第23話 ロスデモ島は倒れない:老蟹の獲物
一つの壁には難解な内容の書籍が重なり、そこを埋め尽くしている。
一つの壁には数々の褒賞を意味する献上物と、古びた魔術道具が混在して棚に置かれている。
もう一つの壁は、ステンドグラスの壁。その中央にある、窓としての役目を持つ透明のガラスの中には、整然と区切られた学園都市の光景が映っている。
ステンドグラスを背に、一人の男が書類を広げていた。
合計三十枚。自分の視界へ障壁のように展開して、それらすべてを閲覧している。
書類の先にある、厳かな装飾の扉から、四回のノックが鳴った。
書類がひとりでに机へ重なって戻った後、
「入ってきたまえ」
「失礼致します、師匠」
扉を開けて入ってきたのは、地面と平行に切り揃えた黒髪の、勤勉な雰囲気を持つ青年。
既に机を前にしていたのは、長く伸ばした白髪の青年。
その見た目からはまるで兄弟、あるいは先輩後輩にしか見えないが、年は圧倒的に後者が上。
かつて第二次魔王を討伐した勇者パーティーの一員。それと、勇者士官学校の長、ヨハネス・フィンチャー。
彼は己の魔術の一端で、こうした若々しい肉体を保っていた。
「それで、リクゴー。君は今回、何を持ってきたのかね?」
「期待するほどのものではありません。単なる勇者軍からの近況報告書です」
リクゴー。と、呼ばれた弟子は、机にいるヨハネスめがけて、紐とじされた書類を投げた。
書類はヨハネスの手前で止まり、程よい角度で止まった後、ペラペラとめくれる。
「ふむふむ。『魔王軍幹部、カルキリッパーが三日前の本陣喪失以来、他の占有地を放棄している』と……」
ヨハネスに読み終えられた書類は、リクゴーの元へ飛んで帰った。
リクゴーはそれを小脇に抱え直して、
「これは自身の手勢を集中させて、どこかへ総攻撃を目論んでいる……と、考えるのが妥当かと」
「そうだね。あとはどこか分かれば楽だろうね……じゃあちょっと待っててくれ」
ヨハネスは革張りの椅子にもたれて、目をつむる。端からすれば昼寝のようにも見える。
一番弟子と自負するリクゴーは、そうではないと気づいている。
――これは、高位の魔術師や魔物が用いる、念による通話を行っているのだ。と。
パチンと目を開けたヨハネスは、真っ先にこう告げた。
「今のところは、勇者軍が特段怯えなくてもいいだろう」
「は、承知しました」
どういうことですか? などという平凡な問いを、リクゴーは言わない。
もしそれを投げかければ、ヨハネスは最低でも十個の小問題を逆に返してくる。
その真意はリクゴーも掴めてはいないが、ヨハネスがああしてサラリと言える根拠は、九問相当に理解できる。彼もまた、天才であるのだから。
「報告は以上かね」
「はい、以上でございます」
リクゴーは踵を返して扉へ歩む。だが、ドアノブに手を伸ばしたところで、
「あとそれと……」
「はい、何でしょう?」
「まず、久々に長旅の支度をしておくれ、リクゴー……」
*
上空には、暗雲が立ち込めていた。
今にも降り出しそうではあるが、まだ雨粒はどこにもない。
この空模様は、このロスデモ島が立たされている状況の暗示でしかなかった。
カルキリッパーの偵察隊が襲撃してから、四日が経過した。
二日前、モランの鳥モンスターの哨戒が『甲殻類モンスターの群れがロスデモ島へ、向かっている』と、命からがら伝えてくれた。
その速度から、ロスデモ島の勢力は二日間でできる限りの防備を整えた。
北部の海岸に、テオボルド、パトロクロス、ベルゼブブの混成軍。
北西部の半島にある港街では、シモンズ海賊団とロシュフォールの軍団。
そして島の内陸部――建設途中の要塞と、元々ある基地にて、モラン軍が控えとして待機している。
彼らなりの万全の体勢で、カルキリッパー軍を待ち構えていた。
正午頃。
北部の海岸の、青かった海が、様々な色で照り輝いた。
カルキリッパーが従えるエビやカニの魔物たちの、外殻の反射であった。
「お前ら! この砂浜以上に魔王軍を立ち入らせるなよ!」
「うーい、ちゅーわけでみんな! ぶちのめせ!」
「うおおおお! 覚悟しやがれ、魔王軍!」
テオボルドとエウポルたち隠れ里の魔物、パトロクロスと恐竜軍団、ベルゼブブの人獣軍団は、高波のように押し寄せる甲殻類の兵たちに立ち向かう。
海賊団とテオボルドたちの間で、カルキリッパー配下の魔物に関する情報は周知してある。
難なく、とまでは行かないが、この大群の猛襲を、テオボルドたちはどうにか砂浜までで留められていた。
しかしその波は収まる予感がまるでしない。
ベルゼブブは即席の流砂に敵軍を沈めて、
「もう飽きてきたんだけどあーし!」
パトロクロスはシャコ型魔物の懐に連打を与えて粉砕し、
「コイツらどんだけいるんだ!?」
テオボルドは矢継ぎ早に弓を引きながら、いまだ衰えぬ敵の勢いを見渡して、つぶやく。
「もう、普通の島には過剰戦力くらいの体数を倒している気がするぞ……こりゃカルキリッパー御本人が来てるのは間違いないな……」
そこに、彼の子分筆頭であるゴリラの魔物、エウポルが駆けつけてくる。
「て、テオボルドさん! ちょいと遠くの海を見てくれませんか!?」
「どうした!? カルキリッパーが顔出してるのか!?」
「そんなもんじゃない気配がバッキバキにするんです!」
甲殻類モンスターたちが湧き出る海原の地帯よりも更に奥……はっきりと水の色が暗くなり、ボコボコと泡が沸き立っている。
「ああ……マジだ。カルキリッパーなんてもんじゃないのがそこにいる……」
周囲の自軍数百体までも巻き込むほどの、水しぶきが打ち上がった。
その地帯に、城が浮かんだ。曲線の多い石灰色の城だ。小国くらいならその象徴となりうるほどの大きさを誇っている。
テオボルドはその城を見上げて、エルフ特有の魔力感知能力に強烈な刺激を受けた。
カルキリッパーが有する最高戦力、兼、移動要塞のヤドカリ魔物【クラブデストロイヤー】だ。
「……こんなにデカい魔物がいるんですか……!?」
「……お、驚いてる場合じゃないぞ、お前ら! とにかく構えろ!」
テオボルドが叫んだそのとき、クラブデストロイヤーが背負う城の中段から、いくつかの四角い窓が開いた。
けたたましい爆音の連続とともに、窓から魔物たちが放出される。
その射線の先は、テオボルドたちのいる海岸から遥か後方、モランが待機する丘へ伸びていた。
鳥類モンスターの鳴き声がこだまする。
突然の急襲に撃墜もままならず、恐慌状態に陥ったようだった。
さらに、城の下段からさらなる軍勢がジャバジャバと水面を破る。砂浜にも脅威が迫っていた。
パトロクロスは近寄る敵モンスターを殴り飛ばしながら、テオボルドへ尋ねた。
「このままじゃ内側からもロスデモ島を食い荒らされちまうぞ! どうする、テオボルドさん!?」
「そりゃ助けに行くに決まってるだろ! けどこの海岸はどうするんだって話だ!」
「あーしらがここを食い止めるっての」
ベルゼブブが砂の波で、小エビたちを押し潰す。
彼女の側面へ回ってきた、テッポウエビやシャコの魔物は、親衛隊の三人が打ちのめした。
「こんのまんまじゃ、あーしらは海側と丘側から挟み撃ちになる。そうならないためにも、モランを救いに行っとき。ティボ、パティ」と、ベルゼブブ。
「元はと言えばこの砂浜は俺たちベルゼブブ軍の領土」と、セベック。
「ならば最も奮起しなければならないのは俺たちだ!」と、ホーロケ。
「ベルゼブブ様と俺たち親衛隊を信じて、行け!」と、イドラー。
このベルゼブブたちの返事に、テオボルドたちは絶対の信頼を覚えた。
「……わかった。退くときは退けよ、必ず!」
「待ってろよベルジー! おれたちすぐ戻ってくるからな!」
テオボルドはエウポルに、パトロクロスは適当に選んだ小型恐竜に乗る。
その他パトロクロスの手勢の恐竜を連れ立って、南へと丘を駆け登った。
モラン本人がいたのは、かねてから本拠地として使用していた、島内で二番目に高い丘。
そこは既にクラブデストロイヤーからの魔物投入によって、早くも蹂躙されていた。
ペンギン、カラス、ダチョウ、オウム、ツル……モランが手塩にかけて教育していた手勢が、羽根を散らされている。
テオボルドとパトロクロスはその要因となる、敵魔物を撃破しながら、山頂の本陣を目指す。
投入された魔物たちのほとんどは既にそこへ集結し、包囲陣までも組んでしまっていた。
「この、鬱陶しい輩どもめが!」
殻の隙間に杖先をあてがい、空気弾を炸裂させて内部から破壊する。次々と、近づく甲殻類モンスターたちを処理したが、敵の勢いはまるで衰えない。
そうこうしている間に、周りでは、ペンギンが吹き飛び、ダチョウが白目を向いて宙を舞い、カラスが羽を散らして落ちていく。
だが途中から、小エビやシャコやテッポウエビの魔物も、次々と打ち上がり始めた。
「大丈夫かー! モラン!」
「おれたちが助けに来たぜ!」
モランは安堵から力が抜け、杖を第一の用途で使った。
「大丈夫なものか……まさか島一精強たる我が軍がここまで食い散らかされたのだぞ……!」
テオボルドは彼のコートの肩部を引っ張り、無理矢理立たせる。
「反省は後だ! こっからどうするか考えろ!」
「そう言いましても、ここ砂浜なみに敵勢多くないですかぁ!?」
エウポルがぼやいた通り、クラブデストロイヤーの絶え間ない自軍射出により、丘は甲殻の乱反射で色とりどりに染まっていた。
「どうする、テオボルドさん!? 砂浜に戻るか!?」
「いっそ、海賊団に頼ってみません!?」
「それは無茶だぞエウポル。丘上の未完成の要塞は既に敵の手に落ちている。海賊たちとの連絡線も絶ってしまった……」
「いいや、そうでも無さそうだぞ……」
テオボルドが見上げた先……北西の丘から、何体もの小エビが吹き飛んだ。
やがて、あの外壁のみが組み上がった要塞から、人と魚モンスターの混成部隊が下りてくる。
「ハハハ、私の読み通りだったようだ!」
「何やらそっちがまずそうだったので、参りましたよ、モラン!」
エリックとハザ、シモンズ海賊団が精鋭を連れて、救援に訪れてくれた。
「おお、あれは心強いですな!」
「暇か、あの海賊ども……」
「助けて貰ってる身分で言うなよモラン……全く、素直じゃないなお前」
テオボルドとハザたちは手分けして、本拠地内の甲殻類たちを砕いていき、次の一手へ向けて動き出す。
だが、北にそびえるクラブデストロイヤーからの遠隔増援投下は、留まることを知らない。
「速やかに脱出したいところではあったが、ここに誰か残さねば、海岸と港街の後方が危ういな……」
「だあーもう! あのヤドカリをなんとかしないと終わらないぞこれ!」
「であれば、私たちの出番かと!」
と、威勢よく名乗り出たのはエリックだった。
「私たちが直ちに船を出し、あの巨大ヤドカリに側面から猛攻撃を加えて、海に帰してやります!
餅は餅屋、海戦は海賊にお任せですよ!」
「それだ!」
テオボルドは鉄拳と小エビ兵士で、ゴンと音を奏でた。
「ハザの勇者奥義三連発をまともに食らわせれば、アイツでも絶対に沈むに決まってる! てなわけで……いけます!?」
シャコ二体の同時攻撃を、剣と盾で打ち払いながら、ハザは首を縦に振った。
「ええ、いけますよ。是非任せてください、ティボ」
「あいよ! じゃあハザ! もっかい丘越えて、早いところ船を出してくれ!」
「いいよ。ならモランを借りてくね。船の護衛に欲しいの」
「だとよ! ほら行け、モラン!」
「あ、ああ……」
モランはハザとエリックたち海賊団とともに、港町へと向かった。
「で、俺たちはどうするんです、テオボルドさん!?」
「決まってるだろエウポル! ここでヤドカリが投げてくる兵士をキャッチアンドリリースすんだよ!」
エウポルが火の玉を放り、雑魚たちが爆ぜて砕ける。
死ななかった骨のある魔物は、きっちりとテオボルドが弓矢を突き立てて落とす。
それも耐えきった魔物は、改めてテオボルドが斧を叩きつけたり、パトロクロスが殴打して片付けた。
この一連の動きを確立し、ロスデモ島を内部から食い荒らそうとする軍勢を、どうにか食い止められていた。
だが、魔王軍は、流れ作業で倒せるような敵ばかりではない。
身の毛がよだつ風切り音を伴い、雲空とロスデモ島の間を、恐ろしい影がよぎる。
テオボルドはしかと狙いを研ぎ澄まして矢を、エウポルは両腕を威勢よく回して火の玉を、そこへ撃った。
その影から、一対の剣が伸びる。二人の遠距離攻撃は、ことごとく無に消えた。
穴だらけの天幕の一つが、完全に潰れる。
その影の着地の衝撃で、三人は軽くたたらを踏む。
「……貴様だな、この謎多き島の王は……!」
「……王、という格式高い称号までは戴いてないが。まあ、そういうところだ」
まだ砂埃が立ち込めるため、その姿はシルエットしか捉えられていない。
だが、テオボルドは、エルフ特有の魔力感知能力から、その存在の詳細をとうに認識し、そして、戦慄いていた。
「まさかお前までも打ち上がって来たか……【漸進蟹将】カルキリッパー!」
「打ち上がったのではない、確固たる自信の元、己を打ち上げたのだ!」
人の背丈ほどの長剣を左右へ振り、立ち込める砂埃を自ら晴らして、カルキリッパーは、その鎧姿を三人へ晒して見せる。
【完】




