再び、西部の地へ
鬼神との茶会を終えてから一週間がたった。誘拐事件はぱたりとその鳴りを潜めていた。集めた状況証拠も大したものが挙がらず、二の足を踏んだまま時間だけが経過している。
私たちは東部の家に帰ってきてから以前と同じように暮らしていた。いや、厳密には全く同じというわけではない。誘拐を警戒して私の身辺には常に護衛が付くようになったし、護衛が付いていないときには必ず司樹が側にいる。思いを打ち明けてから、なんとなく気恥ずかしくて表面上は何とか取り繕っているつもりだけれど、内心ではあのときの司樹の言葉が何度も頭をよぎって動揺が今だに収まらなかった。そんな私の様子を知ってか、知らずか私は司樹の部屋へと招かれていた。
「これを、あなたに」
珍しくもない2人きりと言う状況に内心動揺している私に司樹が小さな箱を差し出した。差し出された箱に入っていたのは美しい装飾のネックレスだった。小さな花を模した青い宝石の中心にはガラスだろうか、くりぬかれたように透明になっている。
「・・・綺麗」
思わず声が漏れた。美しい宝石が使われていても華美すぎるわけでもなく、普段使いができるように気遣いがされているのがわかる。
「もし良かったらつけていてほしい。これには――」
「お取込み中のところ申し訳ございません、司樹様。至急お伝えしたい事案がございます」
司樹が言葉を続けようとしたとき、扉の外から控えめなノックと共に従者の声がした。普段この家の中まで従者が入ってくることはない。2人の家に他の人が入るのを司樹が嫌がっているためだ。だからこそ、緊急の用事なのだろうということを察した。
「入れ」
短く声をかけると深々とお辞儀をして従者が入ってくる。報告をしようと口を開きかけるけれど気遣うようにちらりと私の方を見た。どうやらあまり良い話ではないらしい。司樹に大丈夫だと伝えようと口を開いたとき、先に司樹が声を出した。
「構わない。内容は」
先を促す司樹の言葉に思わず目を見張った。以前の司樹ならば良くない報告を私の耳に入れるようなことはしなかった。目と耳を塞ぎ、安全な場所で守り抜くような行動をとっていた彼が少しずつ確かに変わろうとしてくれている。その事実を目の当たりにしてじわりと胸が熱くなる。
「はっ。西部の地にて再び誘拐事件が発生した模様です。ひいては、西家の当主様より西部の地に来られるようにとのご連絡が入っております」
従者の報告に思わず目を見張った。再び起きた誘拐事件。二つ返事ですぐに向かうのかと思ったけれど、司樹は少し考えこむような素振りをしてから従者に声をかける。
「・・・・南家と北家の当主へ急ぎ連絡を。東家の当主として招集をかけると」
「かしこまりました」
司樹の命を受けて従者は一礼するとすぐに去っていった。従者が去ったのを見届けると、司樹は私に向き直った。
「朝陽。これからきっと見たくないものを見ることになると思う。不快になるようなことも聞くことになると思う。それでも・・・・それでも俺と共にいてくれる?」
わずかな不安の色が込められた言葉に顔をほころばせた。私の答えはすでに決まっている。
「ええ、もちろん。私はあなたの番だもの」
ためらうような手を力強く握り返した。
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西部の領地に到着したのは連絡を受けた次の日だった。初めて訪れる西部の地、まず感じたのは重い雰囲気だった。高いビルの立ち並ぶ西部の土地は想像していたよりもずっと先進的だ。西部の土地を車の中から眺めていると、煌びやかな外見にも関わらず行き交う鬼の活気の無さが気になった。それに、同じく住んでいるはずの人間の姿はほとんど見当たらない。時折番と思わしき人が鬼に付き従っているけれど、皆同じように顔色をうかがうようにして鬼を見ていた。ここは、本当に鬼を尊ぶ社会を体現している土地なのだ。
私たちを出迎えた涙とその部下の鬼数名だった。涙は例外だけれど、周囲の鬼たちの視線は決して友好的なものではない。とても他家の当主を出向かるような雰囲気ではない。これが、司樹の目の当たりにしていた西部の領地との亀裂なのだろう。今回はその原因となった私が同行しているからなおのこと良く思われていないのだろう。当主である涙が代表して私たちの前に一歩踏み出した。
「緊急の招集ですまない。先触れでも伝えたように、また俺の土地で番が誘拐される事件が起きた。司樹には現場の確認に向かってもらいたい」
「構わない。証拠の確保は時間との勝負だからな」
「今回は証拠の保全を気にする必要がない。なにせ現場は首都の外れにある水族館だからな」
「水族館?」
涙の言葉に驚いたのは司樹だけでなく、私も同様だった。今までの現場は水場のない場所に誘導されて誘拐されていたため証拠がまったくと言っていいほどなかった。だからこそこれまで解決することが出来なかったのだ。どういう風の吹き回しだろう。それに場所が水族館であるなら、証拠となる記憶は山のようにあるだろう。
「それなら彼女と共に現場まで・・」
「いや、番に凄惨な現場を見せるわけにもいかないだろう。だが、ここの鬼に任せるのは司樹にとっても不安だろう。だから、俺がのこいつの傍にいる」
「・・・・お前が?」
涙は司樹の言葉を遮って思いがけない提案をした。予想外の言葉に司樹は怪訝な表情をして聞き返すと肯定するように涙は頷いた。
「ああ。こうして事件解決の依頼をしておいて客人に無礼を働くつもりはないし、西家の当主として恥ずべきことはしない。それに、俺がいれば護衛だって必要ない」
「・・・・」
以前の涙であれば、こんなことを言うことはなかっただろう。今の涙はどこか棘が丸くなったような落ち着きがあった。現に私に向けている視線にも以前のような明確な敵意があるわけじゃない。
「・・・・・・・・わかった。くれぐれも、頼んだぞ」
それが司樹にもわかっているからだろう。少し渋っていたけれど沈黙の後に念を押して了承した。私自身、友好的でない見知らぬ鬼と残されるよりも顔見知りの涙と共にいる方がありがたかった。心配するような司樹の視線に頷いて返すと司樹は涙の部下たちの案内で車に乗り込むと事件があったという現場に向かっていった。
「・・・・・なぁ、お前はこの地をどう思う?」
司樹の乗る車を見送るとぽつりと涙が尋ねた。その視線は真っ直ぐに司樹が去った方角を見据えている。周囲に涙の部下もいなくなった今、私たちは2人きりだ。
「どう、とうは?」
「・・・・聞いたことがあるだろう?この西部は鬼を尊び、人間を虐げる土地。いくら当主の番とはいえ、お前にとって居心地のいい場所でもない。初めてこの地を訪れた人間にはどう映る?」
生まれ住み当主として治めている土地なのに、どこか沈んだ声で問いかけられる。
「・・・・悲しい、と思いました」
「悲しいだと?」
「はい。だって・・・・鬼を尊ぶことを理想としてそれを体現していながら、あなたを含めたこの土地で見かけた鬼は幸せには見えませんから」
「はっそんなことっ・・・・」
私の言葉を一蹴するように笑ったにも関わらず涙の言葉は続かなかった。わずかに俯いた彼の拳がぐっと握りしめられる。
「俺たちは・・・・俺はこれからの幸せを、理想を目指していく。そのための今がそうでなかったとしても、必ず幸福な未来にたどり着かせてみせる」
鬼の地位を確立させ、彼らの理想を体現している西部の土地。その中でも、彼が一番悲しそうに見えるのはなぜなのだろうか。
「だから・・・・・・悪いな」
「え?」
思いがけない謝罪の言葉に驚きながら顔を上げると謝っているわりには強い感情のこもった目が私を見下ろしていた。
「やはりお前にはあの方のために犠牲になってもらう」
何を、と問う前に身体にびりっと激しい電流が流れるような感覚が走る。激しいめまいのような感覚に立っていられずに倒れこむと、涙が私の身体を支えた。受け止められた衝撃で首にかけていたネックレスが揺れる感覚がやけにはっきりと感じられる。力なく倒れる私を見下ろす意志のこもった目。それが決意のこもったものだと理解したときにはすでに遅く、なすすべもないまま意識は闇に堕ちていった。
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