなかっただけだ。
そのような軟弱者は魔王軍には不要! 誰が始末しようともどうとも思わぬのだ!
……という僕がこうして貴様と対話している意味を、ぜひとも考えていただきたい』
締めに見せたマリスフリートの笑みに対し、テオボルドは自ずと一礼する。
「はい、ありがとうございます」
『ではジュルウディ様。例のものをテオボルド様へ』
「ハハァ」
ジュルウディは姿見の裏に置いていた筒を渡す。木製だが、足場となっているイカダとは違い、丁重なニス塗りが施されている。
中を開けてみると、丸めた旗が納まっている。
魔王軍の紋章が描かれた赤い旗だ。
『こちらを今から二日後までに、島の目立つところに掲げてください。それをロスデモ島の従属の合図と致します』
『では、しばしお別れとしようか、テオボルドよ。なるべく早く返事をしたまえ。どうせなら、「この後のこと」は無視しても構わぬぞ……』
姿見の中の光景は、あっという間にテオボルド一人のみのものに変わった。
「俺からもよろしくなァ、テオボルド……他の幹部と共に二日後を待っているぞ……どちらにしてもなァ……」
「……おう」
テオボルドは合図して、小舟を呼び寄せた。
桟橋から島に戻ると、何人かの海賊団員が質問を投げかけてきた。
テオボルドはそれらに「わりぃ、今急いでいる」と、ペコペコと会釈を撒きながら、港町の内陸部、さらには島の反対側へと急いだ。
*
次の会談場所へは、向こう側が手配した小舟に乗って向かった。
先程の魔王軍と同等の豪華な造りをした軍艦三隻のうち、真ん中に碇泊しているものに上がる。
ズラリと列を成して歓迎、あるいは監視をする兵士たちの間を、居心地悪そうに進んで、船内の一室に入った。
待っていたのは、地面と平行に切り揃えた黒髪の青年。
「お会いできて光栄です。テオボルド・レギサモンさん」
「いえ、こちらこそお目にかかれて嬉しいです。五代目サマ」
「あまり称号で呼ばないでください。リクゴーという名前もございますから」
五代目勇者、リクゴー・マリノフスキと固い握手を交わしたのち、テオボルドは彼と円卓を挟んで腰掛けた。
まさか、魔王軍と会談した直後に、勇者軍の英雄と対話することになるとは……テオボルドは現在の自分周辺の混沌たる状況を理解し、喉にせり上がるものを感じている。
「では。私は師匠から『物事を説明する際は結論から』と教わっておりますので、それに倣って申し上げます。
テオボルド・レギサモンさん。貴方の勇者軍への帰参を認めます」
テオボルドはしばし、目と口を丸く開く。
「……と、いいますのは?」
「先日のカルキリッパーの撃破の報を受けてすぐ、軍と私と師匠は、数々の情報収集方法を駆使し、その功績者が、除隊した貴方であることを突き止めました。
そこで軍上層部は貴方の除籍について再度精査を行い、それを『不当な判断であった』と裁定を変更いたしました。
以上により、私は勇者軍とその関係者を代表して、貴方に謝罪致します。この度は大変申し訳ございませんでした……」
偉大な勇者であるリクゴーの頭頂部を目にしたテオボルド。しかし、異常の基準値が引き上がった今となってはそこまでの事態でもないし、彼にはより優先しないといけないことがある。
「わかったわかった。とりあえずもっかい座りましょうよ」
「は、失礼いたしました」
再び目線の高さを揃えると、テオボルドは尋ねる。
「まあ、よくこんな誰も知らない島までお訪ねになさって、しかも帰参の願いなんていうお土産も持ってきてくださって、ありがとうございます」
「どういたしまして」
「で、そこについてまだまだ質問があるのですが……いいですか、今ここで?」
「構いませんよ。私は質問が大好きですから」
(んなわけあるかい)
「じゃあ早速……オレも大事なとこから聞きます――もしオレが軍に戻った場合、このロスデモ島はどうなるんですか?」
リクゴーはすぐに返す。
「勇者軍の管理下に置きます」
「勇者軍の、管理下……」
流石はヨハネスの一番弟子。学者肌らしい前提条件が整っていないと理解できない回答であった。
「……あの、じゃあちょっと質問を変えます。この島の住民はどうなるんですか?」
「そちらも、勇者軍の管理下に置きます」
先程と同じ早さである。
「……その、管理下に置くというのはどういう意味ですか? 面倒を見てくれるということですか? それとも……」
「管理下に置く。としか言えません。
私たちは『カルキリッパーが討たれたこと』と『テオボルドさんが撃破に貢献したこと』、それと『ロスデモ島には、未知のモンスターや種族が生息していること』。これら僅かな情報しか得られていませんから。なにせ、まだ実地調査すらもしておりませんので」
「……オレから意見することは可能ですか?」
「尊重は致しますが、最終的な判断は勇者軍上層部や、各国の出資者の総意の判断となりますでしょう」
あの黒い旗はまだ筒に納めたまま、海賊団に預かってもらっている。
なのに、テオボルドは、もう魔王軍の一員になっているような錯覚を覚えた。
リクゴーの、少なくとも味方に向けるべきではない眼光がそれを強めている。
(管理下に置く――言い換えると、煮るなり焼くなり好きにする。ってことじゃねえか)
「テオボルドさん。テオボルドさん」
「あ、はい、何でしょう?」
突然黙り込んだテオボルドを見かねて、リクゴーは自ら口を開いた。
「あまり私から言いたくはありませんでしたが……テオボルドさん、この島の存在はですね、世界にとって、あってはならないほど危険なのですよ。何故なら、あのロスデモ島は、エアフォルク・ジマーの研究所でしたから」
エアフォルクはかつてのヨハネスの一番弟子。現在の一番弟子であるリクゴーにとっても、あまり口に出したくない名前なのだろう。
「『ホムンクルス』……その呼称は私も把握しております。フィンチャー様が不出来な弟子の後始末で見つけた証拠を拝見しましたから――取調時に破砕されていた『四つの試験管』の存在も含めて。
てっきり失敗してくれていたと思いましたが、その中身は我々の捜査から上手いこと逃れていたのですね。あるいはエアフォルクが狡猾だったのか。今となってはどうでもいいですが。
アーティファクトが子どもの工作に思えるほど、この世の道理を破壊する禁忌にまで手を伸ばし、成し遂げた……私も師匠と共に開いた口が塞がらなくなりました。
――人を超える存在を、創り出せてしまう。
アレはもはや魔王軍以上に対策を講じなければならない、危険そのものなのです」
テオボルドは言葉をそのまま出した。
「けどアイツらはオレの味方だった!」
突拍子もない肉声に対しても、リクゴーは即刻反論する。
「ですが絶対にとは言えないでしょう。アレは、我々のような人徳と知勇あるものが厳重管理しなければ……さもなくば、この世界の構図が不用意に歪んでしまうのだから」
テオボルドは円卓に両手を叩きつけて立ち上がる。
「何だよその言い方……!」
リクゴーもそれを追い越して立ち上がった。
「貴方にとってアレに何の関係があるのですか? また元通り勇者軍に加入すれば、貴方には栄達の道が待っているのですよ。スタエル様に次ぐエルフの英雄として歴史に名を残す可能性さえあるのですよ……それを一過性の同情で逃すのですか? さもなくば貴方は『違う意味で』歴史に名を……」
「わかった! すまなかった! 急に怒鳴ったりしてよ!」
魔力感知ではないが、言いたいことは読めた。エルフの中で最も嫌われた存在、【勇者千殺】のイバラを持ち出す気だと。
テオボルドは仕切り直しの合図に、椅子に腰を下ろす。リクゴーもそれに続いてから、
「……海難に、慣れない土地での戦いなどもあり、心身ともにお疲れなのでしょう。ですが、どうかこのような簡易な選択を誤らぬようにしてください」
円卓の下に置いてあった木の筒を、そっとテオボルドに差し出す。
(なんでセンスが同じなんだよ。さては両軍で打ち合わせしてんのか?)
筒の中には、勇者軍の紋章が描かれた青い旗が納まっていた。
「……返事は二日までお待ちします。それまでに、なるべく目立つ地点にその旗を掲げてください。他に確認事項はございますか?」
「じゃあいいか。オリヴァー、ナリトモ、ミスティアはどこにいる?」
「近況でしたら順調に励んでいるとのこと。現在地は、ロスデモ島に最も近い軍事拠点で待機しております。万が一の時のために」
「……!? 話は、出来ないか?」
「そちらは不可能です。厳密に言うと貴方は今、どの軍にも属していない状態ですから、戦略上不可能です」
(つまり引き込むかもしれないから警戒してるって訳か……)
「んああ、あんがと。じゃあ、島戻って色々準備するから、帰してくれるか?」
「そちらは問題なく。くれぐれも判断を見誤らないように」
テオボルドはリクゴーと最後の握手を交わしてから、部屋を出た。
そこでは重装備の兵士二名が入口で待っていた。
「待て待て、オレは逃げも隠れもこの軍艦を沈めようともしないっての」
テオボルドは、己の中でくすぶる苦悩を濁すように、おちゃらけて手をひらひらさせる。そして彼は二人に連れられて、基地を後にした。
*
海面は鮮やかな赤、上空は重い青が占める時。
テオボルドは、勇者軍から与えられた小舟で、ロスデモ島南部の海岸に着いた。
奇しくもここは、ロスデモ島に流れ着いた場所でもあったが、ノスタルジックにふける余裕は、今の彼に無い。
海岸には、ロスデモ島の残された住民たちが何人か待っていた。
モラン、ロシュフォール、ベルゼブブ、エウポル……その他十数体の魔物たち。
彼らが待ち望んでいる答えを言う代わりに、テオボルドはリクゴーに渡された筒を見せつける。
たちまち住民たちの表情は困惑に切り替わった。
そこからテオボルドは、魔王軍と勇者軍、両方からの提案事項をまとめて説明した。
「つまり、魔王軍に与すれば島の安全が保証される……と、あの魔王軍が言っていた」
「んで、一方の勇者軍はティボ以外はどうとも思っていない。どうとでも料理する気っつーわけ」
「その二択を二日で決めなければならない……のでありますな?」
「そういうことだ……どうする……どうよ……?」
こっちが聞きたい。という指摘を覚悟の上で、テオボルドは投げやりに尋ねた。
モランは、かつて自分の基地があった丘の方向を何度も見返しながら呟いた。
「……魔王軍の力があれば、これ以上外部の武力に怯えずに済むかもしれないな」
するとベルゼブブが彼に肘鉄を打ち込み、目を三角にして怒鳴る。
「なーによりによってあのモランが、そんなノーテンキなこと考えてるんだっての!? あーしらの仲間たちにあんなことした魔王軍なんかと組むなんてありえないっつーの!」
二発目や応酬が始まらないように、ロシュフォールは二人の間に挟まる。
「まあまあ落ち着いて。テオボルドさんは深刻に捉えていましたが、『厳重管理』に実験とか解剖の意味は無いかもしれませんですよ? それに、天才の某なら逆にあっち側にスカウトされて……」
「もっとノーテンキなのがいてんじゃんか!?」
「ロシュフォール! 貴様はこの件について意見するな!」
ホムンクルス三人が言い争う中、エウポルはしれっとテオボルドの脇に立ち、腕を組んでいた。
「パトロクロスさんがここにいたら、何ていうのでしょうかね……」
「……『魔王軍はユーシャの敵だ! 奴らに従うなら死んだほうがマシだ!』とか?」
「でしょうな……相変らず寝たきりですけど、ひょっとしたらこの情報をきっかけにして起き上がってくれるかもしれませんよ」
「だといいなあ……」
ホムンクルス三人を含めて、ここに集まった住民たちは突発的な議論に熱中した。勇者軍か魔王軍、どちらに従うか。
先日の傷がぶり返したように、あまりにも殺気立ち、今にも爆発しそうな状況になっていく。
だが、ここに全員が集まっているわけでもないし、時間が遅い。
「おいお前ら! 回答までにはまだ二日猶予があるんだ! そこまでにどうすればマシになるかちゃんと考えようじゃないか!
これは盟主命令だ! 全員今日は家帰って寝ろ! 以上! 両軍が来る前に島内で自滅してるってオチは一番ナシだからな!」
「……了解」
「……あいよ」
「……で、すな」
最終決定権があるのはテオボルド。そのことを思い出し、住民たちは海岸から解散していった。
盟主で良かった。と、一人海岸に残されたテオボルドは思った。
「……全く、まさかこの島に両大陸から熱視線を浴びるとはな……面倒なことよ」
「!?」
薄暗い中、声がする方へ首を回すと、岩に小柄な老人が腰掛けているのがわかる。
「貴方もいたんですか、バリスタンさん……」
「ハザも買い出しに出かけたままだから、イマイチ発言権が弱いと思ってな」
そう言えばお前の新居を見てなかったな。という、イマイチ理解できない理由をつけて、バリスタンはテオボルドの帰路に同行した。
「先の話は盗み聞きしていた。つくづく厄介なことになったな……」
「本当にそうですよ。全部守るとか言っているのは魔王軍ですし、勇者軍はこの島に容赦なく当たろうとしていますし……ちなみにですが、バリスタンさんはどっち派です、現時点で?」
「この島からトンズラする」
「島の同盟に加わったのに……」
「まあ、この最高の隠れ家を捨てれば、シモンズ海賊団はいよいよあの伝説性が無くなり、寿命が大幅に縮むと思うがな……つまり、さっきのは冗談。貴様が馬鹿なこと言い出さない限り、その方針に従うことにする」
「そう、ですか……」
テオボルドは浮かない顔をしたままだった。この島の一番の年長者であるバリスタンから、何かしら答えのヒントを頂ければ助かったという願望があったが、そうした願いは通じなかった。
もういっそ神頼みでもしようか。と、内心決断に焦り始めた時、バリスタンがふいに口にする。
「……じゃが、エリック以上に、儂は突然いなくなるかもしれない。
これは、貴様に『こうしてほしい』という意味を込めたものじゃないが、何か助けになるだろう」
「……何がです?」
「この間、エアフォルクの隠し研究所を見に行く時、道中、儂の昔話をしただろう。一部、『なんだかんだ』と端折っていたが」
「ああ、そんなのありましたね。で、今はその『なんだかんだ』の話をするってことですか」
「そうだ。その『なんだかんだ』……正確には、イバラの話だ」
鬱蒼とした木々が生い茂る中、バリスタンはテオボルドへ静かに言い聞かせた。
【完】




