番外編05 ミケの誕生日
ある日の午後、イグナシオがちびミケの爪を切ろうと悪戦苦闘しているところへソフィアがやって来て、いきなり爆弾を投下した。
「来週伯爵邸にミケが来るわよ」
「………なっ!?!?」
「………ンナアアアアン!」
思わず手に力が入り、びっくりしたちびミケは抗議の声を上げながらイグナシオの腕を蹴り飛ばして逃げ出す。
「は、母上……今、なんと?」
イグナシオは引っ掻かれてヒリヒリする手の甲を押さえながら、震える声で聞き返した。
「来週ここにミケが来るのよ。
ほら、あの子もうすぐ誕生日じゃない?
丁度その頃こっちに帰ってくるっていうから、ベルトラン家の皆さんもお招きして、うちで誕生会をやろうってことになったの」
ケロリとした顔で言ってのけるソフィアに、イグナシオはそそくさと立ち上がりながら早口で返答する。
「そうですか分かりましたそれでは私は今から無人島へでも行ってひと月ほど滝に打たれて参ります」
「何を馬鹿なことを言ってるの。貴方も一緒にミケの誕生日を祝ったらいいじゃない」
「ですが、私が居ては皆に気まずい思いをさせますし、何よりミケに姿を見せるわけには………」
グジグジするイグナシオにソフィアが鼻白んだ。
「離縁から随分経つのに、未だにそのネタを引きずり回して擦り倒してるのって貴方くらいよ。
そろそろ開き直って普通にお友達として振る舞ったらどうなの」
「でも………会って何を話したらいいのか…………」
「だらしないわねえ。手紙ではあんなに饒舌なくせに」
「!?」
聞き捨てならない言葉に、イグナシオはガバッとソフィアの方へ向き直る。
「はっ、はっははははははははは………」
「何を朗らかに笑っているのよ」
「………はははははは母上ッ!!!」
「なんだ、どもってたのね」
「ひっ、ひっひひひひひひひひ…………」
「だから何を不気味に笑っているのよ」
「………ひひひひひひひ人の私信を勝手にご覧になったのですかッ!?」
「またどもってたのね。見ないわよ、別れた妻に宛てた息子の手紙なんて。
でも、旅先のホテルでミケと朝食をとってると、時々ボーイが『ベルトラン様にお手紙でございます』ってやって来て、分厚い封筒をドサッと置いていくのよ。
あんまり分厚いから小説でも入っているのかと思ったら、貴方からの手紙だって言うじゃない。
毎回よくあれだけ書くことがあるわね」
「ううううう」
「いい加減観念しなさい。
ここは腹をくくって、レイエス家当主としてしっかりお客様をおもてなししてご覧なさいな。
そうすればミケやベルトランの人たちもきっと貴方のことを見直すわ。
どうしても顔を合わせる勇気が出ないって言うなら、当日は執務室にでも立て籠もっていればいいじゃない。
なんなら外からドアを釘で打ち付けておいてあげましょうか?」
「助かります………」
「今のは親切で言ったんじゃないわよ!ホントに情けないったら。
ようやく当主らしくなってきたっていうのに、ミケのことになると途端にこうなっちゃうんだから………」
ソフィアは呆れた顔で嘆息したが、それどころじゃないイグナシオは「どうしようどうしたら」とブツブツ呟きながら、バターになる勢いでその場で高速回転し続けていた。
※※※※※※※
それからの一週間、伯爵邸はミケの誕生会の準備で、気忙しくも華やいだ空気に包まれた。
ソフィアとベルナルドが額を集めてあれでもないこれでもないと当日のメニューを相談したり、メイドたちがせっせと屋敷に飾り付ける紙の花を量産したり、セバスチャンとアマリアがプレゼントが被らないように牽制しあったりする中、イグナシオはあちらこちらをウロウロしては皆の邪魔になっていた。
「もうっ、旦那様は庭でイチイの世話でもしてきてください!
成長っぷりをミケにお見せするんでしょう?」
業を煮やしたパウラに背を押されて、イグナシオはしおしおと部屋を出る。
追い出された形にはなったが、確かに大きくなったイチイの若木を最高の状態でミケに見せたい。
イグナシオは気を取り直してイチイのもとに向かった。
ちょっと前まで雨が続いていたが、ここ数日はいい天気だ。
ミケが来る日も晴れたらいいのだが……と独り言ちながら繁みを抜けると、枝を四方に伸ばしたイチイの若木の木陰に、存在感のある3色斑のお尻が見えた。
「ちびミケ。お前、こんなところにいたのか」
「……ゥルニャン」
午睡を邪魔されたちびミケは、大儀そうにイグナシオに返事をすると、とんでもなく大きな欠伸をしながら起き上がる。
そのままグググググーッと前へ後ろへ伸びたい放題に伸びをしているちびミケにイグナシオは話しかけた。
「お前は悩み事がなさそうで羨ましいよ。どうしたらそんなふうにどっしり構えていられるんだ?」
ちびミケはチラリとイグナシオを見上げると、今度は後足で立ち上がってイチイの若木の幹に前足をかけ、更に身を伸ばす。
「お、おい、まさか…………」
慌てるイグナシオに構うことなく、ちびミケはこれで仕上げとばかりに、幹にかけた前足をバリバリバリバリーッと引き下ろした。
イグナシオが丹精込めて育てた若木の幹に見事な縦縞模様が刻まれ、イグナシオの手の甲とお揃いになる。
「ちっ、ぢびミゲえええええええええ〜〜〜〜」
庭園にイグナシオの絶叫が響き渡った。
※※※※※※※
(主にイグナシオにとって)嵐のような一週間が過ぎ、ついにミケの誕生会の日がやってきた。
あまりの狼狽えっぷりに天も憐れみをたれ給うたのか、イグナシオの願い叶って朝から抜けるような青空が広がっている。
「本日はお招きありがとう存じます。
うちのミカエラのためにこんな盛大な会を催していただいて、お礼の申し上げようもございません」
華やかに飾り付けられた伯爵邸の玄関ホールで、来客を出迎えるレイエス親子及び使用人一同に、ベルトラン一行を代表してホルヘが感謝の言葉を述べた。
「ようこそいらっしゃいました。皆様を当家にお迎えできて嬉しいわ」
ソフィアが一行を歓迎する横では、ほぼ人事不省のイグナシオが突っ立っている。
その腕にはお守りのようにちびミケが抱かれていた。
「………でも、肝心の主役の姿が無いようだけど………?」
ソフィアが訝しげに続けると、ホルヘは申し訳なさそうに眉を下げる。
「すみません。予定通りならミカエラは昨日の夜には商会に着くはずだったんですが、帰りの船の出港が遅れましてな。
港から直接こちらに伺うと今朝方報せがありましたから、もうおっつけ到着すると思います」
「まあそうでしたの。相変わらずあの子も大変ね」
頷くソフィアの前に、ホルヘはマルティナの後ろに隠れていた三弟妹を押し出した。
「さあ、お前たち、レイエス家の皆様にご挨拶するんだ」
「本日はお招きありがとうごさいます!」
「お招きありがとごさいます!」
「おねまきありがと!」
「まあ可愛い」
ニコニコするソフィアにしかつめらしくお辞儀をした弟妹たちは、次に揃ってイグナシオの方を向く。
「「「イグナシお兄ちゃんこんにちは!」」」
「あ、ああ、こんにちは。よく来たね」
「あっ、猫ちゃんだ!可愛い〜」
「ホントだ!撫でた〜い」
「抱っこする〜」
「………フィギャアアアア!」
押し寄せてきた子どもたちにパニックを起こしたちびミケは、イグナシオの腕を蹴って床に飛び降りた。
「わー喜んでるー!」
「あ、いや、それは嫌がっているんだ………すまないが、そっとしておいてやってもらえるか?」
「はーい!」
元気よく手を挙げる三弟妹の方をチラリと振り返り、ちびミケは開いている扉から庭の方へと退散していく。
それと入れ替わるように、セバスチャンがすすすすす、と近づいてきた。
「おぼっちゃま方。もしよろしければ、お姉様が到着されるまで私共使用人と遊びませんか?」
三弟妹はバッと顔を輝かせる。
「遊びたい!」
「遊ぶー!」
「遊んでー!」
「よろしいですとも。何をして遊びましょうか?」
「「「かくれんぼー!!!」」」
声を揃える子どもたちに、全員かくれんぼを選ぶとは流石ミケの弟妹……とイグナシオは妙な感心の仕方をした。
セバスチャンは得たりとばかりにニッコリする。
「承知いたしました。それでは、私共使用人から鬼をお選びください。
難易度別に、わたくしセバスチャンが鬼を務める「ノーマルモード」、メイド長アマリアが鬼を務める「ハードモード」、メイドのパウラが鬼を務める「エクストリームモード」からお選びいただけます。
あとは、難易度はそれほどでもないですが鬼の見た目がひたすら怖い、料理長ベルナルドが鬼を務める「ナイトメアモード」もごさいますよ?」
「うわあ、面白そう!」
「すごーい!」
「誰にしようかな!」
「さあさあこちらへどうぞ」
使用人たちが三弟妹を賑やかに奥に連れて行くと、マルティナが申し訳なさそうにソフィアに話しかけた。
「子どもたちがお世話をおかけしてすみません。
使用人の皆様もお忙しいでしょうに……」
「ふふふ、みんな張り切っていますからご心配なく。
この屋敷に子どもたちの声が響くなんて、本当に何年ぶりかしら。
屋敷の中がパッと明るくなったみたい。
………やっぱり子どもっていいわね。
マルティナさん、お子さんたちを連れてきてくれてありがとう」
嬉しそうに、それでいて少し切なそうに、遠くから聞こえる子どもたちの声に耳を傾けるソフィアの姿に、隣のイグナシオは気まずげにモゾモゾする。
そこへ、外からパタパタとこちらに走ってくる足音が聞こえてきたかと思うと、
「遅れてすみません!」
と、戸口に明るい声が響いた。




