昔の話
私の友人だった鬼の名前は日下部 澪。
近所に住む彼女は見かけるといつも1人だった。
幼心に聞いた話によれば、彼女は身よりのない鬼らしく両親共に事故で亡くなったのだそうだ。
私が生まれるよりもずっと前から生きていること
年齢を重ねても変わらない彼女の美しさが人間の
鬼に対する恐怖心を煽っていた。
両親を含めた近所の人間は皆彼女を恐れ
遠巻きに悪口を言うこともあれば
まるで透明人間かのように扱うこともあった。
幼心に、何をしているのかと呆れながらも幼さの無知ゆえに私には彼女の家に押しかけては遊んでほしいとせがんでいた。
私は彼女を姉のように慕っていた。
「澪ちゃん。今日も遊ぼう!」
「私に構うと叱られるよ。向こうで人間と遊んできなさい。」
「嫌だ!澪ちゃんと遊びたい!」
そう言って地面に横たわり手足をばたつかせてよくわがままを言っていた。
振り返ってみると恥ずかしく、彼女からすればいい迷惑だったに違いないのに彼女が私を邪険にすることをはなかった。
いつも穏やかに笑い、仕方のない子だねと言って相手をしてくれていた。
自分を迫害する人間の子供、その怒りの矛先が私に向かっても仕方がなかったはずだ。
それでも彼女が人間に悪さをしたり、悪口を言うことは1度もなかった。
時がたち、私が高校生になるころには彼女が迫害されることはなくなった。
彼らはただ無知である故に鬼を恐れていたんだ。
私を通して彼女が無害であることを知ると好意的に接する人が少しずつ増えていった。
そんなときだった。あの事件が起きたのは。
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「ねぇ、知ってる?最近この辺りで不審者がうろついてるんだって。」
「不審者?何かあったの?」
「夕暮れ時に1人で歩いているとふと誰かが後ろからついてくるんだって。
それに気づいて振り返ると全身真っ黒な服を着た男が
掴みかかってきて顔をのぞき込まれるの。
それで『お前じゃない。お前じゃない。』って呟くんだって。
まるで誰かを探してるみたいに。」
「なにそれ?怪談?
それくらいじゃ怖くないよ。」
「違うって!友達から聞いた話なんだから!」
真剣に私を脅かそうとする彼女が可笑しくて笑っていると
どこからかスマホの着信音が鳴る。
「あ、ごめん私だ。・・・げ、お母さんから・・・。
ごめん!今日は先帰るね。」
「また明日。帰り道気を付けてね。」
「朝陽もね。ほら、雨降りそうだし。早めに帰ったほうがいいよ!」
友人はそれだけいうとじゃあね、と教室を後にする。
ぽつんと1人取り残された教室で窓の外を見る。
いつのまにか空には薄暗く分厚い雲が覆って太陽を隠し
今にも雨が降り出しそうだ。
「困ったな。今日は折り畳み傘も持ってないのに。」
カバンを漁るがやはり傘は入っていない。
仕方がないと早々に帰る支度を整えて教室を出た。
*********
昇降口にでるとすでにぽつぽつと雨粒がアスファルトを染め始めている。
「走るしかないか。」
覚悟を決めて走り出すと一層雨脚が強くなる。
(どうしよう。どこかで雨宿りでもした方がいいかな。)
悩みながら走っていると自分の足音に交じって
遠くからパシャパシャと音が聞こえた。
足音は自分と同じほ
ふと、先ほどの友人の話が頭をよぎった。
(そんなわけない。気のせい、気のせい・・)
気にしないふりをしてを上スピードをあげるが相手も同じようにスピードを上げている。
いや、さっきよりも音がかなり近くなっている。
「・・・!
・・・・陽!
朝陽!」
名前を呼ばれて振り返る。
そこにいたのは不審な男ではなく真っ赤な傘を差した澪だった。
「・・・・澪、ちゃん?
どうしてここに?」
「通り雨になりそうだったから。
あなたのことだから傘を持っていないのではと思ったのよ。
どうして走っていってしまうの。」
そういう澪は少し息切れしている。
全速力で走った私に追いつくように走ってきたのだろう。
肩で息をしている私とは違い、余裕がありそうな様子だ。
澪は手に持っている傘をさすと私に渡す。
その様子に今までの緊張がとけてはーっと息を吐いた。
「ごめんなさい。噂話を聞いたあとだったから
なんだか怖くなって。」
澪は雨に濡れた私の髪や頬をハンカチで丁寧に拭っていく。
「噂って?」
「なんか後をつけてくる不審者が出るんだって。
『お前じゃない、お前じゃない』って誰かを探してるんだって。」
ピタリと私の顔を拭う澪の手が止まった。
どうしたのかと見上げると怖いくらい真剣な表情をしている。
けれどそれも一瞬のことですぐに穏やかな笑顔に戻る。
「私が来たからもう大丈夫よ。さぁ、風邪をひいてしまわないように早く帰りましょう。」
そう言って玲は私の手を取ると歩き出した。
私の何気ない話にも澪は笑って聞いてくれる。
ふと気が付くと前から人が歩いてきた。
それ自体はおかしなことじゃない。
けれどその人はこんな土砂降りの中傘をさしておらず
走る素振りもない。
何よりも目を引いたのは真っ黒な服を着ていたことだ。
(さっき聞いた噂話みたい。・・・なんだか少し怖いな。)
不気味に感じながらも視線を逸らしながら通りすぎようとしたとき雨音に混じって声が聞こえた。
「・・・・・う。・・・・違う、お前じゃない。」
「え?」
聞き取れた言葉に驚いて思わずその人を見た。
紺色の瞳が私を見つめ返していた。
「・・・・見つけた。お前だ。」
「朝陽っ!」
恐怖を感じるよりも先に澪に抱きしめられたことに驚く。
肩越しに彼女が差していた真っ赤な傘が地面に落ちて
真っ黒な服を着た人が見えた。
男の人だ。
綺麗な顔は憎しみのような恨みがこもったような表情に歪んでいる。
けれど私はこの人のことを知らない。
「くそっ邪魔しやがって。」
男は苛立たし気に吐き捨てると周囲を警戒するように見渡すとまるで何かに気づいたように走り去っていった。
「・・・・・澪、ちゃん?」
澪の身体が雨に濡れている。
(このままじゃ、濡れちゃう。)
彼女の身体を抱きしめて
初めてその背に刺さったナイフに気づいた。
「は・・・・・え?」
だらりと力をなくした彼女の身体が傾いた。
「澪ちゃん!!」
とっさに抱き留めようとするが
上手く支えられずに地面に座り込んでしまう。
「・・・朝陽は?・・・怪我は、してない?」
「してない!してないよ!
私のことより、澪ちゃんが!
どうしよう!!誰かっ・・・!!」
大声で助けを求めても雨に声が溶けるように響かない。血が流れて行ってしまう。
「朝陽。聞いて。」
澪の手が私の頬に触れた。
温かいのに冷たいぬるりとした感触と
鼻につく鉄のような匂いに意識が引き戻される。
「大好きよ。私と出会ってくれて、私を見つけてくれてありがとう。ずっと1人で生きてきた私にとってあなたは光だった。」
「嫌だ、嫌だよ。起きて。死なないで。・・・澪ちゃん。」
自分の腕のなかで、澪の身体は雨の温度になじむようにどんどん冷たくなっていった。
澪はもう目を開けることはなかった。
それから、何があったのかはよく覚えていない。
誰かが側に来てから、大勢の人が来た気がする。
すまない、と誰かが謝っていたような気がする。
私は茫然としたまま、目の前で起きたことが理解できなくて気が付いたら、泣きそうな顔をした両親に抱きしめられていた。
身よりのない澪ちゃんの遺骨は鬼の共同墓地に埋葬された。
澪が死んでから9年もたった。
もう誰にも彼女のような寂しい思いはさせないように。鬼と人間が手を取り合って行きていけるように。
それが私の夢になった。
鬼に対する偏見を人間という立場でなくすことは決して楽なことではない。
だが、幸いなことに大学入学してまもなくこの学園が設立された。
鬼と人間の理解を深め、共学するというこの学園の理念は私にとって理想そのものだった。
若い世代から意識を変えていくことができればいずれ多くの人の偏見をなくすことができる。
だからこそ、鬼と人をつなぐ役割であるカウンセラーの道を選んだのだ。
読んでいただきありがとうございます。




