番外編02 ミケとソフィア②
夜、商談パーティーの会場でミケは困っていた。
うっかり商談を持ちかけた相手に絡まれてしまったのだ。
相手は地元の織物業を牛耳る、やり手と評判の子爵だったが、この国の商人たちの間では「アクのつよい人物だから気をつけろ。特に女子」とも言われていた。
なるほどこういうことか、迂闊だった………とミケは最前子爵に無遠慮に握られた手を、何気なさを装って引っこ抜きながら納得した。
「うちの織物の買付の優先権が欲しいんだろう?
だったら別室で二人きり、ゆっくり話をしようじゃないか。
カマトトぶることはない。お前も貴族相手の商人なら、私の言わんとすることくらいわかっているだろう」
ニヤニヤと迫ってくる子爵にミケは苦笑いを返す。
「あの〜、申し訳ありません子爵様。私共の商会ではその手のサービスはご提供していないものですから………」
子爵の眉がピクリと動いた。
「………お高く止まってるんじゃないぞ、余所者商人の小娘風情が。
私に逆らってこの国で商売ができると思っているのか?平民どもは平伏してこちらの言う事に従っていればいいんだ」
乱暴に腕を引っ張られて、ミケが思わず「あ痛」と顔を顰める。
そこへ、遠くからドドドドドドと何かが近づいて来る音がした。
サイの群れでも突っ込んできたのか……?と子爵がそちらに目をやると、あにはからんや近づいて来るのは細身の中年婦人ただ一人である。
しかしその勢いたるや凄まじく、子爵の目には婦人がそこにあるはずのない砂塵を巻き上げているようにすら見えた。
その婦人―――ソフィアは、一切スピードを緩めることなくミケと子爵に向かって突進してくる。
そして、その勢いが全部乗った彼女の爪先が、そのまま手加減ゼロで子爵の脛にクリーンヒットした。
「〜!!〜〜!!!」
子爵は声にならない声をあげて蹲る。
その頭上では中年婦人が、私の大事なミカエラに手を出すものは天に代わって成敗いたす、的なことを大声で宣っているが、脛が痛くてそれどころではない。
「な、な、何者だ……こ、この私に向かって無礼な………」
どうにかこうにか立ち上がってみると、明らかに高位貴族と見受けられる品の良い中年婦人が、鬼の形相で扇子を大剣のように両手で持ち、上段に振りかぶっていた。
「わが名はレイエス伯爵家が未亡人、ソフィア・レイエス!
このような場で平民の弱い立場につけ込んで、公然と破廉恥な関係を迫るなどと、無礼はどっちですか!
それがこの国の商売のやり方ですか。恥を知りなさい!」
ソフィアの剣幕に助平子爵はタジタジとなる。
相手は伯爵家とは言え他国の名門である。
おまけに今夜の主催者であるこの屋敷の主人は、彼女の著作の大ファンだとさっき聞かされたばかりだ。
周囲には騒ぎを聞きつけた貴族や商人たちが人垣を作りはじめている。
この場でソフィア・レイエスとやり合うのはどう考えても分が悪かった。
「し、失礼した………つい酒を過ごしてしまったようだ。今日は体調が良くないのでもう失礼しよう………正式な謝罪は………また改めて………」
青い顔の子爵が足を引きずりながら逃げるようにその場を立ち去ると、周りからワッと歓声があがった。
※※※※※※※
商談パーティーの会場で、ミケはまだ困っていた。
我に返ったソフィアが、「感情に任せて、ミケの大事な商売の邪魔をしてしまった」とひどく落ち込んでしまったのだ。
ミケは、自己嫌悪のあまり「庭に出て虫でも食べてくるわ……」と呟いているソフィアを半ば引きずるようにして、会場隅の応接セットに座らせた。
そして、自分もその隣に座って、ソフィアの手をギュッと握る。
「ソフィア様、そんなに落ち込んでしまわれたら、お礼も言えません。顔を上げてください」
「お礼………?」
しおしおと顔を上げるソフィアの目を、ミケはしっかりと見据える。
「そうですよ。危ないところを助けてくださってありがとうごさいます!
あの子爵様、本当にしつこくて困っていたんです。
ソフィア様が来てくれなかったらどうなっていたか」
「…………本当…………?」
「本当です!ですからそんなに気にしないでください。
それに、若い女が貴族相手に商売していれば、あれくらいはよくあることですから………」
「よくないわ」
「へっ!?」
ソフィアに手をギュッと握り返されてミケは戸惑う。
「ソフィア様……?」
「よくないわ。
私は商売のことは全然分からないけど………貴女に、あんなことに慣れて欲しくないわ。
あれが、貴女の仕事にとって当たり前になって欲しくない。
………ごめんなさい、貴女の都合も考えないで勝手なことを言ってるわよね。
でも………そう思っている人間がいることも覚えておいて欲しいの………」
ソフィアの言葉にミケはハッとなった。
そんなふうに考えてみたことなどなかったのだ。
貴族相手の取引では、子爵のような人物が存在することは当たり前で、むしろそういう相手を怒らせずにうまくかわせるのが良い商人の条件だと思っていたから。
しかし………
考え込んでしまったミケを見て、ソフィアが心配そうに声をかける。
「ミケ………?私、余計なこと言っちゃったかしら………」
「………そんなことないです。
ソフィア様の仰る通り、私………知らず知らずのうちに子爵様のようなやり方を『そういうもの』として許してしまっていたんだな、と思って。
商売していれば、ああいう人に会うのは仕方ない、こちらが誘いに応じなければいいだけの話だと思ってしまっていました………」
「ミケ………」
「そして私たち商人側も、取引を成立させることを優先するあまり、子爵様みたいな人を増長させてしまったんだと思います。
ひどい商人の中には、最初からそれ目当てにきれいどころの女性従業員をあてがう者までいるんですよ。
でも、それじゃあ私たちも子爵様のやり方の片棒を担いでるようなものですよね。
自分が我慢すればいいって思ってたけど、それって私の後に続く女性の商人全員に我慢を強いているのと同じだったんだなあって、ソフィア様に言われて気がつきました。
そうですよね、これに慣れちゃダメですよね。心配してくれている人がいるんですもんね………
ありがとうごさいます、ソフィア様」
「ミケ………」
ミケはソフィアの手を握ったまま、ニッコリと笑った。
※※※※※※※
そこへ、踊るような足取りで近づいてくる者があった。
洒落た身なりの、美しい顔立ちをした優男である。
男は流れるようにソフィアの傍にひざをついた。
「もし、お美しい方。
突然このように話しかける無礼をお許しください。
先ほどの貴女様の気高く凛々しい御姿に感銘を受けました。
私は諸国を旅し、絵を描き詩を作って生計を立てている者です。
貴女様のその美しさ、気高さを是非私に絵と詩で表現させていただきたい」
「は?はあ………」
当惑するソフィアに、優男は立ち上がって益々身を寄せてくる。
「貴女様の御姿を後世に残し、その美しさを永遠のものにして差し上げたいのです。
いかがでしょう、貴女様のお宅にしばらく滞在させていただいて、じっくりモデルになっていただくというのは……………………………えぐぅ!?」
いつの間にか傍に回り込んできていたミケの拳が優男のみぞおちにめり込んだ。
痛みに身を折る優男の耳元で、ミケが囁く。
「カモを探しているなら他を当たって。
貴族の御婦人は騙せても、海千山千の商人の目は誤魔化せないよ。
どうせ招待状も持ってないんでしょ?警備につまみ出される前に消えたほうが身のためだよ」
「……………クソッ」
あたふたと逃げて行く優男の後ろ姿を、ソフィアは呆気にとられて見送った。
「……………何だったの?今の」
「自称芸術家のプロの寄生虫ですよ。
見た目を武器に貴族の奥様方に取り入って、お金を搾り取るんです。
お屋敷に入れたが最後、三食昼寝付きで散々貢がせて、しまいには金目のものを持ってトンズラしちゃうタイプの連中ですよ。
こういう平民にも開かれたパーティーでは、時々ああいうのが紛れ込んでくるんです」
「へえーそうだったのね………………ねえ、ミケ」
「何ですか?」
「私たちって………二人一緒だと、もしかして最強?」
「……!
そうですね!もしかしたら、私たち最強かも知れませんね!」
ミケとソフィアは大笑いして、何事かと貴族や商人たちが振り返る中、友情のハグを交わした。
※※※※※※※
後日、レイエス伯爵邸の門柱の上に、ソフィアの南国土産の、太眉が印象的な獅子とも犬ともつかない一対の不思議な動物の像がお目見えし、道行く人の二度見を誘ったのだった。




