海の匂ひ初めて知りたりしこと
村を出でたる後も、一行は街道を南へ進みけり。
昼を過ぎれば日差しも少し和らぎたり。
道の両脇には草原広がり、その向こうには森見えたり。
時折旅人とすれ違ひたり。
荷車を引く商人あり。
家族連れあり。
戦終はりしこともありてか、街道は以前より賑はひを取り戻しつつあるやうなり。
その折。
貴光、不意に鼻ひくつかせたり。
「む」
黒牛も同じく顔上げたり。
「どうした」
佐藤問ひける。
貴光はしばし風の吹く方を見つめたり。
「何やら変な匂ひするなり」
「変な匂ひ?」
エレノアも首傾げたり。
そして風の方へ顔向けたり。
数秒後。
「あっ」
何か気付きたり。
「これ海じゃない?」
その言葉に。
フィアも目を見開きたり。
「もう近いのですか」
「多分な」
レン答へたり。
海を知る者には分かる匂ひなり。
塩の香り。
潮の香り。
初めて嗅ぐ者には説明し難き匂ひなり。
貴光はしばらく考へ込みたり。
「魚の匂ひなりか」
「ちょっと違う」
佐藤答へたり。
「海の匂ひだ」
「海にも匂ひあるなりか」
「あるぞ」
貴光は再び風を嗅ぎたり。
そして。
「なるほど」
何やら分かったやうな顔したり。
しかし多分分かっておらざりけり。
その頃。
ポテ彦は軽虎の荷台にて本を読んでおりたり。
実に馴染みたり。
昨日会ひたるばかりとは思へぬほどなり。
村上などは未だ時折見ておりたり。
慣れぬらし。
「そういえば」
村上、不意に口開きたり。
「軽虎教って本当に百万人いるんですか」
その問いに。
佐藤とエレノア、同時に嫌な顔したり。
「らしいな」
「増えすぎなのよ」
教祖たる貴光は特に反応せず。
道端の花見たり。
蝶追ひたり。
話聞いておらざりけり。
「百万人かぁ……」
村上感心したり。
「王都より多いですよね」
「下手な国より多い」
レン答へたり。
実際その通りなり。
宗教としては異様なる成長速度なり。
しかも教祖。
全く布教しておらず。
むしろ困惑しておりたり。
何故こうなったのか。
誰も説明できざりけり。
その時。
前方より一団の旅人現れたり。
荷物多く積みたり。
服装も様々なり。
商人らしき者もおれば、職人らしき者もありたり。
どうやら移住の途上らし。
すれ違ひざま。
一人の男の声聞こえたり。
「港町なら仕事あるぞ!」
「船乗りも足りねぇ!」
「今なら家も安いぞ!」
活気ありたり。
戦後の復興始まりつつあるのであらう。
新たなる土地へ向かふ者も多きらし。
レンはその背を見送りたり。
「変わるな」
「何がなり」
貴光問ひける。
「世界だよ」
短く答へたり。
戦終はりたり。
されど世界は止まらず。
王国も。
村も。
人々も。
少しずつ前へ進みたり。
その様を見ながら歩くのも、また旅の楽しみなりけり。
やがて。
丘ひとつ越えたり。
その瞬間。
フィア足止めたり。
「……あっ」
声漏れたり。
一同も顔上げたり。
遠く。
遥か遠く。
空の下に青きもの広がりたり。
陽光受けて輝きたり。
果て見えざりけり。
海なり。
ついに海見えたり。
貴光。
しばし何も言はざりけり。
そして。
「でかきなり」
ぽつりと呟きたり。
実に貴光らしき感想なり。
海は逃げず。
ただ静かにそこにありたり。




