第14話 鉄血の盾と、残酷なる遊戯
「――これ以上、我が部隊の兵士に指一本触れさせん……ッ!」
轟音と共に、軍外套を翻したオズワルド少佐が猛然と跳び出し、エマと俺の間、そして狂気の姉妹の真正面へと立ちはだかった。
大隊を指揮する将であるはずの男が、部下たちの盾になるために、安全な後方指揮所から自ら最前線へと飛び出し、死地にその身を晒したのだ。
オズワルドのその悲壮な叫びに、真紅の軍衣を血に染めた姉・ロゼは、自身の背丈ほどもある巨大な両手剣を肩に担ぎ直し、まるで極上の獲物を見定めた肉食獣のようなニヤついた笑みを浮かべた。
「ほう? 有象無象の肉の壁から、一匹だけ威勢のいいのが飛び出してきたねぇ」
その眼光は、帝国軍の少佐という一人の人間を、「少しは長持ちしそうな、潰しがいのある玩具」としてしか認識していない。
「お姉様、お待ちください。あの方、ただの捨て駒の兵士ではありませんわ。少なくとも、死地に立つだけの『意志』の輝きがおありですもの」
一方の妹・エマは、純白のドレス軍装を汚すことなく、優雅に細剣の切っ先を地面に向け、品よく微笑みながらオズワルドを値踏みするように見つめた。
その瞳の奥には、気高い命が泥に塗れて絶望に染まる瞬間を至上の芸術と信じて疑わない、残酷なまでの冷徹さが宿っている。
「オオオォォォッ!!」
姉妹が交わす軽やかな殺戮の会話の裏で、オズワルドの全身から凄まじい闘気が噴き上がった。
それは死を覚悟した人間の、最大の爆発的な魔力解放だった。
長年鍛え上げられた帝国将校としての矜持と、部下を守るという強烈な意志が、彼の長剣に青白い炎を纏わせる。
空気をビリビリと震わせるその気迫は、通常の人であれば対峙しただけで後ずさるほどのものだ。
(馬鹿野郎……! いくら覚悟を決めたって、あんな化物姉妹に真正面からやり合ったら……っ!)
防壁の死角。泥水の中に顔を半分沈めながら、俺は奥歯を砕けんばかりに噛み締めた。
オズワルドが咆哮を上げ、大地を蹴る。
死力を尽くした渾身の一撃が、ロゼの首を落とすべく真っ直ぐに叩き込まれた。
空気を裂き、凄まじい衝撃波が周囲の空間を震わせる。
岩をも真っ二つにするであろう、人間としての限界に達した必殺の剣閃。
――だが。この世界は、理不尽なゲームなのだ。
どれほどの決意を持とうが、どれほどの努力を積もうが、設定された『圧倒的なステータス差』の前には、人間の意志など一枚のティッシュペーパーほどの意味も持たない。
「あははははっ! 遅い遅い遅ォい!!」
ロゼはニヤリと笑い、鋼鉄の塊のような巨剣を、なんと片手で無造作に振り抜いた。
ガガァァンッ!!
戦場に硬質な金属音が鳴り響き、オズワルドの死力の一撃は、いとも容易く、文字通り「顔の前に飛んできたハエでも払うかのように」弾き返された。
「ぐっ……!?」
全体重を乗せた一撃を完全に弾かれ、激しく体勢を崩したオズワルド。
その無防備な懐に、今度はエマが舞踏会のステップを踏むような滑らかさで入り込んだ。
「フフッ。少し隙だらけですわよ?」
シュパンッ、という冷たい風切音。
オズワルドの頑丈な鋼の胸当てが、まるで薄い紙切れのように音もなく切り裂かれ、その下から大量の鮮血が激しく噴き出した。
「が、はァッ……!」
「あら、ごめんなさい。急所は外して差し上げましたわ。すぐに死んでしまっては、お姉様がつまらなくなってしまいますものね」
血を吐きながら膝をつきかけるオズワルドを、姉妹はクスクスと小鳥のように嘲笑う。
そこに戦闘の駆け引きなど存在しない。圧倒的な強者が、弱者を嬲り殺しにするだけの残酷な遊戯。
「せいぜい足掻けよ、帝国の犬! あんたのその悪あがき、あたしが最高にグシャグシャにしてやるよ!」
ロゼがオズワルドの顔面を分厚い軍靴で蹴り飛ばし、仰向けに倒れた彼の腹を乱暴に踏みつける。
ゴキリ、と肋骨が砕ける嫌な音が響き、オズワルドの口からさらに血反吐が吐き出された。
「がぁぁっ……!」
「どうしたァ! さっきの威勢はどこいった! もっと吠えろよ、部下を守るんだろぉ!?」
笑いながら、ロゼはオズワルドの四肢をいたぶるように踏み躙る。
骨が砕け、肉が潰れる音が響く。
部下のために前線に立ち続けた数少ない良将の命が、理不尽な暴力の前に、ただの汚いボロ雑巾に変えられていく。
そして、遊びに飽きたロゼが、巨大な剣をゆっくりと高く振りかぶった。
致命の瞬間が、コンマ数秒後に迫っていた。
(くそっ……! やめろ……ッ!!)
俺が泥水をすすって、裏工作に命を懸けて繋ぎ止めたオズワルドの命が。
俺の「安全な後方勤務への異動」という微かな希望が、こんな理不尽な暴力であっさりと散ろうとしている。
俺は泥だらけの右手に握りしめた短剣を、ギリッと強く握り込んだ。
手のひらから血が滲むほどに。
飛び出して、あの姉妹の前に立つか?
結果は明白だ。
オズワルドすら一蹴される相手に、ただのモブ兵士である俺が立ち向かえば、一瞬でひき肉にされる。
そして死ねば、『運命の栞』が強制的に発動し、時間を巻き戻す。
だが、俺は知っている。
あの能力の本当の恐ろしさを。
もう一度『栞』を使えば、次は俺のどんな記憶が焼け落ちる? 前世の友人の顔か? それとも、俺の人間性そのものか?
ただの「意志を持たない帝国兵ルーク」へと成り下がり、自分が自分でなくなっていくおぞましい恐怖が、俺の足を泥に深く縫い付けていた。
(行くな。行けば心が死ぬ。見捨てろ。俺は英雄じゃない。ただの底辺モブだ……!)
理性が必死に警告を鳴らす。
泥の中で歯を食いしばり、俺は自らの無力さに涙と冷や汗を流しながら、見開かれた絶望の瞳で、処刑の刃が振り下ろされるのを待つことしかできなかった。
ロゼの巨剣が、オズワルドの首を刎ね飛ばすべく、無慈悲に振り下ろされた。
俺の心臓が止まりかけ、世界がスローモーションのように引き延ばされた、その刹那だった。
――戦場の空気を一瞬で凍てつかせるような、氷のように冷たく気高い声が響き渡った。
「――そこまでよ、王国軍の狂犬ども」




