皇都の夜を歩み、玲華皇女の想いを知りしこと
華国皇都の夜は、西の大陸とは違う静けさを持っていた。
昼間、多くの商人や旅人の声で満ちていた大通りも、夜になればその姿を変える。
赤い灯りが道を照らし、水路には建物の影が揺れる。
遠くからは楽器の音が聞こえ、店の奥では人々が茶を飲みながら語り合っていた。
魔物の襲撃に怯える街でもない。
戦争直後の不安を抱える街でもない。
ただ、人々の日常が続いている。
そんな当たり前の景色だった。
「……なんか久しぶりだな」
佐藤健一は橋の上から街を眺めながら呟いた。
隣にいたレンが振り向く。
「何が?」
「こういう普通の時間」
佐藤は少し笑う。
「考えてみろよ。俺達、ここ最近ずっと何してた?」
レンは少し考える。
「魔王軍との戦い」
「その後は?」
「神界」
「その後」
「北国で戦争」
「その後」
「洞窟で巨大虫」
「だろ?」
佐藤は深いため息をついた。
「普通の旅人が経験する量じゃないんだよ」
「まあ、それは否定できないな」
レンも苦笑した。
勇者として多くの戦いを経験してきた彼ですら、この旅の濃さは異常だと思っていた。
だからこそ。
今、この静かな皇都の時間が不思議だった。
敵がいるわけでもない。
何かを倒す必要もない。
ただ知らない国を歩き、知らない文化を見る。
本来の旅とは、こういうものなのかもしれない。
一方。
少し離れた場所。
玲華は一人、橋の欄干に手を置いて皇都を見ていた。
皇女としての衣ではなく、街歩き用の落ち着いた服。
それでも立ち姿には気品がある。
御池貴光は静かに近づいた。
「良き夜なり」
玲華は振り返る。
「貴光様」
「眠れませんでしたか?」
「否」
「ただ、月を見るに良き時と思ひたり」
貴光は空を見上げる。
玲華も同じように月を見た。
「月を見るために外へ?」
「うむ」
「月は逃げぬが、同じ月は二度と無し」
「今見る月は今だけのものなり」
その言葉に玲華は少し驚いた。
そして、小さく笑う。
「不思議ですね」
「何がなり?」
「西から来た方なのに、宮廷の文官達より話が合う気がします」
貴光は少し考える。
「文化は違えど、人の心は変わらぬもの」
「美しきものを美しいと思う」
「大切なものを大切と思う」
「それだけなり」
玲華は静かに聞いていた。
この人は奇妙だ。
最初はそう思った。
鉄で作られた謎の牛車。
不思議な仲間達。
理解し難い旅。
しかし話してみれば、誰よりも礼を知り、文化を重んじる。
まるで矛盾しているようで、その全てが同じ人物なのだ。
「貴光様」
「む?」
「あなたから見て、華国はどのような国に見えますか?」
貴光はすぐには答えなかった。
街を見る。
灯り。
人々。
建物。
しばらく眺めた後、口を開く。
「美しき国なり」
「……」
玲華は少し安心したような顔をした。
しかし。
すぐに表情が変わる。
「ありがとうございます」
「でも」
少し間。
「美しいものを残すのは、とても難しいことです」
その声は皇女のものだった。
旅の途中で見せた少女としての玲華ではない。
国を背負う者の声。
「華国は長い歴史を持っています」
「だからこそ、多くの考えがあります」
「昔からの形を守るべきという者」
「新しいものを取り入れるべきという者」
「力を増やすべきという者」
「今ある平和を守るべきという者」
玲華は街を見る。
「誰も、自分が間違っているとは思っていません」
善と悪。
そんな単純な話ではない。
それぞれが国を思い。
それぞれが正しいと信じる。
だからこそ難しい。
貴光は静かに聞いていた。
「人とは難しきものなり」
「敵ならば討てば終わる」
「されど、人の考えは斬れぬ」
玲華は目を細める。
「……戦う方の言葉ではありませんね」
「我は武人にあらず」
貴光は答える。
「ただの牛車乗りなり」
その瞬間。
少し空気が止まった。
「……」
玲華。
小さく笑う。
「そこで台無しにするところも貴光様らしいですね」
「む?」
その頃。
離れた場所で見ていた佐藤。
「……」
「なあレン」
「何だ?」
「やっぱり慣れない」
「まだ言うのか?」
「いや、だってさ」
佐藤は二人を見る。
「今、完全に宮廷ものの主人公みたいだったじゃん」
「ああ」
「でもあの人、軽トラの鍵を川に捨てて牛で引っ張った人なんだぞ」
沈黙。
レン。
「……」
「それ言われると急に戻るな」
「だろ?」
佐藤は頷いた。
「人間って不思議だな」
「感想それなのか」
翌日。
玲華は一行を皇宮の奥へ案内した。
そこは巨大な建物だった。
壁一面に並ぶ棚。
そこに収められた無数の書物。
「ここは?」
エレノアが尋ねる。
「華国大書庫です」
玲華は答えた。
「歴代皇帝の記録」
「各地の歴史」
「文化、研究、詩」
「千年以上の知識がここにあります」
「千年……」
フィアは驚いたように見上げる。
レンも思わず息を漏らした。
剣では届かないもの。
魔法とは違う力。
時間の積み重ね。
そこには確かに、別の強さがあった。
そして。
佐藤は気付いた。
隣の人物の様子がおかしい。
「……」
御池貴光。
完全に目が輝いていた。
「あ」
佐藤は察する。
「これはまずい」
「何が?」
エレノアが聞く。
「貴光さんが興味持った」
「いいことじゃない?」
「いや」
佐藤は首を振る。
「この人、変な方向に本気出すと止まらない」
玲華は不思議そうに尋ねる。
「貴光様、書に興味が?」
貴光。
即答。
「大いにあり」
その声。
今まで旅の中で何度も聞いた。
何かに本気で興味を持った時の声。
佐藤は静かに呟く。
「……華国」
「意外と貴光さんに一番危険な場所かもしれない」
戦でもなく。
魔物でもなく。
文化。
知識。
歴史。
御池貴光という男にとって、それはある意味、最も魅力的な世界であった。




