東より来たりし船、二つの世界初めて交わりしこと
嵐去りし翌朝。
昨日まで空を覆ひし黒雲は既に消え去り、果てなく続く海の上には柔らかな朝日差し込みたり。
荒れ狂ひ、船を飲み込まんとせし波も、今では静かに揺れるのみ。
まるで昨夜の出来事など夢であったかのような景色であった。
されど。
船には確かに嵐の跡が残りたり。
折れかけし木材。
破れた帆。
散らばった荷。
そして、疲れ切った船員達。
グラン・オルフェは朝早くより船を歩き回り、一つ一つ状態を確認していた。
「右舷は問題無し」
「帆は補修すれば使える」
「船底も無事だ」
その言葉を聞き、船員達は安心したように息を吐いた。
この船は、未知なる海を越えるために造られし船。
ただ大きいだけではない。
荒波を越え、誰も知らぬ場所へ辿り着くためのもの。
その力を、初めて証明したのである。
「……本当に越えたんだな」
佐藤健一は甲板の端に立ち、広き海を眺めながら呟いた。
隣にはレン。
「ああ」
「魔物と戦うより疲れたかもしれないな」
「分かる」
佐藤は苦笑する。
「魔王とか巨大虫とか色々見たけどさ」
「海って倒せないもんな」
レンは静かに頷く。
剣を振るえば敵は斬れる。
魔法を使えば壁は壊せる。
されど。
自然は違う。
勝つものではない。
乗り越えるもの。
そのことを、この海は教えたり。
一方。
船内では。
「もぉ……」
黒牛二頭。
ようやく船生活に慣れ始めていた。
最初こそ揺れる床に不満げであったが、今では普通に餌を食べている。
御池貴光。
その様子を見て満足げに頷く。
「流石なり」
「牛は環境への適応も優れたり」
フィアは少し笑った。
「貴光さん、本当に牛には信頼がありますよね」
「当然なり」
即答。
迷い無し。
その姿を見て、フィアは思った。
この人は変わっている。
かなり変わっている。
されど。
何かを大切にする気持ちだけは本物なのだと。
その時であった。
「貴光!」
船上よりエレノア・シルヴァリアの声響く。
「ちょっと来て!」
「何か見つけたみたい!」
その言葉に、一同は甲板へ向かった。
そこではグランが遠眼鏡を手に、水平線の先を見つめていた。
普段豪快なる男。
されど今、その顔は真剣なもの。
「……いた」
小さく呟く。
「何が?」
佐藤が問う。
グランは無言で遠眼鏡を渡した。
佐藤。
それを覗く。
最初は何も分からなかった。
青き海。
波。
空。
しかし。
しばらく探した時。
「……船?」
確かに。
そこには船があった。
されど。
形が違う。
グランの船とも違う。
西大陸で見慣れた帆船とも違う。
独特なる帆。
曲線を描く屋根。
赤き装飾。
まるで別なる思想、別なる文化より生まれし船。
グラン。
それを見て笑った。
長年追ひ求めしもの。
誰も信じなかったもの。
海の向こう。
未知なる世界。
「……本当にあったんだな」
その声は、いつもの自信満々なるものではなかった。
夢を追い続けた男が、初めて夢の先を見た声であった。
「海の向こうにも」
「人はいたんだ」
誰も言葉を発せず。
ただ。
遠き船を見つめたり。
やがて二隻の船は近づき始めた。
しかし。
近づくほど。
異変に気付く。
「あれ……」
エレノアが眉をひそめる。
「傷ついてる」
その通りであった。
相手の船。
帆は破れ。
船体には傷。
船員達の動きも弱い。
おそらく。
昨夜の嵐。
同じものに巻き込まれたのだ。
グランの判断は早かった。
「救助するぞ」
船員達が動き始める。
縄を投げ。
板を渡し。
負傷者を運ぶ。
言葉は通じずとも。
助けようとしていることは伝わった。
そして。
最後。
一人の少女が船へ移りたり。
黒き長髪。
絹の如き衣。
細やかな刺繍。
立ち振る舞いは静かにして美し。
明らかにただの船客ではなかった。
少女。
周囲を見る。
そして。
深く頭を下げる。
その礼。
西大陸とは違う。
されど。
どこか気品あるもの。
その時。
御池貴光。
自然と前へ出たり。
そして。
同じく礼を返す。
「……」
少女。
一瞬。
目を見開いた。
異国の者。
見知らぬ服装。
見知らぬ文化。
されど。
その所作。
決して無礼なるものではない。
「あなたは……」
少女はゆっくりと言葉を発した。
少し不慣れ。
しかし確かに西大陸の言葉。
「この言葉、通じますか?」
「おお」
佐藤が驚く。
「話せるんだ」
少女は頷く。
「学びました」
「いつか海の向こうに住む人々と出会う日のために」
グラン。
それを聞き、小さく笑った。
「同じだな」
「え?」
「こっちにもいたんだよ」
「誰も信じない海の向こうを信じる奴が」
少女。
少し微笑む。
その笑みは穏やかであった。
「私も……多くの者に笑われました」
「西の海の果てなど何も無いと」
海を挟み。
二つの大陸。
互いに。
相手を伝説と思っていた。
されど。
今。
ここに繋がった。
少女の名は。
玲華。
華国より来たりし者。
そして。
後に貴光達が知ることになる。
彼女がただの旅人ではなく。
巨大なる皇朝に連なる者であることを。
夜。
船室。
玲華は貴光達の話を聞いていた。
西大陸。
魔王。
様々なる国。
未知なる文化。
その全てが彼女には新鮮であった。
そして。
ふと。
視線が止まる。
「……あれは?」
その先。
軽虎。
佐藤。
嫌な予感。
また説明の時間かと思った。
しかし。
貴光はいつもの如く答える。
「鉄の牛車なり」
沈黙。
玲華。
軽虎を見る。
黒牛を見る。
そして。
「なるほど」
「異国の牛車なのですね」
「え?」
佐藤。
固まる。
「受け入れた?」
玲華、不思議そうな顔。
「牛が牽く車なのでしょう?」
「……」
佐藤。
言葉を失う。
初めて。
初めてであった。
この鉄の牛車という主張を。
当然のように受け入れる文化。
貴光。
少し満足げ。
「分かる者には分かるなり」
「いや……」
佐藤。
軽虎を見る。
「もしかして俺達の方がおかしいのか……?」
そう思いかけ。
すぐ首を振る。
「いや違う」
「絶対違う」
そして翌朝。
水平線。
霧の向こう。
巨大なる影が見え始めたり。
山。
大地。
新たなる世界。
玲華。
静かに言う。
「あれが」
「私達の国です」
華国。
美しき宮廷。
長き歴史。
複雑なる人の思惑。
今までとは違う物語。
その入口へ。
鉄の牛車は、ゆっくり近づいていた。




