第3話 敗残兵の隠れ家と、最初の歪み
戦闘の喧騒が遠ざかり、夕暮れの赤黒い光が荒野を染め上げる頃。
俺は敗走ルートから外れた、古びた廃村の半壊した納屋に身を潜めていた。
「はぁ……はぁ……」
他人の血と泥で重くなった軍服が、冷たい風に吹かれて張り子の鎧のようにパリパリに硬くなっている。
胃のあたりが鈍く痛む。
さっきまで味わっていたのは、ゲームの画面越しでは絶対に感じられない「本物の死の恐怖」だった。
一歩間違えれば、あの先輩兵のように綺麗に真っ二つにされていたのだ。
だが、安堵に浸っている暇はない。
今の俺は、帝国軍から見れば「行方不明の敗残兵」だ。
このまま帝国軍の残党狩りや憲兵に見つかれば、敵前逃亡として処刑される。
かといって、王国軍の勢力圏に一人で飛び出せば、あの主人公レオンの「見つけた敵を容赦なくブッ殺す」範囲攻撃の餌食になる。
文字通り、内外どちらに転んでも詰んでいる状態だった。
(生き残るためには、帝国軍の正規ルートからフェードアウトしつつ、この戦争のシナリオそのものを裏から歪ませる必要がある……)
恐怖で強張る頭の中で、かつてのゲームのイベントスケジュールを必死に手繰り寄せる。
この初戦のあと、帝国軍の残党は後方の臨時キャンプに集結し、そこで上官の強硬な命令によって「無謀な夜襲作戦」に駆り出されることになっている。
そしてその夜襲を指揮するのが、
帝国軍の大隊長――オズワルドだ。
あいつがこの最初の夜襲で前線に出張ってくると、シナリオ通りに帝国軍の部隊は王国軍の罠にハマって全滅し、指揮を執るオズワルドも確実に命を落とす。
それが、帝国軍の指揮系統が崩壊し、泥沼の滅亡ルートへ繋がる巨大な引き金の一つだ。
(あいつを、この最初の夜襲から生還させるか、夜襲そのものを潰すことができれば……俺の生存ルートへの第一歩になるはずだ)
しかし、ただの「逃げ出した雑魚モブ」にすぎない俺が、大隊長に直接近づいて「夜襲は罠です」などと言ったところで、不審者としてその場で首を刎ねられるのがオチだ。
「……くすん」
不意に、納屋の暗がりから微かな物音が漏れた。
俺は心臓が跳ね上がるのを抑え、腰の粗悪なショートソードに手をかける。
野生の獣か、それとも敗残兵狩りか。
息を殺して藁山の裏を覗き込むと、そこにはボロボロの衣服を身にまとい、膝を抱えて震えている小さな影があった。
煤にまみれた銀色の髪と、怯えきった大きな瞳。まだ十歳にも満たないであろう少女だった。
(……子供? こんな最前線の廃村に?)
俺は呆気に取られて剣から手を離した。
ゲームの知識を引っ張り出すが、この廃村ステージに孤児のNPCなんて配置されていなかったはずだ。
いや、ゲームならただの背景の「廃村」でも、現実になれば逃げ遅れた住人がいて当然だ。
画面の向こう側では描かれなかっただけの、リアルな命。
「おじちゃん……兵隊さん……?」
怯える少女から震える声で事情を聞き出すと、親とはぐれてずっとここに隠れていたらしい。
これから数時間後、この周辺は帝国軍と王国軍の残党狩りが入り乱れる危険地帯になる。
こんな所に子供が一人でいれば、流れ弾に当たるか、血走った兵士に見つかってろくなことにならない。
(見捨てろ。俺には自分の命を守るだけで精一杯だ)
理性がそう告げる。
だが、『運命の栞』によって記憶を削り取られた胸の奥の空洞が、不気味に軋んだ。
これ以上何かを見捨てれば、自分が人間でなくなっていくようなおぞましい感覚。
俺は腰のポーチから、さっきの死体漁りでくすねていた乾パンと水筒を取り出し、無言で少女の足元に放り投げた。
「いいか、よく聞け。あと少ししたら、ここは危なくなる。西の森の方角なら、軍の行軍ルートから外れてるはずだ。日が暮れきる前に、これを食いながらとにかく西へ逃げろ」
西の森。
馬も通れない険しい地形で、ゲームの仕様上『両軍が一切寄り付かない空白地帯』のはずだ。
あそこなら隠れ潜める。
「え……お、おじちゃんは……?」
「俺はやらなきゃいけない泥仕事があるんだよ。ほら、さっさと行け」
背中を向けて手を振ると、少女は泥だらけの乾パンと水筒を大事そうに抱え込み、ペコリと深く頭を下げてから、夕闇の迫る森の方へと駆け出していった。
それを見送って、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
世界を救うつもりなんて毛頭ないが、目の前の子供を見殺しにするほど心は腐っちゃいない。
俺は再び身を屈め、自分の首を守るための絶望的な隠密工作の準備を始めた。




