雨音
ぽちゃん、ぽちゃんっとどこからか水の落ちる音が響いている。
その音に呼ばれるようにして目を覚ました。
「うっ・・。」
ふと気が付くと横たわっていた。
コンクリートの冷たい感触が頬に当たって痛い。
雨音が聞こえており、室内は薄暗くぼんやりとした小さな明かりに照らされている。
(ここは、どこ・・・?暗い・・まだ夜なの?)
気を失ってからそれほど時間は立っていないらしい。
「やっとお目覚めか。長かったな。」
低い、男の声がした。
「久しぶりだな。人間の女。」
その人物は椅子に座ったまま横たわった私を見下ろしていた。
頬はこけて痩せているが、その紺色の目だけが生気を宿しているようにぎらついている。
「あなたは・・・。」
声を絞り出した。
恐怖にこわばっている私の様子に男は満足そうにニヤリと笑った。
「ようやくお前を捕まえることができた。まったくあの数の護衛をつけるなんて
どうかしているな。お前も相当苦労しているだろう。」
「何を・・・あなたは何を言っているの?」
(この人は・・間違いない。澪ちゃんを殺したあの男だ。
しかも私のことを人間の女、と呼んだ。
・・・彼は間違いなく鬼だ。)
あの時よりも頬はこけて髪はぼさぼさでみすぼらしくなっている。
けれどこの紺色の目は覚えがある。
「・・・まさか、お前は何も知らないのか?」
男が言っている言葉の意味も、置かれている状況もわからず
戸惑う私の表情を見てその男はさも楽しそうに笑った。
「はははっ!こりゃあいい!あいつは余程お前が大事らしい。」
腹をかかえて笑っていたと思ったら今度はうっとりするような顔をして私を見た。
まるで極上の餌を前にして舌なめずりをする猛獣のようなその様子に背筋がぞっとする。
そんな私の様子を気にも留めず、男は椅子から降りると横たわった私の頭にそっと触れた。
「俺はな。生まれた時から何不自由のない暮らしをしてきた。
美味いものも、美しいものも、高価なものもすべてが俺のものだった。
・・・それなのに、あいつが俺から全てを奪ったんだ。
何も興味がない振りをしているくせに、いつも余裕な素振りで
俺からすべてを奪っていく。
1番大切だった俺の名前もだ!
許せるはずがないよな?だってすべて俺のものなんだから!!」
ガっと髪を鷲掴みにされ、痛みに顔をしかめる。
この男は私を見ているようで、見ていない。
私を通して誰かを見ているんだ。
(怖い。・・)
だからこそ口をつぐんで男の話を聞いていた。
「・・・そんなときだよ、あいつの唯一が見つかったのが。
俺は歓喜したよ。俺にも復讐のチャンスが巡ってきたんだとな。
それが、お前だ。」
「私が・・・唯一?」
「すぐに思いついた。俺のすべてを取り戻す方法を。
俺からすべてを奪ったあいつからすべてを取り返す方法を。
だから俺はずっとお前を探していたんだ。」
男は私の言葉も無視して話し続ける。
「ようやくお前を見つけたってときに邪魔が入って失敗したがな。
今度はそうはいかない。」
忌々しそうに言った男の言葉に自分の腕の中で
雨の温度になじむように冷たくなっていった澪の姿を思い出す。
悔しさでぐっと奥歯を噛んだ。
「・・・・どうして、殺したの。同じ鬼じゃない。」
「鬼だからなんだ?
俺の邪魔をするなら鬼も人間も関係ない。」
絞り出した私の言葉を男は一蹴した。
「・・・私の友人だったの。」
「友人?人間が?ふははっ!」
男はさも可笑しいというように再び笑いだした。
「人間が鬼と友人になれるわけがないだろ。
人間は下等な生物だからな。所詮鬼の道具でしかない。
いいか。鬼と人間は対等じゃない。勘違いするな。」
掴んだ髪をぐっと持ち上げて、顔をのぞき込まれる。
痛みで涙が滲んでしまいそうだったが、歯を食いしばって耐える。
相手に飲まれないように、情けない姿を見せないようにするのが
今の私の精一杯だ。
「反抗的ないい目だ。お楽しみはこうじゃないとな。」
そう言ってニヤリと笑うと男は掴んでいた髪をぱっと離す。
とっさに頭を支えられず、頬を打ち付けて口の中に血の味が広がる。この男の目的が読めない。
これだけ男は自分の行動の理由を自分から話しているにも関わらず私には一切心当たりがない。
私が知っているのは、友人である澪を殺したのが目の前の男であること。
そして男の話の通りであれば、誰かへの復讐のために私を利用しているということだ。
けれどそれを考えている余裕はない。
今はこの状況を打破することを考えなくてはならない。
男の様子からして、今すぐに私を殺す気はないらしい。
けれどこの狂った男はいつ気が変わるかわからないだろう。
それに見る限り、ここに私たち以外の姿は見えない。
雨の音が響くくらい静かだから人通りのない場所のはずだ。
「・・・私を攫ってどうするつもり?」
「あぁ。それを考えていたんだ。」
男はそれはそれは嬉しそうな笑顔で振り返った。
「初めは見せしめに殺してやろうと思った。あいつが取り乱すくらいに
無残な姿に切り刻んでやろうと思ったんだ。」
心底楽しそうな姿に背筋がぞっとする。
「けどそれは止めた。それじゃつまらないよな。」
「は?」
「だってそうだろ?
それじゃあ一瞬で終わってしまうじゃないか。
俺を苦しめたあいつへの復讐が。
俺はあいつの苦しみ悶える姿をずっと見ていたいからな。」
男はそういうと私のそばにしゃがみこむと
「だから、お前を俺の番にしてやる。」
「っ!」
思わず声に出てしまいそうになる声を押し殺した。
嫌な予感に背筋から汗が噴き出す。
「・・・番って、鬼は番を自分の意志で選べるものじゃないでしょ。」
「あぁ。だから本物の番じゃない。だがそれでいい。
言っただろ?人間は鬼の道具だと。
俺はただあいつを苦しめることができればそれでいいんだ。」
正気じゃない。
けれどだからこそ目の前の鬼ならやりかねないと思った。
(逃げなくちゃ・・でも、どうやって)
けれど相手は鬼だ。
加えてこちらは手足を縛られて身動きが取れない。
たとえ拘束を解くことができたとしても逃げ切ることは不可能だ。
目の前にはかつて自分の友を殺した鬼がいる。
憎しみがないわけじゃない。
理由を聞いたって何1つ理解することができない。
あまりに理不尽だ。
そしてその理不尽になされるがまま押しつぶされそうになっている自分が情けない。
ここで相手の思う通りに理不尽に脅かされるのは絶対に嫌だ。
だから、哀れむように微笑んだ。
「あなたは自分に自信がないのね。」
「は?」
「だってそうでしょ?
正々堂々戦うんじゃなくて私を使おうとするんだもの。
自分が鬼だってことを誇りに思ってるくせに弱い人間をいたぶるんだもの。
ふふっ情けないのね。」
男はぐっと私の襟をつかむとそのまま顔の高さまで持ち上げる。
(怖い・・・けど気持ちまでこの男に負けたくない。)
「死にたいのか?」
睨みをきかせる紺色の瞳には純粋な殺意が見える。
たぶん、私はここで死ぬのだろう。
だからこそ思いっきり嘲笑った。
「殺しなさいよ。それこそ、あなたの望み通りになんてならないわ。」
「気が変わった。
俺の手で殺してやるよ。幸栄に思え。」
男が拳を振り上げた。
ただでさえ身体能力の高い鬼に殴られるなどタダでは済まない。
襲い来る痛みを覚悟して目をつむったとき。
パリンっとガラスの割れるような音がした。
とっさに目を開けると視界は闇に包まれていた。
「何だっ!まさか、もうあいつが・・っ!!」
慌てたような男の声が不自然に途切れて、襟を掴まれていた手が離される。
落とされる衝撃に身を固くしたが予想に反して身体は誰かの手によって抱き留められた。
(誰?・・何が起きたの・・・?)
必死に目を凝らすが何も見えない。
「・・・・すまない。」
暗闇で低い声がした。けれど先ほどの男の声ではない。
優しく、悲しみを含んだ声だった。
その人物は私を壊れものを扱うかのように丁寧に抱きしめた。
視界を奪われた暗闇のなか、姿の見えない人物に触られていても
不思議と怖くなかった。
「もう大丈夫だから。」
その声に安心して緊張の糸が切れる。
(・・・この声、どこかで・・・。)
思考にふけっている最中に意識は闇の中に沈んでいった。
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