番外編 最終話 旦那様はお隠れあそばされました
イグナシオがハッと戸口に目をやると、離縁以来初めてのレイエス家訪問となるミカエラが、旅装束に身を包んだまま、少し息を切らせて立っていた。
記憶より幾分大人っぽくなったミカエラの姿に硬直するイグナシオを余所に、ソフィアが数歩前に出て、迎え入れるように腕を広げる。
「ミケ、よく来たわね!お誕生日おめでとう!」
「ソフィア様!ありがとうごさいます」
ミカエラはパッと顔を輝かせて真っ直ぐソフィアに駆け寄り、二人は笑顔で抱擁を交わした。
と、その横でヒュッと小さなつむじ風が巻き起こる。
「「!?」」
何事かと隣を見れば、つい今しがたまでそこにいたはずのイグナシオの姿がない。
先ほどのつむじ風は、イグナシオがいた空間に急速に空気が流れ込んだために発生したものだった。
「……………逃げましたな」
あまりの早業に呆気にとられる二人を前に、ホルヘがのんびり所感を述べる。
「あンのイクジナシオ!!」
ソフィアが吠えた。
「この期に及んで敵前逃亡とは我が息子ながら不甲斐ない!
……もう知らないわ。あの子のことは放っておいて、私たちだけで誕生会を始めてしまいましょう。
さあ、皆様こちらへどうぞ。相変わらずのボロ屋敷だけど、今日のために使用人たちと頑張って準備したのよ」
ソフィアは気を取り直してミカエラの腕をとる。
ベルトラン一行はイグナシオのことを気にしつつも、ソフィアの先導で揃って誕生会会場へと向かった。
※※※※※※※
一方、緊張に耐えきれず反射的に屋敷を飛び出してしまったイグナシオは、打って変わって重い足取りで、頭を垂れ背を丸め先ほどのロケットダッシュで痛めた脇腹を押さえながら、ショボショボと庭園に向かっていた。
「ハァ………情けない。
昨日あれだけセバスチャンをミケに見立てて祝いの言葉を練習したのに。
………やはりセバスチャンが相手では、イメージトレーニングにも限界というか無理があったな……
実際に彼女の姿を目にしてしまうとどうにも………
………だいたい、こちらの有責で別れた男が、元妻に『やあ久しぶり。誕生日おめでとう』なんて、どの面下げて言えばいいんだ。
どう頑張ったって気持ち悪い感じになるに決まってるじゃないか………」
自己嫌悪にまみれながらイグナシオは当て所なく彷徨う。
それでも足の方は無意識に習慣に従っていたようで、ブツブツ呟きながら庭をグルグル歩き続けているうちに、気づけばいつも通りイチイの若木が植わっている一角に辿り着いていた。
イグナシオはそんな自分に大きくため息をつき、若木に近寄って力なく話しかける。
「………済まないな、結局私一人で来てしまったよ。
お前に『明日はミケを連れてくるからな』なんて安請け合いをしておいて、このザマだ」
「ナーゥ」
思いがけず後ろから声が聞こえてきて、イグナシオはギクッと振り返った。
声は、かつてミケが隠れていた、イチイの木立が生い茂る場所から聞こえたようだ。
木立に近づいてよくよく見れば、その中の一本のイチイの枝から、3色斑の尻尾がぶら下がっている。
見上げると、枝の上から首を傾げてこちらを見下ろすちびミケと目が合った。
「………なんだ、ちびミケもここに避難していたのか。だが身体隠して尻尾隠さずでは、まだまだミケの隠れスキルには及ばないな」
イグナシオが垂れている尻尾をチョイチョイと触ると、ちびミケは面倒くさそうに尻尾を持ち上げ、身体に巻きつける。
「たとえお前一匹でも、ここに私一人じゃないのは心強いよ。
逃げ出した者同士、ここで一緒にミケの誕生日を陰ながら祝おうじゃないか」
逃げ出してはみたものの何だかんだ人恋しかったイグナシオは、ちびミケの軽蔑の目もお構いなしでこれ幸いと猫相手にウザ絡みをする。
そこへ、ガサガサと繁みが鳴って誰かがこちらに近づいて来る気配がした。
途端にイグナシオは慌てふためき、どうにか身を隠そうとちびミケのいるイチイの枝に飛びつく。
「ちっ、ちびミケッ、その場所を譲れ!後で上等のささみをやるから!」
「ウナアアアアン!」
「………………イグナシオ様?」
ちびミケと枝の居住権を争ってドタバタしている後ろから聞き覚えのある声がして、イグナシオの心臓がドキンと跳ね上がった。
両手と片足をイチイの枝に引っ掛け、顔をちびミケに踏まれたまま恐る恐る振り返ると、そこにはミカエラが少し当惑した様子で立っている。
イグナシオは元妻と二人っきり(プラスちびミケ)の状況にドギマギしながらも、最後の抵抗を試みた。
「い、いやっ、私はここのところの長雨の加減で庭木に湧いたイチイの精ッ…………!」
「はあ」
「…………………」
「…………………」
「…………………ではない」
「デスヨネー」
観念したイグナシオはイチイの枝から手を離し、しょもしょもとミカエラの前に畏まる。
「お久しぶりです、イグナシオ様。かなりお元気そうで安心しました」
「あ、ああ、君も……………その、誕生日、おめでとう…………」
「ありがとうごさいます。
あ、先ほどソフィア様経由でイグナシオ様からのプレゼントをいただきました!
ちょっと変わった猫の像、ありがとうごさいます」
「うん………東方の、商売繁盛の守り神だそうだ………左手を上げているのは千客万来の効果があるとか………
妙な贈り物ですまない。何を贈るか散々考えたのだが、私がドレスや宝石を贈ったら気色悪いだろうし、文房具では手紙を催促しているようだし………悩みに悩んだ挙句、一周回って迷子になった」
「いえ!嬉しいですよ。帰ったら早速商会の私の机の上に飾ります。きっとみんな二度見しますよ!」
「そ、そうか……喜んでもらえたなら良かった……」
ミカエラはあたりを見回した。
「ここ、昔イグナシオ様がコケちゃった場所ですよね。
………あっ、じゃあもしかして、私がいた頃にはなかったこの木が、私が贈ったあの苗木ですか?」
「あ、ああ」
「すごい!こんなに大きくなったんですね!
いつもお手紙でうかがっていたけど、実際に目にすると改めて育ちっぷりに驚くなぁ」
「う、うん」
「おお〜葉っぱもツンツンツヤツヤだ……大切にお世話してくださっているんですね」
「ま、まあ」
「………イグナシオ様って、お会いしてお話しすると寡黙なんですね。お手紙だとあんなに饒舌なのに」
「あう」
二つ折りになった主人に呆れたのか、木の上でちびミケが「フゥーン」と鼻を鳴らす。
「あれ、この子は………」
「あ、ああ、ちびミケだ。すっかり育って今では全然『ちび』ではないが」
「お手紙によく出てくる子ですね!なるほど、この子がちびミケちゃんかぁ」
ミカエラはイチイに駆け寄ると、樹上のちびミケに緩く握った手をそっと差し伸べた。
「はじめまして。『元祖』だよ〜」
ちびミケはミカエラの手の匂いを嗅ぐと、しばし考え込んでいるふうだったが、やがておもむろに立ち上がり、すり……とその手に身を寄せる。
「………珍しいな、ちびミケが初対面の人間にこんなに早く気を許すなんて」
「えへへ、元祖ミケの貫禄ってやつですかね?」
驚くイグナシオに、ミカエラがちょっと得意げに笑った。
イグナシオはその笑顔にギュッと心臓を掴まれる。
ちびミケはミカエラの手のチェックを終えると、ストンと地面に降り立った。
そしてそのまま屋敷の方に向かってつとつと歩き、振り返って二人に「ゥルニャン」と声をかける。
「これ………私たちに、『ついて来い』って言ってますよね?」
「ああ……そのようだ」
「イグナシオ様、屋敷に戻りませんか?
誕生会、ソフィア様がいいって言うから始めてみたんですけど、やっぱりイグナシオ様がいないと、みんな何だか落ち着かないみたいで………
それで、『私が迎えに行ってきます』って言って出てきたんです」
「それは………すまない。世話をかけてしまった」
「じゃあ行きましょう。みんなイグナシオ様を待ってますよ」
「ああ」
イグナシオは、ミカエラとちびミケについて歩き出したが、すぐ立ち止まった。
それに気づいたミカエラが振り返る。
「イグナシオ様?」
「…………君も…………」
「?」
我ながら面倒くさい奴だとは思ったが、どうしてもそれだけは確かめたくて、イグナシオは口籠りながら言葉を続けた。
「君も、私が君の誕生会に参加しても構わないと、そう思ってくれるのだろうか」
「……!
私、イグナシオ様に居て欲しいですよ?
お手紙じゃ書ききれなかった、聞きたいことやお話ししたいことがたくさんありますから!」
「!!!………そ、そうか………ありがとう………」
「行きましょう、イグナシオ様」
ミカエラがイグナシオに手を差し伸べる。
イグナシオはギョッとして、その手とミカエラの顔を見比べた。
「あ、ああ」
どうか手汗が滲んでいませんように……他はもうこの際全身一生汗まみれでいいので、どうかどうか今この瞬間の手汗だけは……と全力で神に祈りながら、イグナシオも手を伸ばす。
指輪も何も嵌っていない、旅慣れして少し荒れたミカエラの小さな手に、指先がインクで汚れ、手の甲に盛大な引っかき傷があるイグナシオの震える手が、そっと重なった。
―――了―――




