第16話 砕け散る氷壁と、死神の舞踏
ズドォォォォォォォォンッ!!!
戦場に、爆薬庫が吹き飛んだかのようなすさまじい轟音が響き渡り、大地が激しく揺れた。
狂気の姉・ロゼが振り下ろした巨大な両手剣と、氷の魔女・シルヴィアが展開した分厚い氷の防壁が激突したのだ。
ただの剣撃ではない。
ロゼの規格外の腕力と、異常なまでに高密度に練り上げられた真紅の魔力が乗った一撃は、もはや「質量兵器」と呼ぶべき災害だった。
「だっははははッ! 脆い、脆いぜぇ氷女ァ! そんな薄氷の盾で、このあたしの剣が防げると思ってんのかァ!」
ロゼは狂喜の笑い声を上げながら、弾き返される反動すら利用して巨剣を振り回し、二撃、三撃と連続で叩きつける。
ガガンッ! ゴァァァンッ!!
その度に、シルヴィアの絶対零度の防壁に蜘蛛の巣のような亀裂が走り、戦場に無数の氷の破片が散弾のように飛び散った。
その破片の一つが、泥の中に身を潜めていた俺のすぐ横の地面に深く突き刺さる。
「ヒッ……っ!」
声にならない悲鳴を上げ、俺はさらに
深く泥水の中に顔を押し付けた。
怖い。
恐ろしい。
ただの余波だけで、人間の骨など簡単に貫通してしまう威力の破片が、雨あられのように降り注いでいるのだ。
英雄たちの戦いに、モブ兵士が介入する余地などない。
俺は、この戦場においてただの「壊れる背景オブジェクト」でしかなかった。
「……野蛮な猿には、知性というものがないようですね。ただ力任せに振り回すだけの剣など、当たらなければ意味がありません」
シルヴィアは表情一つ変えず、ロゼの猛攻を冷静に捌いていた。
防御するだけではない。
彼女の真骨頂は、無詠唱で発動する極寒の氷結魔法だ。
防壁が砕かれると同時に、シルヴィアの足元から数十本もの鋭利な『氷の槍』が隆起し、空中に留まっていたロゼの四肢を正確に串刺しにすべく殺到した。
「チッ!」
さすがのロゼも舌打ちをし、巨剣を盾にして空中で身を捻る。
ガガガガガンッ!!
氷の槍が巨剣に弾かれ、粉々に砕け散る。
しかし、シルヴィアの魔法はそれだけでは終わらない。
砕け散った氷の粉塵が、一瞬にして周囲の気温をマイナス数十度まで引き下げ、ロゼの真紅の軍衣と巨大な剣を白く凍りつかせていく。
「凍てつき、砕けなさい――『氷棺』」
シルヴィアの冷酷な宣告と共に、ロゼの周囲の空間そのものが巨大な氷の塊となって彼女を封じ込めようとする。
「おおおぉぉォォッ!!」
だが、ロゼは凍りつく寸前の空間で、獣のような咆哮を上げた。
彼女の全身から爆発的に噴き出した真紅の魔力が、熱量となって氷の棺を内側から吹き飛ばす。
「舐めてんじゃねえぞォ!! あたしの炎は、てめえの氷なんかじゃ消せねえんだよッ!!」
ロゼは吹き飛んだ氷の破片を強引に突破し、再びシルヴィアへと一直線に突進していく。
圧倒的な魔法の手数と精度を誇るシルヴィアと、無尽蔵の体力と破壊力でそれをねじ伏せようとするロゼ。
二人の戦いは、まさに一進一退の膠着状態に見えた。
――しかし。泥に這いつくばる俺の目には、その均衡が徐々に崩れ始めているのが分かった。
(……シルヴィアの息が、上がり始めている……!)
いくら天才的な魔導師であろうと、人間の魔力量には限界がある。
対してロゼは、息一つ乱していない。
彼女は「戦うこと」それ自体からエネルギーを供給されているかのように、時間が経てば経つほど剣の振りが速く、重くなっているのだ。
設定上の『理不尽なステータス差』が、じわじわと帝国軍の女傑を削り始めていた。
そして、その「理不尽」に直面しているのは、彼女だけではなかった。
「おや……歳は取りたくないものですねぇ。若いお嬢さんの激しいアプローチに、こちらの心臓と魔力回路が少々オーバーヒート気味だ」
シルヴィアの背後を守るレイモンド大尉の軍服は、すでに無数の切り裂かれた跡でボロボロになっていた。
彼の頬や腕からは血が流れ、息は荒く、魔導銃剣を握る手は微かに震えている。
「ふふっ。おじ様、軽口を叩く余裕がまだおありのようですわね。ですが、歴戦の勘と老練な小細工だけで、いつまでわたくしの『舞踏』についてこられますか?」
純白のドレスをふわりと翻し、エマが優雅に微笑む。
彼女の細剣は、もはや剣筋すら見えない。
シュパパパパッ! という風を切り裂く音と共に、一度の突きから十もの真空の刃が生み出され、レイモンドの死角から容赦なく襲い掛かる。
「ぐっ……!」
レイモンドは長年の泥臭い戦場経験で培われた技術を総動員し、銃剣の刃と銃弾の反動を利用して、その神速の連撃を必死に弾き落としていた。
だが、エマは一歩も引かないどころか、レイモンドの防御のタイミングを完全に学習し始めていた。
カンッ! カンッ! ズバァッ!
「がはっ……!」
ついに防御が間に合わず、エマの真空の刃がレイモンドの左肩を深く切り裂いた。
鮮血が宙を舞い、レイモンドの体勢が大きく崩れる。
「――終わりですわ、おじ様」
エマの口角が冷酷に吊り上がった。
彼女は崩れたレイモンドには目もくれず、その隙を突いて、背中を向けているシルヴィアの死角へと音もなく滑り込んだ。
彼女の本当の狙いは、最初からシルヴィアの命だったのだ。
「しまっ……! 大隊長殿ッ!!」
レイモンドの叫びが戦場に響く。
その時、シルヴィアは眼前に迫るロゼの『最大出力の脳天割り』を防ぐため、全身の魔力を注ぎ込んで上空に数メートルもの厚さを持つ『極大氷壁』を展開した瞬間だった。
ズゴォォォォォォォンッ!!!
ロゼの巨剣が氷壁と激突し、シルヴィアの視界と意識が完全に上空への防御に釘付けにされる。
その一瞬の、絶対的な死角。
シルヴィアの背後、ほんの数歩の距離に、純白の死神が優雅に舞い降りていた。
「さようなら、氷の魔女。あなたの凍えるような悲鳴、楽しみにしていますわ」
エマの細剣が、一切の殺気も風切り音も伴わず、シルヴィアの無防備な心臓へと真っ直ぐに突き出される。
ロゼの狂気の一撃を全力で防いでいる最中のシルヴィアには、振り返って防御魔法を展開する余裕など、コンマ数秒たりとも残されていなかった。
(……あ、)
泥の中で、俺は目を見開いた。
時間がスローモーションのように引き伸ばされていく。
銀色の細剣が、氷の魔女の軍服を貫き、その気高い命を刈り取ろうとする致命の軌跡。
俺が泥水をすすって生き残るために必要不可欠だった「圧倒的な強者」が、今、理不尽な絶望の前に散ろうとしていた。




