第21話 最短攻略の真意と、崩壊する安全圏
第8後方支援中隊に配置されてから数週間が経った頃。
俺の部隊はガルデニア要塞都市の外縁部にある巨大な野戦病院へ駐屯場所を移動していた。
しかし、その野戦病院は突如として地獄の釜の底のような惨状に陥っていた。
「ぎぃぃぃぃっ! 痛い、足が、俺の足がァァッ!!」
「水……頼む、誰か水を……っ」
血と膿の悪臭が充満するテント群に、絶え間ない絶叫と呻き声が響き渡っている。
彼らは、ここからさらに東に位置する堅牢な防衛拠点『東の要塞』から逃げ延びてきた負傷兵たちだった。
数千の兵力が駐屯し、容易には落ちないはずだったその巨大な陣地が、たった一晩で、王国軍の英雄レオンの奇襲によって完全に壊滅したのだという。
「……あり得ないだろ。東の要塞には、対魔法用の結界だって張られていたはずだ」
包帯を運ぶ作業の合間、俺は青ざめた顔で同じ部隊の兵士が漏らした言葉に耳を傾けていた。
「それが、正面からの攻城戦じゃなかったらしいんだ。夜襲に乗じて水源に猛毒が撒かれ、要塞の指揮官たちは天幕で寝ている間に全員、首を落とされていたって……」
「毒に、暗殺だと……? 王国軍の英雄が、そんな泥臭く卑劣な真似をしたっていうのか!?」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の背筋に、氷の刃を突き立てられたような強烈な悪寒が走った。
(……落ち着け。まずは情報を整理するんだ)
絶望で凍りつきそうになる思考を、俺は無理やり叩き起こした。
王国軍の英雄レオン。
俺が前世でプレイしていたゲーム『アビス・オブ・ソード』における彼は、熱血漢で正義感が強く、真正面からの騎士道バトルを好む「王道の主人公」だったはずだ。
水源への毒。指揮官の暗殺。そんな外道な戦術は、絶対に主人公のプレイスタイルではない。
だが、俺は転生直後、彼が帝国兵をただの「肉の塊」として無表情にすり潰していく姿をこの目で見ている。
あの異常な戦術。無慈悲なまでの効率化。
重傷者たちの呻き声が反響する野戦病院の片隅で、俺は必死に思考を巡らせ……やがて、一つの最悪な可能性に行き当たった。
(アイツの思考は、俺と同じ前世の記憶を持った『転生者』……いや、究極の『やり込みプレイヤー』のそれに極めて近い……!)
もし彼が、この世界の未来の破滅を熟知しているプレイヤーだとしたら。
彼が目指しているのは何だ?
それは、味方が誰も死なず、敵対勢力の主要人物だけを全滅させる『完璧な生存ルート』だ。
正々堂々と正面から戦い、ドラマティックな激戦になれば、必ずシステム上の不確定要素が生まれ、誰かしら仲間に被害が出る。
だから今のレオンは、敵と会話も名乗り合いもせず、泥臭い手段を使ってでも戦いを急いでいるのだ。
彼にとって、俺たち帝国兵は人間ではない。
ただの「処理すべきポリゴン」であり「障害物」に過ぎない。
すべては、身内を失うという不確定な未来を完全にへし折るための、血の通わない『最短攻略』。もしかしたら、主人公の行動が、ただ単純にそう映るだけなかもしれない。
しかし、コンテニューのないこの世界において、「レオンはプレイヤーではない」と考え行動するのはあまりに危険すぎる。
俺は懐から、物資の木箱に紛れ込んでいた軍の広域マップを取り出し、震える手で広げた。
マップ上の『東の要塞』から『帝都』までの直線を指でなぞった瞬間、心臓が凍りついた。
レオンがプレイヤーである場合、帝国の戦力と補給部隊、そして負傷兵が集まるこの巨大な野戦病院は、将来仲間を危険に晒す「敵のスポーン地点」にしか見えないはずだ。
徹底的にリスクを排除する彼が、この拠点を「無視」するはずがない。
「……逃げるぞ。今すぐにだ」
俺はマップを乱暴に懐にねじ込み、立ち上がった。
激戦をくぐり抜け、泥水をすすってようやく手に入れた「後方支援部隊」という安全な立場。
だが、そんなものはもう何の価値もない。
ここに留まれば、間違いなくレオンの「障害物撤去作業」に巻き込まれて殺される。
俺はすぐさま、這いつくばって備蓄していたポーションと干し肉が入った革袋を掴み、補給用の荷馬車が並ぶエリアへと走った。
周囲は負傷兵たちの対応で大混乱に陥っており、末端の輸送兵である俺の動きに注意を払う者など誰もいない。
「おい、そこにある一番軽くて速い馬車を借りるぞ」
「あ? お前、新入りか。こんな時にどこへ行くつもりだ?」
「軍医殿の命令だ! 負傷者が多すぎて包帯とポーションが完全に底を突いた。西の駐屯地まで大至急、追加の物資を取りに行ってこいと言われている!」
怒鳴るように告げると、管理を任されていた兵士は「わ、わかった」と慌てて馬車のキーとなる魔導具を渡してきた。
もちろん嘘だ。
俺が馬車の荷台に積み込んでいるのは、負傷兵を救うための物資ではない。
俺一人が一ヶ月間、山の中を逃げ隠れて生き延びるためのサバイバルキットだけだ。
最低なのは分かっている。
泥をすすって盗んだ物資で、自分一人だけが安全圏へ逃げようとしているのだから。
だが、俺は英雄じゃない。
迫り来る化け物から自分の自我を守るためには、誰を見捨ててでも逃げるしかない。
(急げ。レオンの軍が東の要塞を落としたのは三日前。普通の軍隊の足なら、ここへ到達するまでにあと一週間はかかる。だが、相手は時間を切り詰める最短攻略者だ。早ければ、あと三日……いや、二日でここに来るかもしれない)
馬車の手綱を握り、陣地の西側――帝都方面へと通じる街道へ向けて馬を走らせようとした、その時だった。
――チリン、チリン、チリン、チリン!!
狂ったようなリズムで、陣地の見張り塔から敵襲を知らせる警鐘が鳴り響いた。
「な、なんだ!? 王国軍の別働隊か!?」
「違う! 東だ! 東の稜線から、大部隊が……っ!!」
怒号に弾かれるようにして東の空を振り返った俺の目は、信じられない光景を捉えていた。
地平線の彼方から、土煙を上げて殺到してくる津波のような騎兵団。
掲げられているのは王国軍の旗。
だが、その進軍速度は完全に常軌を逸していた。
疲労や補給といった概念すら無視し、まるで無機質なゴーレムのように限界を超えた統率で地を蹴っている。
彼らは陣地に到達するなり、宣戦布告も、士気を高める雄叫びも一切上げなかった。
ただただ事務的な手際で、一切の感情を交えることなく、要塞の防壁の最も薄い箇所へ一斉に火属性の爆裂魔法を叩き込んだのだ。
ドゴォォォォォンッ!!!
要塞都市外縁部にある野戦病院の天幕が吹き飛び、木製の防柵が粉々に砕け散り、炎が瞬く間に燃え広がる。
逃げ惑う負傷兵たち。
絶叫と悲鳴が陣地を包み込む中、俺は馬車の上でただ唖然とその蹂躙劇を見つめていた。
ドラマも、英雄的な高揚感も、騎士の誇りも一切ない。
ただ「味方を殺す可能性がある対象を物理的に消去する」という、無慈悲なまでの完全効率化。
「二日」なんて、あまりにも甘すぎる見積もりだった。
奴らは東の要塞を落とした直後から、文字通りの不眠不休で駆け続け、わずか一日で数十キロの距離を踏破し、この後方拠点まで到達したのだ。
「……冗談じゃねえぞ、マジで」
燃え盛る炎の向こう側。
蹂躙する騎兵団の先頭で、一人だけ汚れのない純白の鎧を纏った男が、剣を抜くことすら面倒くさそうに片手で魔力弾を乱射し、逃げ惑う帝国兵の背中を一方的に吹き飛ばしているのが見えた。
最強の英雄にして、仲間を救うための最悪の虐殺者。
英雄レオンによる、無慈悲な『障害物排除作業』が、俺の目の前まで迫っていた。




