第4話 夜の陣営と、死と隣り合わせの偽造工作
帝国軍の敗残兵たちが集められたのは、前線に位置する薄暗い臨時キャンプだった。
あちこちから、負傷者のうめき声や、敗戦の焦燥に満ちた怒声が漏れ聞こえてくる。
空気は重く、血と膿の匂いで澱んでいた。
俺は誰の目にもつかないテントの死角に身を縮こまらせ、震える手で『偽造文書』を作っていた。
さっきの戦場で、倒れている死体からくすねた王国軍の『血染めの外套の切れ端』。
それに、泥と木の実の汁を混ぜたものを指につけ、必死に文字を書き殴る。
書かれているのは、王国軍の将軍が部下に宛てたテイの偽造命令書。
『――本日深夜、帝国軍の夜襲を予測。渓谷の第3ポイントにて完全包囲網を敷き、一網打尽にすべし』
文字の筆跡や体裁なんて素人の工作だ。
まともに見れば怪しまれることは確実だ。
だが、オズワルドのように「部下の命を背負って常に神経を尖らせている慎重な指揮官」の心理を突くなら、不格好な偽物であっても「もしこれが本物だったら?」という恐怖と疑念を植え付けるには十分すぎる。
「……よし」
周囲の兵士たちが疲労で眠りこけている隙を狙い、俺は音を立てないようにそっと立ち上がった。
目指すは、キャンプの中央に陣取る、大隊長の執務テント。
夜の闇に紛れ、足音を完全に消して歩く。
ゲームの知識によって「どの種類の衛兵がどのタイミングで巡回をサボるか」は頭に入っている。
だが、それはあくまでゲーム上のデータだ。
現実の兵士が気まぐれで振り向けば、その瞬間に俺の命は終わる。
ザクッ、ザクッ。
巡回の衛兵の足音が近づいてくる。
俺は泥だらけの地面に這いつくばり、馬の糞と泥が混ざったぬかるみに伏せて息を止めた。
心臓の音がうるさい。
衛兵の視線が俺の隠れている方角を撫でて通り過ぎるまでの数秒間が、永遠のように感じられた。
――数分の潜行の末、オズワルドのテントの裏手にたどり着く。
布きれ一枚を隔てた向こう側から、疲労に満ちた男の低い声が聞こえてきた。
「……本当に、この夜襲で部下の命を賭ける価値があるのか。いや、上の命令なら、俺は……」
オズワルド自身も、この作戦が危険であることを薄々勘づき、苦悩している。
だからこそ、救いがある。
完全に腐りきった悪役なら見捨てるが、彼を生かすことは、俺の命とこの世界の破滅を回避する上で絶対に必要だ。
俺は息を殺し、自ら捏造したその偽りの警告書を、テントの隙間からこっそりと中の机の上、オズワルドが必ず読む軍図の上に滑り込ませた。
(これで気づいてくれよ、大隊長。あんたが死んだら、最終的に俺の生存ルートも消えるんだからな……!)
祈るような思いを胸に秘め、俺は再び泥の地面を這って闇の中へと溶けていった。
自らの寝床である薄汚いテントの陰に戻り、毛布を被って震えを抑える。
どれくらい時間が経っただろうか。
キャンプの中央あたりから、突然、張り詰めたような怒号が響いた。
「――なっ、なんだと!? この警告文はどこから……!」
オズワルドの声だった。
普段の落ち着いたトーンではなく、明らかな動揺と焦燥が混じっている。
テントの周囲がわらわらと騒がしくなり、伝令兵たちが慌ただしく走り回る足音が聞こえてきた。
「待て……。この渓谷の第3ポイントという記述、あまりにも我が軍の奇襲経路と合致しすぎている。字の稚拙さからして内部の誰かの告発か、あるいは……いや、もし本当に情報が漏れていたとしたら、今夜の夜襲は……!」
テントの隙間から漏れ聞こえるやり取りに、俺は闇の中で強く拳を握りしめた。
――引っかかった。
オズワルドは、その不気味な違和感を無視しなかった。
慎重派な彼の性格と「兵士を無駄死にさせたくない」という良心が、最善のブレーキとして機能したのだ。
「全隊に通達! 今夜の夜襲作戦は一時延期する! 斥候を再派遣し、敵の動静をもう一度徹底的に探れ……っ!」
オズワルドの苦渋に満ちた号令がキャンプの夜空に響き渡った。
それによって、本来であればこの夜に起こるはずだった「帝国軍の壊滅と、オズワルドの戦死」という悲劇的なイベントは、音を立てずに回避された。
(よし……第一関門、クリアだ)
極度の緊張が解け、俺は深く安堵の息を吐いた。
だが、これでこの世界が平和になるわけではない。
夜襲が延期されたことで、今度は本国の冷酷な上層部が「なぜ命令に従わないのか」と激怒し、別の嫌がらせや粛清の目を向けてくるはずだ。
最底辺の雑魚モブとして生き残るための、泥臭く命がけの生存戦略は、まだ始まったばかりだった。




