女子会
コンコンっと控えめに部屋の扉がノックされた。
浅い眠りから目覚めて目を開けると室内はまだ薄暗く日が昇り切っていないのだとわかる。夜と朝のつなぎめ独特の静けさに包まれている。普段と違う景色に一瞬戸惑うけれど、すぐに調査のために南部の屋敷を訪れていたことを思いだした。
「何だ」
足音で自らの番ではないことがわかっていたため短く声をかける。
「当主様、申し訳ございません。西家の当主様からのお手紙が届いております」
「涙から?・・入っていい」
入室許可をすると予想どおり護衛として随行していた従者が遠慮がちに寝室に入ってくると手紙を差し出す。もともと今日は西部に向かうつもりだ。向こうもそれを把握しているはずなのに送られてきた手紙に嫌な予感がする。西家の家紋の封を開けてさっと目を通すと頭の痛くなるような文面にはぁっとため息をついた。
「いかがされますか?」
「西部の調査に向かう。今すぐに」
苛立ちのまま手に持っていた手紙をくしゃりと握りつぶすと従者が恭しく頭を下げた。眠っているだろう番に声をかけられないまま出立してしまうことに後ろ髪を引かれながらも従者を下げて準備に取り掛かった。
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「このような状況ですけれど、あなたを我が領地にお招きできて嬉しいです。女性同士のお茶会を楽しみにしていたのです。こういうのを女子会、と呼ぶのでしょう?私、初めてです」
「女子会・・・私もご一緒できて嬉しいです」
真綿に呼ばれて訪れた敷地内の温室にはすでに女子会のためのお茶菓子がセッティングされていた。温室には色とりどりの花や木々が丁寧に剪定されて整えられている。給仕をしているのはもちろん真綿の番である伊織だ。女子会に夫も同伴しているのは斬新だけれど、番ならばそれが当然なのだろう。だからこそ、自分の鬼が側にいないことが余計に空しく思えた。
「元気がありませんね。・・・理由は考えなくてもわかりますけれど、司樹のことでしょう?」
「・・・はい」
今真綿の屋敷には私しか滞在していない。当の司樹はというと私が起きるよりも先に護衛を1人だけ連れて残る西部と北部の調査のために向かってしまったのだ。残された手紙には謝罪と調査を早々に終わらせて帰ってくるから待っていてほしいと記されていた。そのせいで落ち込んでしまった気分がなかなか戻らない。仕方のない状況ではあるけれど足手まといにしかならない自分が情けない。こうして残された私を気遣って真綿が気分転換に誘ってくれることにも情けなくなってくる。
「司樹があなたを南部以外の地に連れ出さなかったのには土地柄の問題がありますの」
「土地柄、ですか?」
「えぇ。朝陽さんは西部と北部という土地についてどれだけご存知でしょうか」
「恥ずかしながら知っているのは当主様の名前だけで・・ほとんど知りません」
私たち住民は生まれた土地から出て他の土地へ移り住むことを禁じられている。必然的に閉鎖的になっているため他の土地について学ぶことも、知りえる機会もほとんどない。今までただの人として生きてきてそれに対して何か思うことは無かったけれど、今は無知でいることがひどく恥ずかしい。
「・・・知りたいです、東家の当主の番として。教えてくれませんか?」
だからこそ、知りたいと思った。自分は守られるだけの番じゃない、東家の当主である司樹の隣にたって恥ずかしくない存在になりたい。司樹がいない間でも自分のできることをしたかった。
「もちろんです。私がお教えできることをお伝えしましょう」
私の願いに真綿は嫌な顔をせず、むしろ満足そうに頷いた。
「まず、私たち四家の立ち位置からお話した方がいいですね」
「立ち位置、ですか?」
「えぇ、あなたもあの方とお茶会をして聞いたのではありませんか?鬼と人間の種族間の溝を埋め対等な存在として共存することを目的としていることを」
「っ!・・はい」
鬼神とのお茶会のことを話題に出されてハッとした。鬼神の言っていた望みは鬼の中でも共通認識になっているらしい。
「それは私たち鬼の共通理念として掲げてはおりますけれど、鬼の社会も一枚岩ではありません。表立って賛同しているのは我が南部。琥珀の治める北部は中立を保っております。そして理念に反した思想、人間を下等な生物と卑下し、鬼こそ至上の存在だという思想を強く持つ土地が西部になります」
「西部・・・西家ですね」
西家といえば思い浮かぶのがその当主、比売内 涙。彼の言動を見ればその思想がどれほど土地に根付いているかは想像に容易い。
「・・・だから、司樹は私を置いて調査に向かったんですね」
「そのとおりです。西部の土地は番とは言え人間に対しての差別も根強いですから。ですが、それだけではありません。西部の次に人間を見下す思想に準じていたのは・・・東部だったんです」
「え・・・?東部、ですか?」
確かに東部にも昔は差別が横行していた。けれど私が目にしていたのは人間から鬼に対する差別だ。今はその光景を目にすることも少なくなった。それに、若い世代の認識もそうだ。学院に通っている鬼のなかにも人間に対して見下すような言動をするような生徒は1人もいない。
「意外でしょう?けれど、事実先代までの東部の当主はその思想を推し進めていたのです。・・・大きく変わったのは司樹の代になってから。司樹が東部全体の鬼の意識改革をすすめ、今は四家のなかでも理念に賛同した南部よりの立場となりました。そしてそれが同じ立場だった西部との軋轢を生んでいるのです」
「それは・・・」
(言わなくてもわかる。私のためだ)
東部が西家の当主のような思想を持つ鬼の社会であったなら、それを覆すことはどれほど大変なことだっただろう。それを、司樹はやってのけた。たった一人の番のために。そしてそれによって鬼の社会の均衡と力関係を大きく変えるものだった。果たして良いことだったんだろうか。自分の影響の大きさに改めて怖くなる。
「私・・・司樹の番でいいんでしょうか」
正直に言って怖かった。鬼は番を尊重する、けれど自分の言動1つで想像もしていないところにも影響を与えてしまう。これが、東家の当主の番という立場。軽く見ていたわけではないけれどその立場が周囲に与える影響は想像よりも遥かに大きく、重い。俯いて膝に置いた手をぐっと握りしめたとき、カチャっと食器を置く音がした。音を立てることなく茶を嗜む真綿に呼ばれたような気がして自然と顔を上げると穏やかに微笑む彼女と目が合った。
「私に言えることがあるとすれば・・・朝陽さん、司樹にはあなたが必要です」
「・・・・私は・・」
言われたかった言葉、けれどそれをそのまま受け止めるには身に余る気がして何と答えたらいいのかわからず黙り込んだ。
「・・・私が思うに、あなた方の間には圧倒的に言葉が足りませんね」
黙り込んだ私の様子を見て真綿は仕方がないというように小さく息をついて苦笑いをした。その姿はまるで世話を焼く姉のようだ。彼女たち鬼は若々しい見た目ではあるけれど、私たちよりも遥かに長く生きている。忘れて過ごしていても、時々こういうときにハッとさせられる。
「朝陽さん。あの子は・・・司樹はまだ精神的に子供なのです」
「子供・・ですか?」
「少し昔の話をしましょうか。私と司樹が出会った頃の話を」
真綿はテーブルに並んだ茶菓子の中から小麦色の焼き菓子を手に取った。
「私が初めて東家の屋敷を訪れたときのことです。次期当主としての立場があった私は思想の違いはあれど表向き歓迎されていましたが、その実疎まれていることは火を見るよりも明らかでした。あなたにとって辛い思い出かもしれませんが、当時は司樹の腹違いの兄が次期当主としてもてはやされていましたから、司樹にとっては日常的に辛い立場だったと思います。けれど、司樹は兄や周囲の者に何を言われても、嫌がらせを受けても無表情のままそれを黙って受け入れていました」
真綿はパキっと音を立てて菓子を割る。小気味いい音なのにそれは私の心に深く響いた。
「あなたに出会う前の彼は周囲にまるで関心がなかったのです。笑うことも、怒ることも、泣くこともなかった。彼が何かに心を動かされているところを見たことがありません。今ではとても想像できないでしょう?
彼の心は芽生えたばかりなのです。あなたの行動や言葉に一喜一憂して自分の感情を持て余している。それまで感情に振り回されることがなかったからこそ感情扱い方がわからなくなってしまっているのです。」
司樹が周囲に無関心だったことは以前にも聞いたことがあった。けれど、その時はさらりと流してしまったその言葉は思っていたよりも重い過去を背負っていた。
「やっと番を手に入れることができて嬉しい反面、自らの宝を傷つけまいと躍起になってしまっているのです。けれど、あれはよく我慢している方です。番を侮辱されても警告だけで済ませているのですから。」
「そうなんですか?」
侮辱された、というほどでもない気がするけれど涙のことだろう。突っかかられて険悪な雰囲気になっていたときはハラハラしたものだ。けれどそのたびに真綿が制して仲裁してくれていたことを思い出した。尋ねると真綿は飲んでいた紅茶を置くと少し怖さの滲む表情で綺麗に微笑んだ。
「えぇ。私ならその場で吊るして火あぶりにいたします。
そしてその傷を癒してからまた火あぶりにいたします。骨の髄まで理解していただけるように」
「ひぇ」
日常会話のような流れで話す真綿に思わず恐怖で変な声が漏れた。当主の能力を知ってしまった手前それが現実として実行できることが理解できてしまう。冷めてしまった紅茶を淹れなおしてくれている伊織をちらりと見るとこちらも当然のことのように頷きながらニコリと微笑む。
「番を侮辱されることは鬼にとって最大のタブー。たとえ番が許しても私たち鬼は許しません。当主の番ともなれば一族の総力を挙げて叩き潰します。・・・それほどまでにあなたたち番という存在は鬼にとって特別なのです。あなたたちの代わりはどこにもおりませんもの」
目の前の皿に焼かれたばかりのスコーンが乗せられた。ふわりと香る小麦と紅茶の香りに励まされているような気がする。
「だからこそ、司樹と言葉を重ねてください。言い争ってもいいのです。意見が食い違ったっていい。あなたの言葉と心で、彼の心と絆を育んでください」
微笑む真綿の後ろに控えている伊織も彼女の言葉に頷くように微笑んでいる。南部の当主とそれをすぐ傍で支える番、絵に描いたような完成された2人にもまた紆余曲折を経て今の形があるのかもしれない。
(司樹は今ごろ何をしているのかな)
帰ってきた司樹と何を話そうか、それを考えながら温かいスコーンに手を伸ばした。
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