海に潜みしものと出会ふこと
海面より現れし影は、徐々に船へ近付きけり。
船員らは慌ただしく動き、積み荷を固定し、弓を持つ者は船縁へ集まりたり。
波は大きく揺れ、先ほどまで穏やかなりし海とは異なる姿を見せておりける。
「来るぞ!」
船長の声響きたり。
直後。
海面割れたり。
現れしは巨大なる魔物。
長き体。
硬き鱗。
鋭き牙。
大蛇にも似た姿なれど、頭には魚の如きヒレありけり。
「海竜か」
レン、剣に手を掛けたり。
「珍しいの?」
佐藤問ひける。
「珍しくはない」
エレノア答へたり。
「でも船を襲うほど大型なのは少ないわね」
海竜は船の周囲を泳ぎ、様子を見ておりける。
すぐ襲ひかかるでもなく。
逃げるでもなく。
ただ船を見ておりたり。
「何か変ですね」
フィア、首傾げける。
「普通ならもう攻撃してきてもおかしくありません」
その時。
海竜の視線、ある一点へ向きたり。
甲板。
そこに立つ黒牛。
黒牛。
海竜を見る。
海竜。
黒牛を見る。
しばし。
沈黙。
「……」
佐藤は嫌な予感を覚えたり。
これまで何度も見た光景なれば。
「なあ」
「何だ」
レン答へたり。
「あいつ、また何かしてないよな」
「してない」
「だよな」
黒牛はただ立っておるのみ。
本当に何もしておらず。
されど海竜は動きを止めたり。
やがて。
ゆっくりと頭を下げたり。
船員たち。
固まりたり。
「……」
「……」
「……」
誰も声を出せず。
海の魔物が牛へ頭を下げる光景など、普通見るものでは無かりけり。
「知り合いなりか」
貴光、黒牛へ問ひたり。
黒牛。
草を食みたり。
答へ無し。
「違ふらしきなり」
「今ので分かるのかよ」
佐藤呟きたり。
やがて海竜は船から少し離れたり。
そして。
海中へ潜り始めたり。
「帰るのか?」
船員の一人が言ひたり。
しかし。
海竜はすぐ戻りたり。
口に何か咥へておりける。
大きなる魚なり。
それを船の近くへ置きたり。
「……」
船長、眉をひそめたり。
「これは」
「贈り物?」
フィア言ひたり。
どうやらその通りらし。
海竜は再び黒牛を見たり。
黒牛。
魚を見たり。
そして。
草を食みたり。
興味無さげなり。
「食べぬのか」
貴光、不思議そうに言ひける。
「牛だからな」
佐藤答へたり。
魚を貰ひし船員たちは困惑しながらも回収したり。
結果として。
魔物襲撃。
被害無し。
魚入手。
終はり。
護衛依頼としては成功なれど、誰も納得せざりけり。
夕暮れ。
船は再び進み始めたり。
甲板では船員らが先ほどの出来事について話しておりける。
「何だったんだ、あの牛」
「分からん」
「神獣か何かか?」
その言葉。
佐藤の耳へ入りたり。
「やめろ」
小さく呟きたり。
「何が?」
エレノア問ひたり。
「その流れは危ない」
軽虎。
信仰。
神殿。
今まで散々見たり。
「ただの牛を神扱いする流れは危ない」
「でも普通の牛ではないですよね」
フィア言ひたり。
否定できざりけり。
その頃。
当の黒牛は船の隅で寝ておりたり。
世界を動かす気など一切無し。
ただ食べ。
ただ歩き。
ただ寝る。
牛なればなり。
夜。
船は静かな海を進みたり。
星は水面へ映り、波音のみ響きける。
貴光は甲板に座り、遠き海を眺めたり。
「広き世界なり」
隣へ来たりし佐藤、少し笑ひたり。
「今更?」
「うむ」
貴光頷きたり。
「神の世界も見たり」
「魔王も見たり」
「されど、まだ知らぬもの多きなり」
佐藤は何も言はず、同じく海を見たり。
確かに。
世界を救ひても。
神に会ひても。
知らぬ場所はまだ多くありけり。
旅とは、そういうものなり。
翌朝には、新しき島へ着く予定なり。
そこに何があるか。
誰にも分からず。
船は静かに、月明かりの下を進み続けけり。




