番外編03 イグナシオとベルトラン
「………ハイ、お待たせしました。大丈夫、問題はございませんでしたよ」
ホルヘから書類を受け取って、イグナシオはホッと息をついた。
ここはベルトラン商会、会頭ホルヘの執務室である。
イグナシオはミケの持参金を返済し終えてからも、彼に時々領地運営や経理に関する相談に乗ってもらっていた。
今日も商会の終業後、領地で新しく始める事業の計画書チェックをお願いしていたのだった。
「………いつも貴殿のご厚意に甘えてしまって申し訳ない。
もうなんの義理もないはずの私にこんなに良くしてもらって、本当にベルトラン家には感謝している。
お陰で、私のような未熟者でもどうにか領民たちに当主と認めてもらえたようだ」
「そう言えば、イグナシオ様は先週までレイエス領の視察でしたな。それはようございました。
そんなにご心配なさらなくても、イグナシオ様は立派な当主にお成りですよ。
代替わりからこっち、本当に努力されましたからな。
一商人としてイグナシオ様のご成長を間近で見守るのは、私にとっても非常に意義深い経験でした。
無論、ベルトランとしては高位貴族の方々との繋がりは、どんな場合でもありがたいものですが」
いたずらっぽくクルリと目玉を回してみせるホルヘに、イグナシオはついつい目の奥が熱くなる。
いつも陽気に励まし導いてくれるホルヘの存在は、父親との縁が薄かったイグナシオにとって、いつの間にかかけがえのないものになっていた。
まだそんな歳でもないのに、独りになってからというものどうも涙もろくなっていけない、とイグナシオは苦笑する。
「お父さーん、お仕事終わったー?」
「あっ、イグナシおじちゃんだ!こんにちはー!」
「おじちゃん、遊ぼー!」
そこへ、執務室のドアがスッパーンと開き、ホルヘの子どもたちがなだれ込んできた。
上からフリオ、アンジー、リコ。長女のミケとはかなり年が離れているが、顔立ちも元気の良さもミケにそっくりの、幼い三人弟妹である。
イグナシオはホルヘの元に通ううちに、いつも商会をチョロチョロ出入りしているこの弟妹たちとも顔なじみになっていた。
「コラコラ、営業時間が終わったからといってノックもしないで執務室に入って来たらダメじゃないか。
それに、イグナシオ様に失礼だろう。『伯爵様』とお呼びするんだ。
………というかお貴族様にぶら下がるんじゃない!!」
ワッとイグナシオに群がり、その腕や背中に飛びつく子どもたちに、ホルヘの説教は途中から悲鳴混じりになる。
「……ハクシャクサマ?」
「イグナシおじちゃん伯爵様?」
「イグナシオ伯爵おじちゃん様?」
首を傾げる子どもたちをひとまとめにしてイグナシオから引き剥がし、ホルヘは申し訳なさそうに頭を下げた。
「大変ご無礼いたしました………この子たちには常日頃からお客様、特に貴族の方々には失礼のないようにと言い含めているのですが、どういうわけかイグナシオ様にだけは何度叱ってもこの有様でして………」
「いやいや」
イグナシオは弱々しく微笑んだ。
イグナシオにとって、ミケの弟妹に会うのはこの商会に来る愉しみのひとつでもあるし、毎回その姿や無邪気さから元気を貰ってもいるのだが、同時にこちらの元気も根こそぎ持っていかれるような気がするのは何故だろうか。
「私なら構わないから、そんなにフリオたちを叱らないでやってくれ、ホルヘ殿。
『伯爵様』も不要だ。
ただ、そうだな………できれば『おじちゃん』じゃなくて『お兄ちゃん』と呼んでほしいかな」
「「「イグナシお兄ちゃん!」」」
三弟妹が声を揃えたところで、ドアに控えめなノックの音がして、ホルヘの妻マルティナが顔を覗かせた。
「ああ、やっぱりここにいたのね。駄目じゃない、お客様の邪魔をしちゃ。
申し訳ありませんイグナシオ様、この子たちがご迷惑をおかけして………
あなたたち、執務室に入る時ちゃんとノックしたでしょうね?」
「あー!」
「忘れた!」
「ノックー!」
慌てて扉に駆け寄り、執務室のドアを内側からトントコ叩いている子どもたちを尻目に、マルティナはイグナシオに笑顔を向ける。
「お仕事の話がお済みでしたら、夕食をご一緒にいかがですか?
いつもながら大したものはございませんが、子どもたちも是非またイグナシオ様をお誘いしたいと言うものですから」
「いや、仕事を手伝ってもらった上に夕食までご馳走になるなど、そんな厚かましいことは………」
イグナシオは、これまでにもホルヘに誘われて、幾度かベルトランの一家団欒の食卓に混ぜてもらったことがあった。
今日ももしかしたら………と正直ちょっと期待していたのだが、体面上その気持ちを押し隠して一応遠慮するポーズをとる。
「まあまあ、いいではないですか。
お嫌でなければ是非寄って行ってくださいな。
そりゃあ、伯爵家の専属料理人のかたの腕前にはとても及びませんが、たまには庶民の味もいいものですよ?」
鷹揚に笑うホルヘとマルティナに促され、弟妹たちに手を引かれ背を押されて、イグナシオは結局いそいそとベルトラン家の食堂に向かった。
※※※※※※※
食堂のテーブルにはマルティナの手料理が所狭しと並べられ、スープボウルからは湯気が立ち昇っていた。
センターピースには紙張子の赤い牛の像が置かれ、ユラユラと首を振っている。
ホルヘによると異国の縁起物だそうで、例によってミケのお土産らしい。
ホルヘはイグナシオのグラスに、これまたミケが買い付けた新作だという外国産の果実酒をなみなみと注いだ。
「さあ、遠慮なくやってください。
いい加減料理人を雇ってマルティナに楽をさせてやるべきなのはわかっているんですが、女房の手料理というのはどうにも離れがたいものがありましてな。
ワガママを言って未だに台所に立ってもらっとりますわ」
肉料理を取り分けながらマルティナも笑う。
「私だって、何年もかけて自分にとってカンペキな動線に仕上げた自慢の台所を他の人にいじられるのはイヤですからね。
洒落たものは作れませんけど、うちの人がこの味がいいって言う以上、まだまだ台所を譲る気はありませんよ」
果実酒を味わい、スープに口を付けたイグナシオは、「ああ、温かいな………」と小さく呟いた。
そんな彼の様子を、隣のフリオが覗き込むように見ている。
「イグナシお兄ちゃん、お母さんのお料理おいしい?」
「ああ、おいしいよ」
イグナシオはフリオに笑い返した。
「お兄ちゃんのおうちのコックさんより?」
「どうだろうな………ベルナルドは料理がとても上手だが、広い食堂で一人で食べていると、時々少し……寂しくなるかな……」
イグナシオの言葉にホルヘ夫妻が何とも言えない顔になる。
そうなんだ………と考え込むフリオの向こうから、アンジーがひょこっと顔を覗かせた。
「イグナシお兄ちゃんは、いつもひとりぼっちでご飯を食べてるの?」
「母上がいるときは二人だし、給仕も付いているから、部屋に一人きりというわけではないのだけどね」
イグナシオは安心させるように微笑んで見せるが、アンジーは気遣わしげだ。
「でも、ご飯ってみんなで食べるから美味しくなるんだってお父さんもお母さんも言ってたよ?
お兄ちゃんかわいそう………
アンジーが大きくなったら、お嫁さんになってあげようか?」
「んぐ」
アンジーの提案にイグナシオはむせ、真っ青になったホルヘが椅子を鳴らして立ち上がった。
「アアアアンジー!!お前、『大きくなったらお父さんと結婚する』と言ってたじゃないかー!!!」
「そうだけど、お父さんにはお母さんもフリオもリコもいるでしょ?
だったらアンジーがお兄ちゃんとご飯食べたら、お兄ちゃん寂しくないかな〜って」
首を傾げるアンジーに、ホルヘがギュンッとイグナシオの方を向く。
「イグナシオ様!貴方という人は!
ミカエラだけでは足りず、アンジーまでも私から奪おうというのですか!
貴方はケダモノですか!これが高位貴族のやり方ですかああああ〜!!!」
「ホ、ホルヘ殿、落ち着いて………」
イグナシオは助けを求めるようにマルティナの方を見たが、彼女は夫の乱心には我関せずで、呑気にリコの口の周りを拭いてやったりしている。
半泣きでイグナシオを責める父親を横目に、フリオがアンジーに小声で苦言を呈した。
「ダメだよアンジー、お父さんの前でそんなこと言ったら……この話になると、お父さんめちゃくちゃ面倒くさくなるって知ってるだろ?」
「だって………イグナシお兄ちゃんがかわいそうだったんだもん………」
「それは僕もそう思うけど…………もう、しょうがないなあ」
フリオはアフリカ象並みに盛大に、バッフォーンとため息をついた。
「わかったよ。僕がなんとかするよ。
………イグナシお兄ちゃん、僕が大きくなるまでに、ど〜うしても一緒にご飯を食べる人が見つからなかったら、僕のお嫁さんになったらいいよ」
「フッ、フリオ!?」
「それがいいそうしなさい」
「ホッ、ホルヘ殿!?」
家族のためイグナシオのために侠気を見せるフリオに、なんとしても娘を嫁にやりたくないホルヘがすごい勢いで同意する。
かくして、暫定ではあるが独り身イグナシオの将来について、最終受け入れ先が確保されてしまったのであった。




